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カテゴリ: 上智大学TEAP対策

2024TEAP利用型のリード文は「世界史の世界史」について述べる文章でした。この文章の中で述べられている<「世界史」(または「歴史」)とはどのような描き方をすべきで、また「新しい世界史」はどうあるべきか>ということは、近年の歴史学にとっての一大テーマといってもいいもので、超重要です。しかも、難しい。多くの歴史学者が今も頭を悩ませながら自分なりの答えを模索している問題といっても良いでしょう。

たとえば、ミネルヴァ書房から出ている『「世界史」の世界史』(2016年)などはタイトルもそのままにこうした問題関心と向き合っている大変興味深い書籍です。章立てを見ても、第2章「中華の歴史認識」、第5章「ヘロドトスの世界像」、第6章「キリスト教的世界像」、第7章「イスラームの世界観」、第12章「啓蒙主義の世界(史)観」、第13章「実証主義的『世界史』」、第15章「マルクス主義の世界史」、総論「われわれが目指す世界史」など、もしかして本設問のリード文はこの本を参考に書いたのではないかと思わせるくらいです。高校生が読むには少し難しいですが、歴史学にご興味のある方はご一読いただいても良いかと思います。良著です。

2024年度の設問3(350字論述)ではこのテーマに沿って「現代において世界史の過去の在り方を学ぶ意義はいかなるものか」という問いが立てられています。こうしたテーマを正面から扱わせようとするあたりに出題者の問題意識を感じますし、高校生に「世界史とは何か」ということを感じさせる入り口としては大変良いテーマだと思います。また、特に細かな予備知識がなくても思索を巡らせることができ、リード文によって十分なヒントも与えられ、かつ国語力も試すことができる良問だといってよいと思います。


ただ、いかんせん文章・テーマともに高校生が初見で扱うにはかなり難解です。テーマ自体は特に予備知識がなくても自分なりの思考をめぐらせ、考えることができるテーマではあるのですが、何の予備知識もない人が自分の手持ちの武器だけで勝負しようとすると「なんとなくそれっぽい文章だけど中身スカスカ」という、見当はずれ・不十分な内容を書いて終わるだけになってしまいます。ですから、本設問は一見自由度が高いように見えて、実際にはリード文の精緻な読解と把握、設問要求の分析、それらに基づいた高い構成力と作文能力が要求される、高難度の「国語の問題」といって良いと思います。ハイ。はっきりいって「国語の問題」です。もちろん、世界史の知識があるにこしたことはないのですが、中途半端な世界史の知識・認識ではおそらくかけらほどの役にも立たない気がします。啓蒙思想やランケの近代歴史学と史的唯物論の相違点を丁寧に把握できている高校生とかそうはいないと思います。(大学生でも怪しい。)

 

試験の基本的な形式については大きな変化はありません。小問が5題、200字論述が1題、350字論述が1題の90分試験でした。こちらは出題傾向の方で述べましたが、2018年以降、試験の形式自体には大きな変化はなく、安定してきています。小問の内容についても例年通りごく基本的なもので、大学入学共通テストやGMARCHクラスの設問が解けるのであれば難問といえるものはありません。また、設問2の200字論述についても、論述問題としてはごく基本的な内容です。まずは、第1問や第2問でしっかりとした点数を取れる学力を身につけ、設問の要求をとらえ損なわない注意力と読解力を養い、設問3については高得点は狙えなくとも大きく的を外さずに設問要求に対して一定程度きちんと答えになっている文章が書けるようになる、くらいが目指すべき目標なのではないでしょうか。

 

【小問(設問1、⑴~⑸)】

 

設問1

問⑴ 正解は⒝

:司馬遷の『史記』が紀伝体で書かれた正史の最初であることや、前漢武帝期に成立したことは基本事項。

 

⒜ 『春秋』は儒教の「五経」の一つ。「四書」は『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』。

⒞ 班固の『漢書』は前漢の歴史を記した正史の一つであるが、中国の二十四史と呼ばれる正史は全て紀伝体。高校世界史で出てくる中国の歴史書のうち、編年体で有名なものは孔子によるとされる『春秋』や司馬光による『資治通鑑』など。

⒟ 司馬光は王安石の新法に反対した旧法党の指導者。

 

問⑵ 正解は⒟

:従来の俸給を支払うアター制にかえて、土地の徴税権を与えるイクター制の導入を始めたのは、10世紀にバグダードに入城してアッバース朝カリフから大アミールの称号を得たブワイフ朝。その後、11世紀にブワイフ朝にかわってバグダードに入り、スルタンの称号を得たセルジューク朝期により広く普及した。

 

⒜ タラス河畔の戦いは、751年に成立した間もないアッバース朝が唐の高仙芝率いる軍隊を打ち破り、製紙法の西伝につながった戦い。また、ヒジュラは622年なので時期が大きく違う。

⒝ ウマイヤ朝の成立は4代正統カリフのアリーの死後、ムアーウィアによるものなので、ウマイヤ朝の4代目がアリーではおかしい。また、アリーとその子孫のみを正統な指導者と認めるのはシーア派。

⒞ アッバース朝はウマイヤ朝のアラブ人優遇政策をあらため、ムスリムの平等を達成したが、それはハラージュ(地租)の支払いをアラブ人とマワーリー(非アラブ人ムスリム)に平等に課すことで達成されたのであり、ズィンミー(異教徒)に課すジズヤ(人頭税)はアッバース朝下ではマワーリーには課せられなかった。

 

問⑶ 正解は⒜

:ヴォルテールの『哲学書簡(イギリス便り)』はイギリスの進んだ政治・経済・文化を紹介しフランス社会を批判した書物で、難関校では出題頻度が高い。また、ヴォルテールは啓蒙思想家としてヨーロッパの王侯貴族や文化人と広く交流し、フリードリヒ2世の宮廷に招かれたが、間もなく関係が悪化し、短い期間でプロイセンを去った。

 

⒝ 北方戦争(17001721)の頃のロシア皇帝はピョートル1世。

⒞ モンテスキューが三権分立を主張した書物は『法の精神』。『リヴァイアサン』はホッブズが社会契約について論じたもの。

⒟ テュルゴーはケネーとともに重農主義者として知られる。

 

問⑷ 誤りを含むのは

:ギリシア独立戦争後にギリシアの独立が国際承認されるのは1830年のロンドン会議。サン=ステファノ条約は露土戦争(18771878)後のロシア・オスマン帝国間の講和条約。サン=ステファノ条約とそれに続くベルリン会議とその内容は難関校では頻出事項なので注意。

 

問⑸ 正解は⒝

:イギリスでは19世紀前半の自由主義の拡大の流れの中、コブデンやブライドが指導する反穀物法同盟の動きによって穀物法が廃止され(1846)、さらに1849年に航海法が廃止されたことで自由貿易体制が確立した。頻出事項。

 

⒜ オランダが強制栽培制度を展開したのはジャワ島。マレー半島はイギリスが支配。

⒞ 蒸気船はフルトンの発明。スティーブンソンが実用化したのは蒸気機関車。

⒟ モノモタパ王国はザンベジ川流域、現在のジンバブエなので、アフリカ東岸。

 


設問2(論述問題、200字以内)

 

【設問概要】

 

・大航海時代に世界と結びつくことで16世紀ヨーロッパの経済に生じた変化を説明せよ。

200字以内。

・指定語句:商業革命 / 価格革命 / 地中海沿岸 /

 

:大航海時代がヨーロッパに与えた影響はあちこちの大学で出題される超頻出事項です。(当ブログでも東大2007年問題一橋2017年問題などでたびたびご紹介しています。) 論述問題としては基本問題といってよく、この問題は取りこぼしたくありません。指定語句も内容をつかみやすいものですが、その分、指定語句に頼りすぎず、関連知識や内容を丁寧に説明したいところ。また、「経済」に生じた変化とあるので、きちんと経済に焦点をあわせて説明できるかが重要となります。

 

(大航海時代のヨーロッパへの影響)
大航海時代の影響

:「経済」についてとあるので、これらのうち生活革命を除く部分を中心にまとめてやれば良いでしょう。生活革命の内容も一部は経済と結びついていると言えなくもありませんが、字数と内容を考えた場合、「商業革命」、「価格革命」、「国際分業体制の成立」の内容を示せば基本的には十分だと思われます。

 

(解答例)

大航海時代にスペインやポルトガルが海洋進出し、新大陸の金やアジア産の香辛料などの流入が拡大すると、貿易の中心地が地中海沿岸諸都市から大西洋沿岸諸都市に移る商業革命が起こり、東方貿易に従事していた北イタリア諸都市は衰退し、リスボンやアントワープが反映した。の大量流入と人口増加が、貨幣価値の下落と物価高騰を招く価格革命が起き、商工業のする西欧との経済格差が拡大する中、東欧は西欧向けの穀物供給地となる国際分業体制が形成された。(200字)

 

設問3(論述問題、350字以内)

 

【1、設問概要】

・架空の先生と二人の高校生の会話文を読み、会話文最後の空欄(   )に入る文章を自分で考えて書け。

・会話文は問題文を踏まえてなされている。

・問題文の内容を踏まえよ。

300字以上350字以内。

 

【2、問題文の内容を整理】

:先生と生徒の会話は、問題文の内容を踏まえてのものになるので、まずは問題文の内容を正確につかんでいないと彼らの会話の内容や意図を正しくつかむことはできません。(つまり、会話に入っていくことができません。)

そこで、まずは問題文(リード文)の内容を正しく把握し、整理する必要があります。制限時間がありますので、残り時間に注意する必要はありますが、この年の問題は上述の通り設問2が論述問題としては基本問題になりますので、おそらく時間的な余裕はいくらかあるはずです。リード文について、ざっとではありますが段落ごとの内容を整理していきます。

 

《1段落:問題提起》

・「世界史」の中身は古今で同じか。

・「世界史」というとらえ方は昔から自明のものであったか。

・現代の「世界史」が成立するまでの歴史(「世界史の世界史」)はどのようなものか。

:最初の段落において、現在「世界史」という概念は当たり前のものとなっているが、実はこの概念自体が昔は自明のものではなかったということが暗に示されます。その上で、現代的な「世界史」概念が成立するまでにはどのようなプロセスがあったのか、すなわち「世界史の世界史」を振り返ることが提案されています。


《2段落~5段落:大航海時代以前の歴史(自分たちの文明や地域に限定された歴史)》

(2段落)

・大航海時代以前は人々が地球全体の姿を把握することがなく、そのため現代的な意味での「世界」は把握されていなかった。

・「世界史」という意識は希薄。

・描かれる歴史は、その歴史を描く人物の属する文明や地域などに限定された。

:大航海時代以前の世界に住む人々は、現在われわれが認識する「世界」像とは異なるものとして彼らの「世界」を認識していました。そして、彼らの「世界」は現代的な感覚から見れば極めて限られたな文明や地域におさまるものでした。(たとえば、古代ギリシア人にとっての「ポリス」社会や、古代中国における「中華」などの概念です。)

そのため、彼らの描く「歴史」もまた、彼らが認識していた「世界」の枠内にとどまることが多かったことが本段落では指摘されます。

 

(3段落)

・中国の歴史(「自分たちの文明や地域に限定された歴史」の例示の一つとして)

・中国の正史に描かれたのは「中華」の歴史

・「中華」の歴史は王朝ごとに編纂された(正史)

・「中華」は単なる地理的領域ではなく、文化的共有がなされている場を示す語

・そのため、「中華史」を描くことは、「中華」の文化(儒教文化)をどこまでの地域・民族が共有しているかという認識と不可分

:この段落では、「自分たちの文明や地域に限定された歴史」として中国において王朝ごとに編纂された正史(「中華」の歴史)が紹介されています。その中で、「中華」とは地域的にどこからどこまでかを指すものではなく、地域も含めてそこに住む人々が「中華」の文化、その中心となる儒教文化に基づく価値観や習俗などをどこまでの人が共有しているかを指す概念であって、「中華」の歴史を描くためには「中華」の範囲がどこからどこまでとなるかを認識する必要があったということが述べられます。

 

(4段落)

・知識人個人が書く歴史
 =自らが属する国・文化圏を超えた別の地域・文化圏を記述する場合も

 ex.) ヘロドトス『歴史』

・各地域に共通する年代的枠組みが存在しないため、各地の王の在位年などを基準に

・ヘロドトスの歴史記述はギリシア中心主義ではない異文化観を示していた

 =現代における「世界史」の先駆けをなすもの

・ただし、辺境地域への偏見や空想も多くみられる

:3段落で示された、王朝が編纂した歴史と対比して、知識人個人がまとめた歴史の代表例としてヘロドトスの歴史が紹介され、こうした歴史記述の中には、その人が属する地域・文化圏の見方(ヘロドトスの場合にはギリシア中心主義)を超えた、別世界の視点が盛り込まれることもあることが示されます。

重要なことは、こうした歴史記述を指して、現代の「世界史」概念の先駆けであるとされていることです。このことから、リード文の筆者は現代の「世界史」を一部の地域や文化圏にとらわれず、複数の地域を描く視点を持ったものだと理解していることが分かります。

 

(5段落)

・「地域史」とは異なる「普遍史」の紹介

・「普遍史」は宗教的視点から世界の創造を起点として描かれる歴史

 ex.) キリスト教の『聖書』が描く、「世界の創造」から「最後の審判」・「神の救済」まで

 ex.) アウグスティヌス『神ノ国』

  :聖書で描かれる「神の国」の歴史と、アッシリア・ローマなどの「地上の国」の歴史

 ex.) タバリー『預言者と諸王の歴史』

  :イスラーム成立以前の諸王の列伝と『クルアーン』の宗教的歴史を年代順に並記

・「普遍史」では、(現代的意味での)歴史的事実と宗教的教義の接合に腐心

:3段落、4段落で示された王朝の編纂する歴史にせよ、知識人個人が編纂する歴史せよ、ある地域における記述を中心とした「地域史」によって構成されているわけですが、5段落ではこれとは一線を画す「普遍史」について紹介されています。「普遍史」は地域的な区分けにこだわるのではなく、世界の創造から終わりまでという人類の歴史を描こうとした歴史です。これらの歴史を描く人々にとって、彼らの生きる時代はすでに定まっている「世界の始まりから終わりまで」という歴史の一つの通過点というとらえ方がされていました。

一方で、「普遍史」は『聖書』や『クルアーン』などの宗教経典に依拠していたわけですが、そこの記述は必ずしも彼らが生きていた世界の歴史的事実(もっとも、普遍史を描く人々にとっては聖書などの記述も「歴史的事実」であるという認識なので、ここでいうものは現代的な意味での「歴史的事実」になりますが)と一致するものではなかったため、その整合性をどのようにとるかということが問題となっていました。

 

6段落~8段落:大航海時代以降の歴史(より広い「世界史」記述の始まりと変化》

6段落)

・大航海時代を経た啓蒙思想の広がりが「世界史」記述の転機となった

・科学的知識や博物学的知識の発展にともない、普遍史の試みが衰退

・啓蒙思想家によるより広いスケールでの「世界史」記述の開始

 :アジア・アフリカを含む諸民族のほか、動植物などの全自然を網羅しようとする

・啓蒙思想家の描く歴史

=「未開」から「文明」への移行を意識した進歩史観的・思弁的歴史としての側面

6段落以降では、大航海時代とその後の啓蒙思想の広がりが、「地域史」や「普遍史」にかわって「世界史」が描かれ始める転機となったことが示されます。地理上の発見のほか、博物学的・科学的見地が蓄積され始めると、聖書の記述と現実世界との矛盾や誤りが多く認識されるようになり、このことが聖書に依拠する「普遍史」を衰退させていきます。

18世紀を中心に活躍した啓蒙思想家たちは、聖書から離れて現実世界を実際に見て、調べることを通して、あらたな世界像を構築しようと試みます。本文中には登場しませんが、百科全書派による「百科全書」編纂の試みなども同じ方向性を持ったものと考えてよいでしょう。こうした中で、彼らは新たに彼らの世界に加わったアジアやアメリカ大陸なども含めた、従来よりも広い「世界」認識のもとに歴史を描こうとしたことが示されます。一方で、啓蒙思想が持っていた楽観的・進歩的世界観、いわば「世界はどんどん<良くなって>いく、<未開>から<文明>へと<進歩>していく」という価値観が根底にあって描かれる歴史であったため、「現実に即している」というよりはやや「頭の中で想像された」(思弁的な)歴史として描かれがちだったことが指摘されます。

 

7段落)

・ランケに始まる近代的な実証主義的歴史学の始まり(19世紀)

・史料と証拠に基づき、厳密に過去の事実を明らかにする姿勢

 =啓蒙思想の進歩史観の否定

・各時代、各地域の個性の価値を訴える

 →各国、各地域の(史料と証拠に基づいた)詳細な歴史学的研究が進む

・さらに、ランケは諸民族の歴史の寄せ集めを超えた「世界史」の記述を目指した

・一方で、ランケの「世界史」はヨーロッパ中心主義的な性格を持っていた

 7段落では、6段落で示された啓蒙思想家の描く進歩史観的で思弁的な「世界史」に対し、19世紀の歴史家ランケが史料に厳密に依拠する実証主義歴史学を始めることが紹介されます。ランケは、史料批判による科学的な歴史学を確立したとされ、「近代歴史学の祖」とも呼ばれる人物です。つまり、ここでは18世紀の啓蒙思想家の描く歴史が、世界の実像を描くと言いつつもどこか自分たちの進歩的世界観に引っ張られがちで、推測や憶測に基づきがちであったことに対して、昔の人が実際に残した史料を証拠として徹底した実証研究を行う近代歴史学の基礎が築かれたことが示されます。

また、啓蒙思想が、様々な事柄を「普遍的」な価値観によって本質的には同じもの、最終的には「進歩」した「文明」へと至るものと考えがちだったことに対して、ランケはそれぞれの地域や国に他とは違う個性が存在し、その個性を明らかにするためにも厳密な史料批判が必要との立場を示したことが述べられます。本文中には述べられていませんが、この「個性」(歴史)を重視する立場は以前ご紹介した19世紀前半のドイツの歴史学派などと共通するものがありますので、あわせておさえておくと内容がつかみやすくなるかと思います。

ランケ自身は厳密な史料批判を通して描き出した各国・各地域の歴史を最終的には「世界史」というつながりやまとまりをもった一つの歴史としてまとめることを思い描いていました。しかし、そうした「世界史」を描いたランケにしても、ヨーロッパ中心主義的な価値観からは逃れることができなかったことが示されます。また、本文中には示されていませんが、ランケは厳密な史料批判を主張しつつ、実際には恣意的に用いる史料を選択したり、特定の史料を偏って用いたりすることで、彼が「描きたかった」歴史を描こうとした傾向があったことなども指摘されています。こうした問題は現代における世界史記述においても起こりうる問題点で、「史料がある」、「証拠がある」から正しいとは必ずしも言えず、「史料・証拠をどう使うか」によって歴史は様々に描かれ得るという点には注意が必要かと思います。いずれにせよ、本文ではランケの創始した近代的な実証主義的歴史にも、限界があったことを指摘しています。

 

8段落)

・マルクス主義による歴史(史的唯物論[唯物史観])…19世紀におけるもう一つの試み

・史的唯物論 = 「生産力と生産関係の矛盾によって歴史が展開する」とする理論

・ランケが否定した、理論的・目的論的な歴史が再び提示される

・マルクス主義的世界史観は20世紀の歴史学に影響を与えた一方、ヨーロッパ中心主義的な性格がぬぐえない「世界史」だった

8段落では、ランケが提唱した実証主義的歴史とは別に、19世紀後半に成立するマルクスによる史的唯物論が紹介されています。史的唯物論では、本文中には紹介されていませんが、政治・法律・文化・思想などの「上部構造」が、経済的な関係(生産様式)である「下部構造」に大きく影響されると考えます。そのため、本文で述べられているように、「生産力と生産関係の矛盾によって歴史が展開する」と考えました。

このような唯物史観では、「Aという生産様式があればBという歴史になる」、「Cという生産様式に代わるとDという歴史にかわる」といったように、歴史はある程度理論的に分析可能な事象ととらえられています。本文では、こうした点を指して「理論的・目的論的な歴史が再び提示され」たと述べているわけです。

また、ランケの実証主義的歴史にせよ、マルクスの史的唯物論にせよ、彼らが生きていた「ヨーロッパ」を中心とする世界観からは脱却しきれなかったということが示されて本文は終わります。

 

【3、先生と高校生二人の会話を整理】

:続いて先生と高校生二人の会話を整理します。本設問の要求となっている空欄の文章は、高校生の一人が「現代において世界史の過去の在り方を学ぶ意義について、自分の考えを述べなさい」というレポートの内容の一部として示されていますので、先生や高校生たちが本文中に示された「世界史の世界史」についてどのようにとらえていたのかを正確につかまなければ適切な答えを用意することができません。彼らの会話・主張の要点をまとめると以下のようになります。

 

(先生)

20世紀後半に、本文中で示されている19世紀までの世界史の試みについての問題点を批判する新しい立場が登場したこと

・西洋中心主義を批判し、グローバル化は決して最近のものではなく、昔から国や地域を超えた動きが存在したという視点から歴史を描こうとするグローバルヒストリーと呼ばれる新しい世界史が見られるようになったこと

・グローバルヒストリーでは、従来の世界史が中心としてきた政治的な動きだけでなく、文化や生活なども含めた様々なテーマを扱い、ダイナミックな世界の動きを描こうと試みていること

・「グローバル」という地理的に広い概念からのアプローチだけでなく、長期的な時間の区分から世界史を考える視点も見られるようになったこと

 

(生徒A

・先生や本文の主張に同意する立場

・キーワードとして「世界の一体化」、「国家の枠を超えた会場ネットワーク」などを示す

・今の新しい世界史ではなく、過去の世界史に目を向ける意味とは?(問題提起)

 

(生徒B[レポートの書き手]

・先生や本文の主張に同意する立場

・「家畜・病原菌が世界の在り方に与えた影響」を指摘

・地球全体の姿を知らない世界において、「世界史」という意識が乏しいことを指摘

 

【4、生徒Bが書いたレポートのテーマをとらえる】

:続いて、先生と生徒の会話をもとに、生徒Bが書いたレポートのテーマが意味するところはどういうことなのかをとらえることが重要となります。

先生と生徒の会話は、基本的には先生が話のまとめ役となっていますので、先生の指摘した内容を確認することが中心となります。重要な点は、先生が本文中には書かれていない、「20世紀後半に登場した新しい世界史」の存在を指摘していることです。

また、生徒Bが書いたレポートのテーマが「現代において世界史の過去の在り方を学ぶ意義について、自分の考えを述べなさい」という内容であることを考えると、本文中に示されている事柄が「世界史の過去の在り方」や「世界史の世界史」であり、先生が指摘した20世紀後半から登場する新しい世界史やグローバルヒストリーが「新しい世界史」であるという分類のもとに、「新しい世界史」登場以前の「世界史の世界史」を学ぶことで、現代における「新しい世界史」にどのような意義をもたらすことができるか、ということが本設問の中心的なテーマとなっていることが分かります。

  

(生徒Bのレポートの導入)

:つづいて、生徒Bがどのような視点でレポートを書いたのかのヒントとして、生徒Bのレポートの導入部を確認する必要があります。生徒Bのレポートの導入部の内容をまとめると以下のようになります。

・従来は各国の歴史年表を横並びにすればよいと思っていた

・本文を読み、世界史はもっと広い視点や多様な描き方が必要と考えるようになった

・過去の世界史の問題点を批判する一方で、現代の世界史とのつながりや過去の世界史の試みに見られた視点を再評価する必要がある

これらは生徒Bが「これからこういう立場でレポートを書くぞ」という意思表明にあたる部分です、基本的には空欄の内容はこれらの視点に基づいて構築する必要があります。

 

【5、空欄の内容を構築し、文章化する】 

・レポートのテーマは「現代において世界史の過去の在り方を学ぶ意義」

:上述の通り、「新しい世界史」登場以前の「世界史の世界史」を学ぶことで、現代における「新しい世界史」にどのような意義をもたらすことができるか、を考える必要があります。

 

・生徒Bの導入にそって論を構築する

:生徒Bの導入には「過去の世界史の問題点を批判することも必要」だけれども「一方で、過去の世界史と現代の世界史とのつながりや過去の世界史の試みに見られた視点を再評価する必要」があると述べられていますので、基本的な論調は以下のようになります。

 

① 過去の歴史(世界史)には〇〇の点で批判されるべきところもあるが、××の点で評価すべき点もある

② 過去の歴史(世界史)の評価すべき××の点を見ることで、新しい世界史に必要な△△のような視点が見えてくる

③ 過去の歴史(世界史)を学ぶことは、新しい世界史をより豊かなものにするのに資する

 

あとは、過去の世界史の「批判されるべきところはどこか」と「評価すべき点はどこか」、新しい世界史の「問題点は何か」、「過去の世界史のどのような点を考えるとより良いものとなるか」などをとらえることが重要となります。その際にヒントとなるのが、生徒Bがレポートの導入で示した「従来は各国の歴史年表を横並びにすればよいと思っていた」、「本文を読み、世界史はもっと広い視点や多様な描き方が必要と考えるようになった」という視点です。つまり、「各国、各地域を別のものとして峻別してしまうこと」は「良くないこと(批判されるべきこと)」、「広い視点」や「多様な描き方」を示すことは「良いこと(新しい世界史の参考になること)」と考えているということですから、過去の世界史からこれらの要素を抜き出し、新しい世界史に不足している点を補うものとして活用するというまとめ方をすればよいわけです。

文章中に示された、過去の世界史の批判すべき点と評価すべき点をまとめると以下のようになるかと思います。


2024_上智_過去の世界史_長所短所

また、本文中には書かれなかった内容であっても、妥当性のある問題点の指摘や評価の仕方であれば、それを用いることは可能かと思います。たとえば、啓蒙思想の世界史や史的唯物論に見られるような、現実の分析を十分に行っていない過度な理論化やモデル化は批判の対象となるべきですが、一方で、近年盛んになってきた「新しい歴史」が、あまりにも多くの事柄を対象としていて全体としてのまとまりに欠けたり、逆に「つながり」や「交流」に焦点を当てるあまり地域社会の独自性が軽視されたりなど、様々な問題点を抱えていることも事実です。こうした「新しい歴史」の問題点に対して、ある一定の「モデル化」や「理論化」を通してまとまりをもたせたり、逆に地域社会の独自性の重要性を指摘するための材料として、過去の歴史の特徴を活用するべきだ、といった議論は成り立ちうると思います。

ただ、「新しい世界史」の問題点と展望というのは、現代の歴史学会でも一つのテーマとなるような難しい議論で、初めてこのテーマに出会う高校生がわずか90分の間に深く考えて独自の見解を示すには少々荷が勝ちすぎる内容かと思いますので、無理に独自の見解を出そうとせず、素直に本文の内容に沿って適切な議論を組み立てられれば十分かと思います。それで十分に評価の対象となる解答を作成できるはずです。

 

【解答例】

過去の人々は自分の認識できる範囲を世界として捉えたため、中華史や普遍史のように、地理的に限定されたり事実と乖離した宗教的・決定論的な面を持つなど、「世界史」としては不十分であった。近代以降、地理的・空間的認識が拡大し「世界」を意識した歴史叙述が始まったものの、ヨーロッパ中心主義の残存、啓蒙思想家やマルクス主義者の歴史の目的論的側面、実証を重視したランケによる地域史統合の挫折など、いくつかの問題は残った。しかし、過去の歴史叙述にも、中華史の地域・民族を超えた文化的枠組みに注目する視点、ヘロドトスなどが示した広域にわたる世界認識、自然全体の包含を目指した啓蒙思想の視点などが見られた。こうした多様な視点を学ぶことは、世界のダイナミズムを描く「新しい世界史」に豊かな視座を提供する一助となると考える。(350字)

 

ちょっといろいろ盛り込みすぎてバランスが悪くなってしまった気もしますが、方向性としてはこんな感じでまとめるのが妥当ではないかと思います。また、やや発展的内容ではありますが、上述の通り「新しい世界史」が抱える問題点を先に指摘し、それを解決するために過去の歴史叙述の視点が役に立つのではないか、という視点・論のたて方はあり得ます。ですが、おそらく高校生がこれを指摘してまとめるのは相当難しいかと思いますので、無難にリード文の主旨に沿って過去の歴史叙述の問題点を指摘し、その上で「新しい世界史」にどのような面で有用な視点があり得るかをひとつふたつ示してやる、というのが落としどころのような気がします。

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2025TEAP利用型のリード文は「学生になる、学生であること」の意味や価値について歴史的変化を概観した上で考察することをテーマとした文章でした。前年の「世界史の世界史」という文章に続き、具体的な歴史というより、やや抽象的な文章でした。さらに論述問題の方も本文を土台としつつ、「学生になる、学生であること」の意味を論じさせるというもので、世界史の知識をただ整理すればよいという類のものではなく、解答作成の自由度が高い一方で、受験生に本文の本質的な読解力・作文能力を要求するものでした。2020年頃から上智TEAP利用型の論述問題は、「受験生に自分の考えを述べさせる」スタイルの設問を模索してきたように思いますが、リード文の内容も含めて設問の「型」が徐々に整いつつある印象を受けます。来年度も類似の問題が出題されるとすれば、受験生には単なる世界史の丸暗記ではなく、一定の世界史知識と理解をもとに、文章の内容を読み取り、その上で自身の論を展開する確かな国語力が必要とされることになるでしょう。 

試験の基本的な形式については大きな変化はありません。小問が5題、200字論述が1題、350字論述が1題の90分試験でした。こちらも先日書いた出題傾向の方で述べましたが、2018年以降、試験の形式自体には大きな変化はなく、安定してきているように思われます。小問の内容についてはごく基本的なもので、大学入学共通テストやGMARCHクラスの設問が解けるのであれば難問といえるものはありませんでした。さすがに小問で取りこぼしたくはないですが、内容を考えると論述の配点が大きいと思われますので、早くから論述対策に取り組んでおくことが必要となります。

 

【小問(設問1、⑴~⑸)】

設問1

問⑴ d

:北宋の頃に導入された皇帝による直接試験は殿試。基本問題。

 

⒜ 郷挙里選は前漢の武帝の頃に始まったもので、高祖の時期ではない。

⒝ 九品中正法は結果として豪族の貴族化を招いた。

⒞ 科挙を朝鮮王朝で導入したのは李成桂であって世宗ではない。また、科挙自体はその前の王朝である高麗時代から導入されている。

 

問⑵ b

:ツンフトは同職ギルド(手工業者の同業組合)のことを指し、商人ギルドとは異なる。受験生の中には商人と手工業者を混同してしまう人がいますが、商人は「物品の流通・販売を担う人」であり、手工業者は「物品の製造を行う人」です。つまり、商人は「売る人」、手工業者は「作る人(職人)」と簡潔に区別できますので、意識しておくと良いでしょう。

 

問⑶ d

:三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約(1648)によって、カルヴァン派も公認された。

 

⒜ ドイツ農民戦争において、ミュンツァーが指揮する農民軍が農奴制廃止などを要求する「十二か条」を掲げると、ルターはこれに反対し、諸侯に鎮圧を訴えかけた。

⒝ サン=バルテルミの虐殺(1572)はユグノー戦争(1562-1598)中に発生した事件。

⒞ ルター派のドイツ諸侯が結んだのはシュマルカルデン同盟。

 

問⑷ c

:インドの初代首相となったのはネルー。ガンディーはインド独立の翌年に暗殺されるが、その当時で78歳の高齢。

 

問⑸ a

:ハンガリーで反ソ暴動が発生したのは1956年。この年にソ連が行ったスターリン批判をきっかけに自由化の波が強まったことが背景にあった。ソ連はこれに介入し、首相ナジ=イムレは連行されて秘密裏に処刑された。スターリン批判とポーランド・ハンガリーにおける反ソ暴動(1956)は冷戦史の中でも頻出の基本事項。

 

設問2(論述問題、200字以内)

【設問概要】

・リード文中の下線部(第一次世界大戦を契機に社会が大衆化した)に関連して、第一次世界大戦が参戦国の政治・社会に与えた影響について説明せよ。

200字以内。

・指定語句:植民地 / 女性参政権 / 総力戦 / 民族運動 (下線を引く)

 

:第一次世界大戦の影響については、いろいろな大学でも出題される超頻出の問題で、論述問題としては基本問題といってよい問題です。この年の受験生でこちらの問題を取りこぼしてしまった場合は、かなり不利な状況になったのではないかと思われます。一応、「参戦国の政治・社会に与えた影響」という限定はされていますが、特に目新しいところもない設問ですので、以下に第一次世界大戦の特徴ならびにこの戦争が各所に与えた影響と、解答例を示しておきます。

 

(第一次世界大戦の特徴)

① 世界大戦

:ヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ・アメリカなどの各地が様々な形で戦争にかかわった世界大戦となったこと。

② 新兵器の登場

:毒ガス、戦車、飛行機などをはじめとする新兵器が登場したこと。

③ 総力戦

:国家の総力を動員し、工業力をはじめとする国力が戦争の勝敗を決定する総力戦となったこと。(銃後への戦争拡大[女性の軍需工場への動員、経済活動の国家統制など]、植民地からの戦力・物資の動員、挙国一致内閣の成立など)

 

(第一次世界大戦の影響)

① 植民地における民族運動の高揚

:戦争のために物資や人員を動員した植民地では、自治や独立を要求する民族運動が高揚

② 女性参政権の拡大

:女性の目に見える形での戦争協力が評価されたことや、ドイツ・ロシアで起こった革命などが原因となって、主要国において女性参政権が拡大し、大衆の政治参加がさらに進んだ。

 

[第一次世界大戦前後に女性参政権が成立した主な国]

・ソヴィエト=ロシア(1917

・ドイツ、イギリス(1918

・アメリカ合衆国(1920

 

③ 国際関係の変化(ヨーロッパの相対的地位の低下)

:ヨーロッパ列強中心の国際体制が動揺し、相対的地位が低下。また、東欧周辺の4つの帝国が消滅(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ロシア帝国)。一方で、アメリカ合衆国が台頭し、後にはソ連や日本などが存在感を増す。

 

(解答例)

総力戦となった第一次世界大戦で各国経済は疲弊し、その影響で革命が発生したドイツとロシアでは、ヴァイマル共和国とソヴィエト=ロシアが成立した。また、女性が総力戦の一翼を担ったことで、英・米でも女性参政権が認められるなど、大衆の政治参加が進んだ。物資や人員を供給した植民地では権利意識が高まったが、ヴェルサイユ体制下での民族自決がアジア・アフリカに適用されなかったことから、民族運動や独立運動が高揚した。 (200字)


設問3(論述問題、350字以内)

【1、設問概要】

・波線部に関連し、学生になる、学生であることが持ちうる普遍的な意味、もしくは複数の地域や時代に共通する意味を論ぜよ。

・波線部は以下の通り。

「学生になる目的や学生であることの意味は時代や地域によって異なり、それに応じて社会における学生の役割や学生に対する社会のまなざしも多様でありうるのだ。しかし、逆説的に、そうした歴史的変化を俯瞰できてはじめて、学生になる、学生である、ということの普遍的な意味や価値も見えてくるのではないだろうか。」

・問題文の内容を踏まえよ。

・論ずる際に、論の裏付けとなるような歴史的な出来事・具体的な事例を複数挙げよ。

300字以上350字以内。

 

【2、設問の要求を正確にとらえる】

:設問の意味を何となくとらえてしまっては、答えを用意することはできません。本設問に限らず、設問の要求を正確にとらえることが論述問題を解くときの基本です。特に、本設問の場合は問われている内容が具体的な歴史的事項ではなく、やや抽象的な内容ですので、通常の設問以上に設問の要求を正確にとらえることは重要となります。本設問は、

 

① 学生になる、学生であることが持ちうる普遍的な意味を論ぜよ。

② もしくは、複数の地域や時代に共通する意味を論ぜよ。

 

とありますので、これらを理解することが重要となります。

まず、「もしくは」とありますので、①または②のどちらか一方を答えれば良いということになります。

では、①とはどういうことでしょうか。以前にもご紹介した気がしますが、「普遍的」とは「時代や場所を超えて、変わらずに当てはまる」ことを指します。ですから、本設問は「学生になること」や「学生であること」が、時代や場所を超えて共通して持ちうる意味にはどういったものがあるか、と読み替えることが可能です。そのように考えますと、②の意味もほぼ①と同じことを聞いていることが分かります。ただし、①は「普遍的な」とかなり広くとっているのに対し、②の方は「複数の地域や時代」とやや限定的な問い方をしていることになります。

①、②のいずれにしても、「学生になる、学生であること」が、多くの場合に共通して持ちうる意味について論ずることを要求されていることには変わりありません。あとは、その要求に従って論を組み立てるだけです。

 

【3、リード文の内容を整理する】

続いて、リード文の内容を読解し、整理します。設問には論の裏付けとなる歴史的な出来事や事例は「問題文に挙がっているものでなくてもよい」とありますが、それでも自分で勝手に作ったあまり一般的ではない事例を挙げても論に説得力が出ませんし、一から話の流れを作るのも大変です。それよりもむしろ、リード文の内容を整理することを通して、「出題者はどのような議論・立論を想定しているのか」をある程度読み取った方が、全体像を把握しやすくなるはずです。

 

リード文には、学生や大学についての話として、①辞書的な意味、②西洋中世、③西洋近世、④近代、⑤第一次世界大戦以降~20世紀後半、現在の日本、の大きく6つの区分で、それぞれの変遷について述べていますので、これらを整理してみます。設問で聞かれているのは「学生」についてですが、学生について書かれている場所が少ないことや、大学の意味を通して学生の意味も考えることができることから、ここでは学生と大学の両方について整理していきます。

 

① 辞書的な意味

学生:学問をしている人。特に大学に通って学ぶ人。

大学:⑴ 中国の周代以降、王者の建てた最高学府。管理の養成機関。 ⑵ 高等教育の中核をなす学校で、学術の研究および教育の最高機関。

② 西洋中世

学生:学問をしている人。

大学:学者や教師、学生たちの独自の組合から発したもの。大学が先にあるのではなく、人が集まり大学を成した。

③ 西洋近世

学生:聖職者・官吏・医者・教師になるのと同義。官公吏の予備軍。

大学:領邦(国家)と大学の結びつきが強まる。

④ 近代

学生:専門化された学問を追求するために学生になる。国家や社会の中枢を担うエリートの卵。学生ではない人や女性を自分たちとは異なると差別するエリート男性意識と結びつく。

大学:学術機関として発展。(従来からの学問分野における成果、新しい専門分野の確立など。)外国からの留学生も受け入れる。人脈作りの場。行政・司法・医療・教育などの各分野に専門家を輩出するための機関。

⑤ 現代

学生:近代と比べると「学生=エリートの卵」という等式が成り立ちにくくなったものの、名門大学の学生になることは依然として社会的上昇のための有力な手段や自己実現への近道。20世紀後半には既存の政治・経済体制、文化規範を批判する精神と行動力を持つ社会集団に。

大学:大衆に門戸が開かれ、女子の学生も増加。(「エリート型」から「マス型」へ。)国家や社会について学生が意見をかわし、行動を起こすための公共圏としての側面を持つ。

⑥ 現在の日本

学生:カスタマー化した存在。様々な目的を持って学生になる者が増えたため、主体的に活動する学生だけでなく、ただ大学からのサービスを受け取るだけの受動的な学生が増加。

大学:レジャーランド化。社会的上昇や自己実現よりも、別の目的のために楽しむ場。

 

【4、共通している点と変化している点を整理】

:3で整理した内容をもとに、各時代・地域における学生や大学の、どのような部分に共通した意味・内容を見いだせるかや、また逆に時代とともに変化した点が何かについて整理して、自己の立論の核となる部分を見定めます。少なくとも、リード文の読み取りが正確で、かつその後の立論が設問の要求に沿ったものとなっていれば、大きく的外れな解答を作成してしまう危険性はぐっと減ります。

 

(学生・大学に共通する点)

・学問を学ぶ場所であり、学ぶ人であるということ

・多くの時代について、国家と結びつき、また国家を支える人材を輩出してきたこと

・意見交換の場や公共圏として作用した時代があったこと

・時代によって目的は変わるものの、学生たちはそれぞれの目的をもって大学に入ること

 

(学生・大学の変遷)

・学生や教師などの人的結合が大学の中核をなすこともあれば、大学という施設や制度が中核となって人を引き付けることもあったこと

・国家に有用な人材を輩出する機関として機能することもあれば、国家とは離れた形で学問を学ぶ場所として機能することもあった

・特定の身分集団(ギルド、エリートの卵、男社会)を形成することが多かったものの、近年は大衆化し、女子の参加も増加するなどの変化が見られること

・学生の目的は、学問研究、特定の職につくことやエリートになること、社会的上昇や自己実現を達成すること、青春を謳歌することなど、時代によって大きく変わること

 

概ね、こんなところかと思います。本設問では普遍的な意味や、共通する意味が問われていますので、共通点を中心に立論を考えていくことになります。

 

【5、共通点を示す際に、論の裏付けとなる歴史的事項を整理】

:立論の際には、「学生になること、学生であること」が持ちうる普遍的な意味や共通点を示すにあたり、それを裏付ける歴史的事実なども挙げる必要があります。ここでは、4でまとめた共通点を軸にして、関係する事柄にどんなものがあるか考えていきます。

 

① 学問を学ぶ場所であり、学ぶ人であるということ

:こちらについては、辞書的な意味のほか、中世から現代にいたる大学を例として挙げれば十分でしょう。


② 多くの時代について、国家と結びつき、また国家を支える人材を輩出してきたこと

:こちらについては、まず辞書的な意味のほか、近世の神聖ローマ帝国や近代の国民国家における事例などを中心に挙げればよいでしょう。日本の近代化の事例を挙げるのも良いかと思います。

学問と国家の結びつきという点では中国の科挙なども思いつきやすいかと思います。ただし、中国では国家によって設立された最高教育機関は前漢武帝による「太学」や、西晋の頃に設置され、隋の文帝により整備された「国子監」などとなるため、本文で挙げられている西洋の大学とは趣が異なる点には注意が必要です。

また、イスラーム圏における大学、マドラサについても例示できるかと思います、マドラサはシャリーアなど、クルアーンに基づく学問を学ぶ場で、ウラマーが養成される場でしたが、官僚(特に法官・書記・行政官)として国家に仕える人材の教育機関としての役割も果たしていました。法官(カーディー)や勅令起草官・財務官など、シャリーアに対する深い理解を必要とする職に就くにはマドラサで教わる知識が不可欠でした。また、セルジューク朝のニザーム=アル=ムルクによるニザーミーヤ学院では、ウラマーだけでなく政務に携わる学識者の育成も行い、国家官吏の養成機関としての側面も持っていました。

「科挙」や「マドラサ」といった用語は世界史ではごくごく基礎的な知識ですが、本文の内容に頼るだけでなく、こうした用語・視点をところどころで織り交ぜることで、様々な時代・地域において大学が国家と結びつき、国家を支える機能を果たしていたことを、より説得力をもって示すことができます。(本文の内容は、時代こそ違えど大部分が西欧における内容なので、それを補うことができます。)


③ 意見交換の場や公共圏として作用した時代があったこと

:たとえば、中世のウニベルシタス(ユニベルシタス)は教師と学生によって構成された一種のギルドであり、教師と学生が大学における自治を担っていました。また、当時の学生たちは大学のある場所とは別のヨーロッパ各地から集まってくることが普通でした。自治を行うにあたり、学生たちは互いの意見交換を行ったり、時には教師の集団と対抗したり、移転をほのめかして市当局と交渉するなどして、独自の場を構成していました。こうした点を、ベトナム戦争中の反戦運動を展開して既存の政治・経済体制や文化規範を批判した合衆国の学生や、グローバルに反戦運動を展開した世界の学生とあわせて示すのも良いでしょう。また、日本であれば安保闘争や全共闘などの学生運動を例示しても良いかもしれません。

少し脱線しますが、公共圏というのは、「人間の生活において、他者や社会と相互に関わりあいを持つ時間や空間、または制度的な空間と私的な空間の間に介在する領域」のことを言います。公共圏という言葉自体をはっきり定義するのは難しいのですが、この議論の先駆者であるユルゲン=ハーバマス18世紀のヨーロッパ市民社会において成立した「ブルジョワ公共圏」の分析を通してこの公共圏を考えていましたので、世界史に登場するもので言えば17世紀以降に登場したカフェ、サロン、新聞などが公共圏を成したものと考えてよいかと思います。これらのように、完全に「家庭内(ドメスティック)」な領域ではないけれども、一方で完全に「公的」な領域ではない空間のことを指して「公共圏(Public Sphere)」と呼びました。(もっとも、ハーバマスはドイツの人なので原語はエッフェントリヒカイト[Öffentlichkeit]ですが。) 今風に言えば、SNSとか市民団体の討論会などはこうした公共圏といってよいかと思います。要は、国家とは無関係な独立した空間において、公共善などの社会全体や比較的広く共通される諸問題などについて、理論的に自由な意見交換が可能な場のことと考えてよいのではないかと思います。

公共圏は歴史学の分野でも注目されている分野ですので、歴史学研究をしている人なら多分ハーバマスまたはミシェル=フーコーなどには一度は触れるかと思います。この分野について知るのであれば、まずはハーバマスの『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳、未来社、1973年)は邦訳も出ていますので、こちらを読まれるのが良いかと思います。また、公共圏について具体的な実像を見たい場合には、イギリスの事例に偏ってしまいますが、『近代イギリスと公共圏』(大野誠編、昭和堂、2009年)はいろいろな事例が示されていて面白かったです。

 

④ 時代によって目的は変わるものの、学生たちはそれぞれの目的をもって大学に入ること

:これについては、正直当たり前といえば当たり前のことなので、あまり強調しなくても良いかと思います。上記②と結びつけて述べたり、またリード文では現在の学生がレジャーランドにいるカスタマーとして見られていることが示されていますので、そうしたものと結びつけて論じてみても良いかもしれません。

 

【解答例】

学生になる、学生であることは、「学問を学ぶ人」という普遍的意味を持っていたが、同時に国家を支える人材となることを意味することも多かった。科挙に挑戦した書生や、マドラサで学んだウラマーの多くは官僚となり活躍したし、近世・近代のヨーロッパでは、学生は聖職者・官吏・医者・教師の予備軍であり、学生になることは社会的上昇や自己実現の機会を得ることを意味した。一方で、大学の自治を担った中世のウニベルシタスや、言論の自由を求めたブルシェンシャフト、反戦運動を展開した20世紀後半の学生運動のように、学生は一種の公共圏たる大学において既存の体制や文化を批判する勢力ともなり得た。このように、専門的知識を持つ学生になることは、国家を支え、社会を変革することが可能な存在となることを意味していたと考えることができる。(350字)

 

解答例は上記【5】でまとめた内容のうち、を中心にまとめてみました。ちなみに、本設問の模範解答は上智大学のHPでも公開されています。そちらでは、学生たちが「国家や政府を批判的に捉えて変革しようとして、大きな存在感を示す」存在としてとらえ、具体例としてブルシェンシャフト、ベトナム反戦運動、第二次天安門事件、香港の雨傘運動などを示していますので、主にの内容をまとめたものになっています。このように、本設問はリード文に示されている普遍的意味ないし時代や地域を超えて見られる共通の意味を取り違えることさえなければ、様々な事例をもとに色々な事柄を挙げて答えることができる、比較的解答作成の自由度が高い設問となっています。その分、解答を作る受験生の読解力・文章構成力・世界史の基礎知識を満遍なく問うことができる良問となっているように思います。ただし、採点は大変でしょうね…。


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上智のTEAP利用型も、導入されてからずいぶん経ちまして前回の2025年でもう11年目です。月日の経つのは早い。さすがにこれだけ時間が経過すると、試験形式の方も落ち着いてきて、形がしっかり定まってきたように思います。現在の基本的な試験形式は以下の通りです。


・試験時間:90分

・設問数:小問5、論述2問(200字論述+300字~350字論述)


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2018年に試験時間がそれまでの60分から90分に変更され、そのあたりから設問数はほぼ5問で統一されるようになりました。論述問題については、最初の方こそ字数が安定しなかったものの、2020年以降は「200字論述+300字または350字論述」の形で安定しています。もちろん、突然の試験形式の変更などはありえますが、とりあえずはこの形で出題されることを期待して良さそうです。

上智TEAP利用型世界史の問題では、小問は相変わらずごく基本的な内容で、大学入学共通テストレベルの知識があれば解ける問題が大半です。5問とも全て選択式となっており、問題数が少ないことを考えても、取りこぼすことなく全問を正解したいところです。


一方で、最後についている論述問題についてはかなり手ごたえのある問題となっています。以下は、2015年~2025年までに出題された論述問題の設問概要一覧になります。

スクリーンショット 2025-05-14 224615


以前、2021年までの問題を分析した記事で指摘しましたが、2019年までは史料読解の必要はありつつも基本的には世界史の知識と読み取った情報を整理してまとめれば十分であったのに対し、2020年と2021年の論述問題では解答者自身の見解や用意された文章の文脈を考慮する必要があるなど、解答者自身が自分の言葉で語る必要のある設問が続けて出題されるといった傾向の変化が見られました。

まさに、このあたりの時期から、論述問題のうち第2問目の300字~350字論述の方では、資料の読み取りに加えて受験生自身の受験生自身の歴史に対する視点や立論の仕方などを問うスタイルの問題が出されるようになりました。大学入試と言うよりは大学で出される論文試験に近いスタイルの問題と言って良いと思います。ただし、やや受験生の主観に左右されそうであった2020年の出題の仕方とは異なり、2021年以降の設問はあくまで世界史の知識と与えられた資料をもとに、受験生がどのように情報を整理するか・論を立てるかが問われており、基本に世界史に対する深い理解が必要となるスタイルの設問となっています。それにともない、200字論述の方はそれまでの少し凝った雰囲気がなくなり、世界史の基本的知識を説明させるスタイルの平易な出題が続いています。
こうした試験形式を見るに、小問と200字論述をしっかりと解き切る世界史の基礎力を身につけることは必須です。その上で、300字論述をある程度はまともにかけるようにするというのが、まずは目指すべき目標となるかと思います。

また、以前はかなり限定されたテーマについて述べるリード文が主体で、時代的にもはっきり何世紀をテーマにしているということが言えたのに対し、直近2年のリード文は世界史の個別テーマと言うよりは、より一般的なテーマをもとにして世界史的な意味や視座を問うというスタイルのリード文に変化してきています。そのため、厳密に何世紀頃のことをテーマにしているということは言えなくなりました。特に根拠はなく、カンではありますが、この傾向は今後も続きそうな気がします。依然として近現代史に対する理解が最重要であることには変わりがありませんが、これまで以上にリード文、資料の読解が重要となり、世界史の知識をベースとしつつも、国語力(読解力だけでなく文章作成能力も含めた)が要求される出題に徐々に内容がシフトしてきているように感じます。採点は大変かと思いますが、個人的には受験生の総合力を問う良い設問だと思います。(ただ、問題のバランス的にもう少し小問を増やしたりしてくれても良いかなぁとは思います。)

非常に対策が難しい問題ではありますが、練習・対策用としては上智TEAP利用型の過去問演習は必須です。それ以外に練習材料として使えるということであれば以前からお話ししている通り、東京外国語大学の過去問が良いと思います。扱っている時代、小問数、論述問題が資料読解を必要とする点、論述問題の字数など、類似している点も多く、やや設問の内容に方向性の違いはあるものの、良い練習材料になると思います。また、論述対策は必ずしもないのですが、ICUの人文・社会科学考査あたりは、少しレベルの高い人文社会学系の長い文章を読み、その内容をしっかり理解できているかを確認するトレーニングとしては有用な気がします。(ただし、文章のレベル自体は上智TEAP利用型よりも一段上の文章が多いので内容的には難しい。) 個人的には、材料は上智TEAP利用型と東京外国語大学の過去問で十分かと思いますが、自学自習はかなり難しいので、世界史について深い理解があり、国語力も兼ね備えた信頼できる指導者に解説・添削ともに指導してもらえるのであればそれに越したことはないと思います。学校の先生が「使える」のであればバリバリこき使うのもアリでしょうw

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(注意:本記事は2015年~2021年分を分析した記事になります。)

 

 上智のTEAP利用型が始まって今年で7回目です。上智は2015年度からTEAPを活用した試験を導入してきましたが、この試験では世界史が採用されています。かなり本格的な史料読解と論述試験が採用され、多少の試験形式の変更はあるものの、史資料を提示し、それに関する5問程度の小問と2題の論述問題を課すというスタイルに変更はありません。開始から7年分が出そろったということで、データとしてもかなりまとまったものになってきておりますので、以前書いた分析記事の更新を行ってみようかと思います。もっとも、以前から2年分しか追加されておりませんので、内容的に変わらない部分もあるかと思います。年ごとの設問解説は別途掲載しております(一部、抜けている年があります)ので、そちらをご覧ください。

過去7年分の上智TEAP型の設問データは以下の通りです。

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(試験時間、設問数、論述字数と全体のテーマ、扱われた主要な時代)

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(論述問題内容一覧)

試験形式については、初年度と2年目についてはやや安定を欠きましたが、その後は概ね小問5問前後、論述2題の形式に落ち着いています。ただし、リード文として示される文章の量と、論述として要求される字数についてはかなりの差があるので注意が必要です。また、試験時間については当初60分試験であったものが、ここ4年間は90分試験に変更されています。そうした意味で、過渡期であった2017年の設問は論述の難度、字数、試験時間を考慮した場合にややアンバランスなものとなり、受験生にはかなり厳しい年となりました。おそらく、この2017年問題がこれまで出題された設問の中では条件も含めて考えた場合に最も難しかったものだと思います。

上智TEAP利用型世界史の問題では、小問には特別見るべきものはありません。2020年にやや難化したかと思われましたが、2021年の小問ではむしろ簡単になりましたので、平均してみれば旧センター試験または中堅私大クラスの出題がされているかと思います。問題数が少ないことを考えても、取りこぼすことなく全問を正解したいところです。論述問題については意外に一橋に通じるものがあり、史料読解と世界史の知識を合わせて適切な解答を用意するというプロセスを受験生に要求します。史料を読ませる、という意味では東京外語の問題とも似たところがありますが、外語の問題よりも解答作成に際して史料に依拠する割合が高い(史料から読み取った内容を解答に反映させる必要があることが多い)です。また、外語の小問数が多いのに対して上智の小問数は少なく、論述が占める割合が非常に高くなっています。(もっとも、それが配点の面においてもそうであるかは定かではありません。)また、こうした史料読解型の設問はこれまで東大ではあまり出題されてこなかったのですが、つい最近東大でも史料の読み取りと利用を要求する設問が出題されました2020年)。もっとも、東大ではその後通常の出題形式にもどりましたので、今後どうなるかは分かりませんが、大学共通テストでも史資料を用いた出題が増加していることを考えると、今後こうした出題が増えてくることはほぼ確実かと思います。上智の世界史論述問題は、年によって良し悪しはありますが、全体的に論述問題としてはよく練られていて、質はかなり高いと思います。

 全体のテーマも論述も近現代史が中心です。今のところは16世紀以降しか出題がされておらず、また16世紀について出題された2020年を除けば、18世紀以降からしか出題されていません。また、地域としてはヨーロッパとその周辺が主です。前回の解説では「アジア・アフリカでも植民地史や独立のプロセスなどはしっかり追っておくべきでしょう。」としておりましたが、2021年問題はまさにロシアの進出と中央アジア(一部イギリスの進出)が主要なテーマでした。また、2020年問題はアジアも関連はしていましたが主要なテーマはフランシスコ=ザビエルやイエズス会宣教師の布教活動で、やはり主軸が置かれているのはヨーロッパであったと思います。テーマ自体は一橋よりも東大や外語に親和性がある気がします。類似の設問として、前回解説では2016年のスペイン領と13植民地の「対照的な」という表現が1998年東大のアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国の対照的発展についての問題と類似していること、2018年のヨーロッパ統合の「加速」・「抑制」要因という表現が、2006年東大の戦争の助長要因と抑制要因についての問題を思い出させることなどを指摘しましたが、これに加えて2021年のロシアの進出とユーラシアの国際関係というテーマが2014年の東大で出題されたロシアの対外政策とユーラシア各地の国際関係変化について述べるという問題と似通っていることも追記しておきたいと思います。やはり、「別の大学の過去問は見る必要がない」とすぐに切り捨てるのではなく、余力があればですが、幅広く様々な問題に触れておくことが結果として対応力の底上げにつながるのではないかと思います。

 注意点としては、2020年から2年続けて論述問題の質が変化しています。2019年までは史料読解の必要はありつつも基本的には世界史の知識と読み取った情報を整理してまとめれば十分であったのに対し、2020年と2021年の論述問題では解答者自身の見解や用意された文章の文脈を考慮する必要があるなど、解答者自身が自分の言葉で語る必要のある設問が続けて出題されています。この傾向が今後も続くかどうかは分かりませんが、今後も続くとすれば受験生はかなりの文章読解力と文章作成力を要求されることになります。また、今後は同様の問題が出題されない場合でも、これまでの上智の出題を見るに何かしら実験的な出題や変化が起こってくる可能性は十分に考えられます。過度に過去問の傾向に頼りすぎるのは禁物です。目先の変わった問題に出くわしたときに焦らない気構えと対応力を備えておくべきかと思います。一方で、時代と場所・テーマについては近世以降のヨーロッパ史が主であることは確かです。ただ、これも7年分しかデータがないということは肝に銘じておくべきかと思います。

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2021年の上智TEAP利用の問題でリード文に選ばれたのはロシアのユーラシア内陸部(中央アジア)における南下とイギリスとの対立、いわゆるグレートゲームを扱った文章でした。このテーマについては、東大がかなり真正面から取り扱った設問が2014年に出題されていますので、こちらの解説が参考になるかと思います。また、ロシアの南下政策や東方問題についてもこちらで解説しています。もっとも、上智のこの年の設問で問われている内容はロシアの南下政策とイギリスとの対立そのものではありません。ただ、小問の方ではそれに関連して身につく知識で解けるものが多く出題されておりますし、最後の論述問題についても英露の対立の状況を理解している方が書きやすいかなと思います。いずれにしても、ロシアの南下は19世紀史の一大テーマなので、他大の受験を併願することを考えても、うろ覚えにすることなくしっかりと確認しておくにこしたことはないでしょう。

この年の設問として非常に興味深かったことは、最後の論述問題が世界史の知識と本文、設問をベースとしつつも、基本的には受験生自身の言葉で書かせることを目的として出題されているという点でしょう。この点については、上智大学の2020年TEAP利用型世界史で出題された「香料と霊魂」について「解答者自身の考えを述べよ」とした設問と同じ流れをひいているかと思います。ただ、2021年の設問では、ある文章の段落末尾の文章を受験生に作らせるという形式であり、さらにこの文章に加えて「冒頭の問題文(リード文)の論旨を踏まえよ」となっていますから、受験生自身が文章を作る反面、その内容については完全な自由回答ではなく、一定の基準の中で解答を作成することが要求されています。この点、ほぼ解答者の自由回答となっていた2020年の論述問題とは大きく異なります。(2020年問題は「香料と霊魂」といった受け止められ方が一般になされているのはなぜか、という点については暗黙のうちにリード文等を参考にすることが求められていますが、その後の「解答者自身がそのような受け止め方に対してどのように考えるか」という部分については特に問題文を参照にしろなどの指示は出ておりませんので完全な自由回答です。) 2020年と違い、2021年の問題では解答作成のための基準・指針が示してあることになりますので、ある意味安心して解答を作成できることになります。いずれにしても、大学側としては「受験生自身の情報整理能力と文章作成能力」を見たいと考えていることは明らかで、そのための出題が2年連続で続いたことになります。まだ2年しか続いていないので、2022年の問題もそうなるかは未知数ですが、同じ形式の出題が出てきたときに戸惑わないようにしておく必要はあると思います。

その他の形式には大きな変更はなく、小問が5題、200字論述が1題、300字論述が1題の90分試験でした(2020年は小問6、200字論述1,350字論述1の90分試験)。 小問の内容は2020年の問題と比べるとかなり易化しているように思いますので、1問の取りこぼしもないようにしたい設問です。論述問題のうち、200字論述についてはすでに何度か他大でも出題されているもので目新しいものではありませんし、テーマとしても難しいものではない標準的な設問です。受験生の間で差がついたとすれば、やはり最後の300字論述でしょう。こちらの論述は単なる英露対立ではなく、カフカースやトルキスタンといった中央アジア地域における地域秩序の本来の姿がいかなるものであったかを、同地域における少数勢力の抵抗運動を参照しながら説明する必要があり、高校世界史で通常学習する知識に加えて、リード文や設問の説明文など色々な情報を取り入れ、整理する必要のある設問です。あまり抽象的になってしまうととりとめのない文章になってしまうので、適度に具体例なども示す必要があり、要求されている内容は(知識面というよりは文章を作る力という面で)かなり高いと思います。こうした設問に対応するためには、普段から論述問題や、その他文章を書くことに慣れておく必要があるでしょう。

 

【小問(設問1、⑴~⑸)】

設問1

問⑴ a

:クリミア半島がロシアの支配下に入るのはエカチェリーナ2世(在:1762-1796)の時で、ピョートル1世(在:1682-1725)の時ではありません。ピョートル1世の時にはたしかにロシアの南下政策の端緒が開かれますが、この時の進出は黒海北岸のアゾフ海まででした。

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 これに対し、クリミア半島を支配下に置いたのがエカチェリーナ2世でした。同地の領有を目指したエカチェリーナ2世はトルコに宣戦を布告して勝利をおさめ、1774年にはキュチュク=カイナルジャ条約(キュチュク=カイナルジ条約)で講和し、オスマン帝国はクリミア半島に存在した属国クリム=ハン国に対する宗主権を喪失します。この結果、クリム=ハン国に対するロシアの影響力は急速に高まり、エカチェリーナ2世の愛人であったグリゴリー=ポチョムキンの進言によってクリミア半島併合(ロシアによる直接統治)が決定・実行されました(1783)。

 

問⑵ b

:アレクサンドル2世(在:18551881)は1861年の農奴解放令で良く知られています。クリミア戦争(18531856)中に亡くなったニコライ1世にかわって皇帝となったアレクサンドル2世は、クリミア戦争の敗北でロシアの後進性が明らかとなると、ロシアの近代化を目指した諸改革を進めます。内容的には不十分であったものの、農奴解放令はロシアで産業革命が始まる原動力となりましたし、地方の自治機関であるゼムストヴォの設置によって地方レベルではより広い範囲の人びとが政治に参加することになりました。しかし、こうした諸改革は1863年に起こったポーランドの反乱(一月蜂起)をきっかけに後退し、アレクサンドル2世の政策は反動化したというのが一般的な理解となっています。(もっとも、これについては諸説あります。)

ですから、bの文章の「一貫して自由主義的であった。」の部分が誤りとなります。念のため、山川の用語集と『詳説世界史研究』(山川出版社)の該当箇所のみ引用します。

 

 「アレクサンドル2世」の項目より

 …63年のポーランド反乱鎮圧後も改革は進められたが、次第に反動化した…

  (全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集:改訂版』山川出版社、2018年版)

 

  …631月、革命派の主導で武装蜂起が始まり…ロシアは軍を派遣して蜂起を制圧する一方、…1866年、革命派の青年カラコーゾフによる皇帝暗殺未遂事件が起こると、政府は反動的姿勢を強めた。

  (木村靖二ほか編『詳説世界史研究』山川出版社、2017年版、p.334

 

実は、このアレクサンドル2世の改革とポーランド蜂起に関するくだりは、以前の詳説世界史研究と比べて大幅に加筆・修正が加えられたところです。19世紀の東欧各国の状況についてはかなり詳しい解説が加えられており、これまでの画一的な理解に対して最新の研究動向を踏まえての記述となっているので注意が必要です。ロシアのこの部分についても、アレクサンドル2世の改革を単に「反動化した」で片付けていいのかという視点から、多角的に丁寧に述べられているように思います。ただ、こうした微妙な記述の変化が教員や受験生の間に浸透するには時間がかかりますし、アレクサンドル2世の改革が一定のレベルで後退したことも事実です。また、用語集にもある通り基本的には反動化したと考えられていますので、本設問ではbを誤り(正解)として選ぶのが妥当かと思います。

 

問⑶ c

:インド大反乱(18571859)中の1858年にムガル帝国が滅亡したことならびに東インド会社が解散させられたことは基本事項です。そのため、cの文の「イギリス東インド会社は従来の活動を継続した」は誤りです。

 

問⑷ b

:イギリスは19世紀の2度にわたるアフガン戦争でアフガニスタンを保護国としますが、当時のアフガニスタンはイギリスの進行にかなり激しく抵抗し、一部においては勝利を収めるなどしており、イギリスがアフガニスタンを保護国化できたのは外交交渉の部分も大きいものでした。そのため、イギリスによるアフガニスタン支配の基盤はかなり弱く、第一次世界大戦でイギリスの余力が失われるとアフガニスタンは1919年にイギリス領東インドに逆侵攻を開始し、戦闘の末、イギリスとの交渉によって外交権を回復し独立を達成します。つまり、アフガニスタンは1919年の段階ですでに独立国となっておりますので、二次大戦後までイギリスやロシアの勢力争いの舞台になる理由が(本当はないことはないのですが)ありません。

 また、第二次世界大戦後のイギリスは国力を大きく衰退させ、中東やアジア方面への支配力を失っていきます。たとえば、アメリカ合衆国がギリシア・トルコへの支援表明を行ったトルーマン=ドクトリンは、同地域への影響力行使をイギリスが放棄したことがきっかけでした。(英の支援が途切れたことで同地域が共産化することを防ごうとしたもの) また、イギリスはパレスティナ地域についても手に余って国連に丸投げ(国連のパレスティナ分割案)しますし、インド・パキスタンの独立も認めていきます。こうした文脈が理解できていれば、直接アフガニスタンの状況を世界史で習っていないにしても、「イギリスとロシア(ソ連)の間でアフガニスタンへの支援競争が続いた」という文章が極めて不自然であるということには気づけるはずです。

 

問⑸ c

:ソ連の承認が最も遅かった主要国はアメリカ合衆国です(1933年に承認)。イギリスのソ連承認はマクドナルド労働党政権が成立した1924年、日本のソ連承認は日ソ基本条約の締結された1925年です。当時日本では大正デモクラシーが盛り上がりを見せて政党内閣が続いていた時期であり、関東大震災後の不況やアメリカにおける排日移民法制定(1924)を受けて経済回復を図る必要のある時期でした。こうしたことが日本のソ連承認を認めた背景にありましたが、同時に共産主義の高まりを恐れる当局は同年に治安維持法を制定(加藤高明内閣)して、国内の共産主義者の取り締まりを強化していきます。

 

設問2(論述問題、150字~200字)

【1、設問概要】

・二重波線部(綿花)について、

① 1860年代のロシアにおける供給不足の原因を含めて論述せよ

② 19世紀を通じての国際的な綿花生産・供給の事情を論述せよ

・指定語句

 アメリカ / インド / 産業革命 / 南北戦争

 

【2、ロシアにおける供給不足の原因】

:ロシアにおける綿花の供給不足の原因を直接的に世界史の教科書や授業の中で学習することはありませんが、1860年代の綿花不足がアメリカの南北戦争にあったことは近年よく出題されるようになりました。また、南北戦争がアメリカ南部の綿花生産に打撃を与えたことによって、インドやエジプトがそれにかわる綿花供給地となったこと、南北戦争の開始と終結が綿花国際価格の乱高下につながったことなどについても参考書等で言及されるようになっています。

 

 …南北戦争がアメリカでの綿花生産に大きな打撃を与えたことから、インドでは空前の綿花ブームが生じた。ブームは短期間で終わり、その後深刻な不況がおそったが、ブーム中に商人たちによって蓄えられた資金が工場制の綿製品生産にも向けられることになった…

(前掲『詳説世界史研究』、p.376、インド製造業の発展に関する文章で) 

 

【3、19世紀を通じての国際的な綿花生産・供給の事情】

19世紀前半における綿花の主要な供給地はアメリカ合衆国南部です。ホイットニーの綿繰り機発明(18世紀後半)以来、アメリカ南部では綿花プランテーションが拡大し、同地域はコットン=ベルトを形成していきます。一方、1813年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止をされたことを機に、インドには産業革命で機械化された安価なイギリス制綿布が大量に流入し、手作業で作られるインド綿工業は壊滅的な打撃を受けます。これにより、インドは綿織物の生産地ではなく、原料となる綿花の供給地へと変貌を遂げていきます。

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(『世界史B』東京書籍、2016年版、p.324より引用)

 インドへのイギリス産綿布輸出が拡大していった背景には、それまでイギリス産綿布を輸入していた欧米諸国で産業革命が進み、自国で綿製品を生産し始めたことなども影響しています。アメリカ合衆国は1812年~1814年の米英戦争をきっかけに北部の工業化が進んで英経済から自立していきますし、ヨーロッパでも1830年ごろからベルギーやフランスなどで産業革命が進んでいきます。下の表を見ると、イギリスの綿布輸出先が欧米諸国から「低開発地域」へと急激にシフトしていく様子がわかります。この場合の「低開発地域」というのはインドをはじめとするアジア地域などでした。

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1861年に南北戦争が発生すると、綿花供給地であるアメリカ合衆国南部の生産・輸出が打撃を受けたことから国際的な綿花価格が急騰し、南部にかわる綿花の安定供給地が必要となりました。これを主に担ったのはインドでしたが、さらにエジプトも合衆国南部にかわる綿花供給地としての役割を果たしていきます。(下の表の「地中海地域」の割合が60年代後半に急上昇しているのはエジプトからの輸出が急増したためです。)

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(※ただし、なぜか1806-10に限り、合計が100%を超えてしまう。)

 

ですから、19世紀の国際的な綿花生産・供給の事情について押さえておくべきことは以下の点になります。

① アメリカ南部の綿花プランテーションが最重要の供給地であったこと

② 19世紀前半頃からインドが重要な綿花供給地となっていたこと

③ 南北戦争で南部からの綿花供給が急減したことが綿花の国際市場を動揺させたこと

④ ③により、インドやエジプトなどの綿花供給地としての重要性が増したこと

 

また、リード文中にはロシアのフェルガナ地方への進出が綿花不足を補うことを目的としていたことが示されていますので(本文第8段落を参照)、高校世界史の学習内容を越えてくる内容ではありますが、これについても言及してよいかと思います。フェルガナ地方には当時コーカンド=ハン国がありましたが、これが隣接していたブハラ=ハン国やヒヴァ=ハン国とともにロシアの支配下に置かれるのは1860年代後半から1870年代にかけてのことでした。

フェルガナ - コピー

フェルガナ地方の位置

 

【解答例】

英の産業革命の本格化で綿花需要が高まると、アメリカ合衆国南部は奴隷制に依拠した綿花プランテーションにより主要な綿花供給地となった。その後、東インド会社のインド貿易独占権廃止で英産綿布が大量に流入し、綿工業が壊滅したインドも生産を拡大した。南北戦争で合衆国南部が打撃を受けるとインドやエジプトなどがシェアを拡大したが、国際価格が乱高下し露への供給は滞ったため、露は綿花生産地のフェルガナ地方へ進出した。200字)

 

設問3(論述問題、250字~300字)

【1、設問概要】

・冒頭の問題文と以下の文の論旨を踏まえ、「このように」で始まる段落の末尾の空欄に入る文章を完成させなさい。

250字から300

 

(「冒頭の問題文(以下、リード文または文章Aとする)」の概要)

:本設問のリード文については、その冒頭で「ロシアからの視点を中心に、19世紀の国際関係の動向やユーラシア内陸部における大国と少数勢力との関係についてまとめたもの」となっていますが、実際にはその内容の半分近くはロシアの南下政策とこれに対立するイギリスの対応について書かれたものです。これについてはいわゆる世界史の勉強で学習する内容ですので、ここでは言及しません。一方、本設問でより重要なのは、後に示します通りカフカ―ス地方やトルキスタンにおける少数勢力の活動の実態の方です。そこで、このリード文(文章A)で示されている少数民族に関連する情報をまとめると以下のようになります。

 

① 18世紀以降のロシアのカフカ―ス地方への進出は、オスマン帝国支配下で同地に住むイスラームを信奉する様々なエスニック集団(民族集団)にとって、自分たちの従来の生活や信仰が制約される可能性があることだった。

② ムスリムが退いた土地にはロシア帝国拡張の尖兵としてコサックが定住した。

③ クリミア戦争敗北はロシアの関心をユーラシア内陸部(トルキスタン)へと向けたが、ロシアの出身者がトルキスタンの諸勢力に拉致、拘束される事例がたびたび見られたことはロシアの同地への勢力拡張を正当化する論拠となった。

④ ロシアのトルキスタンへの進出はムスリムの抵抗や過酷な自然環境に妨げられたが、鉄道の敷設などを通して19世紀後半には同地の支配が確実なものとなった。

⑤ ロシアのトルキスタン進出の背景には、綿花の供給不足を補うため一大生産地であったフェルガナ地方をおさえる実利的目的が存在した。

(⑥ アフガニスタンでもイギリスからの自立を目指す動きが続き、20世紀に入ってようやく独立した。)

 

ここで、アフガニスタンをカッコつきにしてある理由は二つあります。一つは、それまでの話がロシアとの関係を中心に語られているのに対し、アフガニスタンは主としてイギリスとの関係の中で語られていること。また、カフカ―スやトルキスタンについては少数民族の実態について言及されているのに対し、アフガニスタンではそれが見られず、基本的に英露関係のみが示されていることです。

 

(設問3で示された「以下の文(以下、文章Bとする)」の概要)

:設問3の方では、「カフカ―スや中央アジアにいる少数勢力の立場について叙述したもの」という説明書きがあり、基本的にはその通りに話が進んでいきます。文章Bの概要と構成は以下の通り。

 

<第1段落(カフカ―スのエスニック集団について)>

・クリミア戦争の最中、カフカ―スのエスニック集団はオスマン帝国とロシア帝国のはざまで闘争をつづけた。

・なかでも、チェチェン人の指導者シャミールはロシアに抵抗しつつ、オスマン帝国のスルタンやイギリスの女王(ヴィクトリア)に働きかけ、軍事支援を求めた。

<第2段落(チェチェン人シャミールの活動)>

・シャミールの勢力はグルジアにあるロシア拠点に対抗できるほどになった。

・当初イギリスはシャミールを支援していたが、深入りを避けた。

・その結果、ロシアがカフカ―ス全域を制圧し、シャミールは降伏した。

・シャミールは投降後、ロシア貴族や軍人と交流しつつ、カフカ―スのムスリムを懐柔する役割を負った。

<第3段落(トルキスタンの諸部族の抵抗と服従)>

・メルヴ一帯の抵抗運動はロシアを苦しめたが、最終的に族長たちはサンクトぺテルブルクへ連行され、アレクサンドル3世の即位式典に参列した。

 

これら3つの段落を受けて、最終第4段落は以下のように続きます。

 「このように、大国の動きだけを見ていてはユーラシアの地域秩序の本来の姿を把握することはできないだろう。カフカ―スやトルキスタンの諸勢力は、        

 

【2、空欄       に入る文章の方向性を見定める】

:以上を踏まえて空欄       に入る文章を書くことになるわけですが、当然のことながら、文脈を踏まえる必要があります。設問3の文章Bでは、大部分がカフカ―スのシャミールの活動についてであり、一部トルキスタンの諸部族について言及がありますので、基本的にはカフカ―スとトルキスタンの状況について書けばよいことになります。一方で、第4段落からは、大国の動き(つまり、英露対立やオスマン帝国など)だけでは「地域秩序の本来の姿」を把握することはできないとありますので、大国の動きに加えてカフカース、トルキスタンの諸勢力の活動の実態を示すことで「地域秩序の本来の姿」を描き出すことが要求されていると考えるべきです。

 そこで大切になってくるのが上記文章Aの概要でまとめた①~⑤までのカフカ―ス地方やトルキスタンにおける少数民族の情報と、文章Bの概要でまとめた少数民族の活動です。文章Bをまとめると分かる通り、基本の路線は「現地ムスリムの大国の動向も交えての抵抗→ロシアの同地制圧と少数民族の服従→ムスリム支配者を厚遇してロシア支配に利用」という流れになります。

 

【3、全体の流れに具体的事例を肉付けする】

:上記の2で示した「現地ムスリムの大国の動向も交えての抵抗→ロシアの同地制圧と少数民族の服従→ムスリム支配者を厚遇してロシア支配に利用」という流れに、文章Aや世界史の知識で知っている具体的事例を肉付けしていきます。すると、以下のような話の筋が出来上がってくるかと思います。


① カフカ―スやトルキスタンの諸勢力は、ロシアの進出をムスリムとしての生活や信仰が制約する可能性のあるものととらえて抵抗した。

② 事実、ムスリムが退いた土地にはコサックが定住して、ロシア帝国進出の尖兵となった。

③ カフカ―スのシャミールは19世紀前半から対ロシア闘争を行い、ムスリムとしての立場からオスマン帝国の支援を、ロシアとの対抗関係からイギリスの支援を得るなど、大国間の対立を利用して抵抗したが、イギリスの関心が中央アジアから離れるにしたがってロシアに制圧された。

④ また、クリミア戦争におけるロシアの敗北と南北戦争による綿花供給の激減はロシアの関心をトルキスタンへと向けたが、同地におけるロシア臣民の拉致、拘束はかえってロシアに進出のための口実を与えることとなった。

⑤ 19世紀後半には、ウズベク3ハン国(ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国)の制圧やイリ事件など、中央アジア方面におけるロシアの活動が活発化し、鉄道の敷設は同地の支配を強固なものとした。

⑥ カフカ―スやトルキスタンの現地諸勢力指導者を厚遇することで、ロシアは同地の抵抗勢力の懐柔と支配の安定化を図った。

 

だいたい、こんなところではないでしょうか。ウズベク3ハン国がロシア支配下に入ることや、イリ事件については通常の世界史の学習で身に着く知識なので、盛り込んでも問題ないと思います。

 

【4、アフガニスタンには言及するべきか】

:先にばらしちゃいます。上智の模範解答はアフガニスタンについて言及しています。(「ただし、アフガニスタンのように20世紀に独立を勝ち得た国もあった。」→上智大学公開の標準的な解答例より)

 ですが、それでもあえて言わせてください。なぜ、この設問設定でアフガニスタンについて言及しなくてはならないのか。もしこれが必須の加点要素となっているようであれば、それはどうなのかと思います。(「標準的な解答例」なので、別に必須の加点要素でない可能性もあります。)
 たしかに、文章Aでは後半にアフガニスタンについての言及がありますが、上述のように、アフガニスタンはロシアとの関係よりはイギリスとの関係の中でのみ語られており、かつ本設問の重要な要素である少数民族についての言及が全くなされていません。また、文章Bの中にはアフガニスタンの影も形も見えません。ためしに、文章Bに上智の「標準的な解答例」をくっつけてみるとしましょう。ざっと2000字前後の文章の中に、アフガニスタンについて言及する文章は一番最後に唐突に出てくる数十字のみ。蛇足もいいところになってしまいます。

設問では以下の文は「カフカースや中央アジアにいる少数勢力の立場について叙述したものである」とあります。「アフガニスタンは中央アジアなのだから当然言及すべきだ」とする理屈もあるかもしれませんが、そもそもアフガニスタンを中央アジアに分類するか南アジアに分類するかというのは非常に曖昧です。たとえば、国際連合による地理区分では、アフガニスタンは南アジアの国として分類されています。(対して、ユネスコの区分ではアフガニスタンの大部分は中央アジアに分類されます。)

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Wikipedia「国連による世界地理区分」より)

だとすれば、受験生にアフガニスタンを記述することを要求するためには、アフガニスタンに言及する必然性がリード文や設問の指示から読み取れなくてはなりません。ところが、文章A、文章Bともに主要なテーマは一貫してロシアに対抗する少数勢力、少数民族であり、空欄の直前には「大国の動きだけを見ていてはユーラシアの地域秩序を把握することはできない」とあった上で「カフカ―スやトルキスタンの諸勢力は       」とくるわけですから、空欄の中にロシアとの関係、少数勢力の実態に言及されていないアフガニスタンが入る余地はありません。以上の理由から、私としてはアフガニスタンに言及せずに解答例を作成したいと思います。(アフガニスタンを書いたらいかん、というわけではありませんが、少なくとも採点者の立場からはアフガニスタンを必須の要素として加点要素とすべきではないと考えます。)

 

【解答例】(「カフカ―スやトルキスタンの諸勢力は」に続けて)

ロシアの進出をムスリムの生活や信仰の脅威ととらえて抵抗した。カフカ―スのシャミールはイスラーム国家であるオスマン帝国やロシアの南下政策に危機感を抱くイギリスのヴィクトリア女王に支援を仰いで抵抗したがロシアに制圧された。クリミア戦争敗北と南北戦争による綿花供給の減少はロシアをトルキスタンへ向かわせ、ロシア臣民保護を口実に綿花生産地フェルガナのコーカンド=ハン国をはじめとするウズベク3ハン国を破り、鉄道敷設でその支配を強化し、新疆ではイリ事件を引き起こすなど積極的に中央アジアへ進出した。さらに、ロシアはカフカ―スやトルキスタンの現地諸勢力指導者を厚遇し、同地の抵抗勢力の懐柔と支配の安定化を図った。(300字)

 

こんな感じでしょうか。フェルガナに位置していたのがコーカンド=ハン国であったなどは受験生には多分書けませんので、ウズベク3ハン国についての言及があれば十分かと思います。また、上智の模範解答のように「ユーラシアの地域秩序の本来の姿」を少数勢力の英露関係の対立の中で翻弄されたものととらえるやり方もあると思います。ですが、文章Bは「ロシア‐少数勢力」の関係を軸として書かれておりますので、たとえば「地域秩序の本来の姿」を、かつて抵抗した現地指導者を厚遇して懐柔の道具として使うロシアという文脈でとらえることも可能な気がします。実際、このように現地の支配層を取り込むことによって、地域支配の土台とする統治のあり方はイギリスのインド支配や、フランスのアルジェリア支配などの中でも見られます。なにより、「標準的な解答例」の方は結局「英露が進出して、対立した」以上のことは何も言ってないように見えます。もっとも、それくらいのことが読み取れれば採点基準としては十分ということなのかもしれません。実際の採点基準がどうなっているかはやや気になるものの、文章や世界史の知識をもとにかなり自由度の高い解答を受験生に書かせるスタイルの設問は、受験生にとっては対策がしにくく、かつかなり高い能力が求められることになります。新しいことに挑戦する非常に攻めた出題だと思いますが、次も似たような問題が出るとすれば受験生は大変ですね(汗

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