2021年東大の第1問は2017年以来のやや古い時代(中世前期)についての出題となりました。2017年の問題がローマ帝国の形成までをテーマとしていたのに対し、2021年の問題ではローマ帝国崩壊以降の地中海世界がテーマとされています。以前もお話した通り、古代史については東大での出題は比較的少ないのですが、中世前期については時折出題されています。一番近いところですと2011年の「7~13世紀のアラブ・イスラーム文化圏における受容・発展・影響の動き(510字)」などはそうですね。

今回の出題はいわゆるピレンヌ=テーゼに沿った出題で、受験生にとってはなじみの深い問題であったように思います。また、東大では類似のテーマで1995年に「古代・中世の地中海世界における異文明の交流と対立(600字)」が出題されています。また、2009年に一橋大学の大問Ⅰで出題された「カール大帝の帝国成立の経緯」なども参考になるかと思います。設問としては特に大きなひねりや難しさを感じさせる問題ではありませんでした。特定の時代やテーマにヤマをはることなどをせず、どの時代にも対応できるように基礎をしっかりと構築していた受験生であれば一定レベルの解答を作れる問題だったと感じます。

 

【1、設問確認】

5世紀~9世紀にかけての地中海世界で成立した3つの文化圏形成の過程を記述せよ。

・宗教の問題に着目せよ。

20行(600字)以内

・指定語句:ギリシア語 / グレゴリウス1/ クローヴィス / ジズヤ /

聖画像(イコン) / バルカン半島 / マワーリー

 

(ヒント)

・ローマ崩壊後の「軍事的征服者と被征服者」、あるいは「生き延びたローマ帝国と周辺勢力」などの間で生じた宗教をめぐる葛藤が政権交替や特定地域の貴族関係の変動につながることがあった。

 

【2、3つの文化圏とは何か確認する(指定語句も整理)】

:まずは、3つの文化圏を確認することになりますが、上述の通りピレンヌ=テーゼを知っている人であれば「西ヨーロッパ世界」、「東ヨーロッパ世界」、「イスラーム世界」の区分で問題ないとわかると思います。これらと指定語句を合わせると以下のようになります。

 

① 西ヨーロッパ世界(カトリック):グレゴリウス1世、クローヴィス

② 東ヨーロッパ世界(ギリシア正教):ギリシア語、聖画像(イコン)、バルカン半島

③ イスラーム世界(イスラーム):ジズヤ、マワーリー

 

ピレンヌ=テーゼ

 

アバウトな図ですが、こんな感じですかね。イスラーム世界はウマイヤ朝による西ゴート王国の征服でイベリア半島にまで及びますので、イベリア・北アフリカ・東地中海沿岸はイスラーム世界(9世紀までで言えば主としてウマイヤ朝やアッバース朝)の中に入っていきます。ピレンヌ=テーゼ自体は、おおまかにいえば、イスラームの地中海進出と地中海貿易の途絶により、西欧が地中海から切り離されてカール大帝(シャルルマーニュ)がこれに対応した国家建設を行った結果、西欧が独自の世界を形成するにいたったとする考え方です。ピレンヌ=テーゼ自体は色々と議論のある内容で、多くの反論も出されていて、「これが正しい!」というものではありません。

ただ、ピレンヌ=テーゼの凄かった点というのは、それまでの歴史学が一国史的な視点や縦割りの視点しか持っていなかったところに、イスラーム勢力の出現が西欧中世世界に大きな影響を与えたという、地中海世界をダイナミックな動き・連関を持つものとしてとらえたところにあったわけです。そして、こうした国としての枠組みを超えた視点や先入観にとらわれない世界の見方という点は今でも評価されてる点であり、また東大の出題が意識している脱国境や広範な枠組み、ダイナミズムとも合致している内容だといえるでしょう。(「東大世界史大論述出題傾向②[2016年~1990年:設問内容と対策]」参照→http://history-link-bottega.com/archives/cat_218629.html

 

【3,文化圏ごとに整理】

:続いて、各文化圏について関連する内容を整理してみましょう。その際、各地域で「軍事覇権を握ったのはだれか」、「宗教がどのように普及し、影響したか(政権交替や特定地域の貴族関係などに)」に注目すると良いでしょう。その場合、文化圏間の宗教の違いに言及するだけでは不十分ですので、各文化圏内部で宗教・宗派の違いが政権交替や身分・待遇などの関係に及ぼした影響などに少しでも言及できれば良いと思います。正直、この内容を高校の受験生レベルで正確に求めることは多少無理があると思いますし、おそらくは出題者も求めていないと思います。(と思いたいw 東大だし、無茶言わんだろw) となると、現実的なのはゲルマン人にアリウス派が多かったことや、クローヴィスの改宗、イスラーム世界におけるアラブ人優遇政策から税制上のムスリムの平等への変化あたりが無難なところではないかと思います。(指定語句からもそういった風に読み取れます。) 仮に、それ以上のものが書けなかったからと言って大論述の成績全体に大きな影響を及ぼすものではないと思いますので、この件で思い悩んで他の部分をおろそかにするくらいなら、全体をしっかりとした答案に仕上げることに注力した方が良いと思います。

また、「文化圏」とは何か、ということを考える必要があると思います。教科書的に「西ヨーロッパ世界」、「東ヨーロッパ世界」、「イスラーム世界」に分けることは簡単なのですけれども、「文化圏」という言葉は、「一定の文化様式によってある地域が結び付けられている」という意味を含んでいますので、各世界において通用している一定の文化様式とは何か、という点も示すことができると良いですね。基本的にはキリスト教・ラテン語/ギリシア正教・ギリシア語/イスラーム・アラビア語ですが、その周辺の文化様式に言及しても良いと思います。

 

① 西ヨーロッパ世界

:西ヨーロッパ世界について注意しておきたい点は、当初西ヨーロッパに割拠していたゲルマン王国の多くは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の一定の影響下にあったという点です。たとえば、西ローマ帝国を滅ぼしたことで知られるオドアケルはその後イタリア本土を統治しますが、これはオドアケルが新しい西ローマの皇帝になったからではなく、当時の東ローマ皇帝であったゼノンからイタリアの統治を認めてもらうという形をとっていました。また、オドアケルの後にイタリアにいわゆる東ゴート王国を築くテオドリックがイタリアに侵攻したのも、同じく東ローマ皇帝ゼノンよりオドアケル討伐の依頼を受けたことがきっかけです。つまり、当時の東ローマ皇帝と各ゲルマン民族の長の関係は基本的に変化していないのであって、ゲルマン民族の長は皇帝の顔色をうかがいつつ、時には皇帝のために働き、チャンスがあればうまいこと立ち回って実利を得ようと考えて行動しているわけです。

 しかも、ゲルマン民族の多くはアリウス派を信奉しています。そして東ローマ帝国ではコンスタンティノープル教会の首位性を主張しています(ギリシア正教)。こうした中では、ローマ教会の立場はどうしても弱くなるわけで、そのことが、ローマ教会がフランク王国と接近する必要性を否が応にも高めていくことになるわけです。

 ちなみに、ギリシア正教を奉ずる東ローマ帝国とアリウス派のゲルマン民族の間で軋轢は起こらなかったのかと言えばそうではなく、比較的宗派の違いに寛容な人物が皇帝についているうちは良いのですが、宗派の違いを気にする人物が皇帝についたり、あるいは政治上・軍事上のバランスが東ローマ帝国側に傾いたりした場合には、東ローマからゲルマン民族への攻勢が強まっていきます。ユスティニアヌスの時代にはヴァンダル王国や東ゴート王国は滅ぼされ、地中海世界は東ローマ帝国によって統一されていきます。

 さて、いくつか注意すべき点について述べてきましたが、「西ヨーロッパ世界の形成」については教科書や問題集にもよく出てくる定番の箇所かと思います。重要事項については以下にまとめておきましたので、そちらを参照して下さい。

 

(軍事的覇権)

・当初はゲルマン王国が割拠、東ローマ帝国の影響大

・フランクの拡大とカロリング家の強大化

 cf.) トゥール=ポワティエ間の戦い(732

・カール大帝(シャルルマーニュ)による西ヨーロッパ統一と戴冠(800

:背景の一つに、イスラームの進出にともなう東ローマ帝国領の浸食

 

(宗教)

・教父による教義の整理 

ex.) アウグスティヌス『神の国』、『告白録』(5C前半)

・ベネディクトゥスによる修道院運動(529、モンテ=カシノ)

・グレゴリウス1世の対ゲルマン布教活動と聖画像の使用

・ローマ教会とフランク王国の接近 

ex.) クローヴィスの改宗(496)、ピピンの寄進(756、ラヴェンナ)、カールの戴冠(800

 

(文化)

・ラテン語圏の形成

・聖画像の利用

・ギリシア哲学を異端に

 

② 東ヨーロッパ世界

:東ヨーロッパ世界については東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を中心に周辺のイスラームやスラブ民族などとのかかわりについて示していければ良いと思います。ただし、よく出てくるキエフ公国やウラディミル1世は10世紀以降の話になるので使えません。本設問で対象の時期となっている5世紀~9世紀であればキュリロスによるバルカン半島での布教活動があてはまります。対象となる民族はブルガリアが示してあれば十分かと思いますが(もっとも、ブルガリアのもととなったブルガール人はもともとはトルコ系民族です)、ベーメンのモラヴィアについても伝道活動を行ったと伝えられますので、単にスラヴ人とすることが嫌であればモラヴィアでも良いかと思います(もっとも、こちらも最終的にはカトリックを受容することになります。)。

 また、最近の参考書・教科書などではわりとビザンツ文化についての記述が充実してきています。ギリシア文化・ラテン文化などを継承していったという点を示すことで、「ラテン文化を継承したがギリシア哲学は異端として当初は排除した西欧」や「異文化を吸収したイスラーム」などの比較的視点を入れても良いかと思います。

 

(軍事的覇権)

・当初は西ヨーロッパへの影響力を保持

・ユスティニアヌスの地中海世界回復(6C

・ビザンツ帝国と周辺諸民族の挑戦 

cf.) ササン朝ペルシア(ホスロー1世)

イスラームの侵入(ヤルムークの戦い[636]など)→ヘラクレイオス1世のテマ制導入

ブルガリア王国(第1次ブルガリア帝国、シメオン1[9世紀末]

 

(宗教)

・ギリシア正教の成立とコンスタンティノープル教会

・ローマ教会との対立 

ex. 聖像禁止令(726、レオン3世:ただし、後に撤回[843、皇太后テオドラ]

・キュリロスによるバルカン半島での布教活動(9C後半、グラゴール文字の考案)→ブルガリア、モラヴィアなど

 

(文化)

・ギリシア語の公用語化

・グラゴール文字(キリル文字の原形)、聖像禁止令

・ギリシアやローマの古典を継承

6c、プロコピオス『秘史』、トリボニアヌス『ローマ法大全』)

 

③ イスラーム世界(北アフリカ、イベリア、地中海東岸)

:イスラーム世界についても、イスラームの拡大以降の内容は基本事項かと思いますので、下にまとめておきます。注意点としては、5世紀からということになると、後にイスラームの支配下に入る西アジア・東地中海沿岸地域には、東ローマ帝国の「周辺民族」としてアラブ人(イスラーム)以外にもペルシア人(ササン朝)などがいたという点です。特に、ササン朝のホスロー1世とユスティニアヌスの抗争については私大や大学入学共通テスト(旧センター試験)でも頻出の内容かと思います。また、北アフリカについては上述の通りヴァンダル王国、後にウマイヤ朝の支配下に入るイベリアについては西ゴート王国というゲルマン王国が存在していました。文化圏形成の「過程」と書いてありますので、時期の違いによって存在した多様な民族・国家を無視していきなり「イスラーム世界は」とか「イスラームは」と書き出してしまうことは避けた方が良いと思います。(イスラームが出現・拡大するのは7世紀のことです。)

 また、イスラーム世界においてもウマイヤ朝・アッバース朝の違いや、イベリア半島における後ウマイヤ朝の成立など、必ずしも一様でなかった点についても留意しておいた方が良いでしょう。特に、アラブ帝国としてのウマイヤ朝とイスラーム帝国としてのアッバース朝の特徴の違いについては明示しておいた方が良いでしょう。

 

(軍事的覇権)

・イベリア半島

:当初は西ゴート王国→ウマイヤ朝の侵入で滅亡

・北アフリカ

:ヴァンダル王国→ユスティニアヌス→イスラームの進出(ウマイヤ朝・アッバース朝)

 

(宗教)

・イスラーム世界の成立(ジハードの展開)

・ウマイヤ朝時代におけるアラブ人優遇

:非アラブ人改宗者[マワーリー]にもハラージュ・ジズヤの支払い義務)

・アッバース朝時代におけるムスリムの平等

:ハラージュは全ての者に、ジズヤは異教徒のみ)

・ズィンミー(非アラブ人異教徒)にはジズヤの支払いを課す代わりに信仰の自由を認める

 

(文化)

・クルアーンとアラビア語

・異文化の吸収

cf.) 9cはじめ、知恵の館[バイト=アル=ヒクマ]

:バグダード、7代マームーンの時

:ネストリウス派キリスト教徒などの活躍

:アリストテレス哲学研究の発展

 

【解答例】

 オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼしゲルマン王国が林立した西欧では、アウグスティヌスなど教父の活動、ベネディクトゥスの修道院運動、グレゴリウス1のゲルマン人布教が展開された。アタナシウス派に改宗したクローヴィスのフランク王国が勢力を拡大すると、ウマイヤ朝の進撃を阻止したカロリング家と教皇が接近し、ピピンの寄進やカールの戴冠を経てローマ教会をフランク王が保護する関係が築かれ東ローマ帝国の影響から脱し、ローマとゲルマンの文化・カトリックを基礎とする西欧世界が成立した。東欧世界は東ローマ帝国を中心に形成され、ギリシア正教を基盤にギリシア語の公用語化や『ローマ法大全』などの古典文化継承が進んだ。ユスティニアヌスが地中海世界を回復したが、イスラーム進出などで勢力を後退させると、レオン3世は聖画像(イコン)使用禁止を命じ宗教統制を図り、ローマ教会との対立と東西世界の分化を招いた。バルカン半島の対スラブ人布教ではキュリロスがグラゴール文字を利用した。ジハードでササン朝や西ゴート王国を滅ぼして拡大したイスラーム世界では、当初アラブ人のみ税を免除し、改宗者のマワーリーにはハラージュとジズヤを課したが、アッバース朝ではムスリム間の平等を達成した。クルアーンとアラビア語を基礎としつつ、ジズヤの支払いを条件にズィンミーに信仰の自由を認めて異文化の吸収も進め、知恵の館ではアリストテレス哲学の研究なども進展した。

600字)

 

文化圏の形成のされ方に焦点をあてたために、やや文化的要素を多く盛り込んだ内容になっています。ですが、設問の方では軍事的支配とその交替などもかなり重視している様子ですから、そちらの方にこだわって解答を作るのもありかと思います。上記解答例をご覧いただければわかりますが、知識として難しい内容のものはほとんど入っておらず、大学入学共通テスト(旧センター試験)レベルの知識でもきちんと整理することができれば十分に解答として通用すると思います。

東大でこうした取り組みやすい問題が大論述として出題された際には、実力のある受験生の間では大論述で差がつかないことになるため、第2問ならびに第3問の重要性が増してきます。大論述の対策は大切なのですが、そればかりに取り組んでいると、どうしても細かい知識の補強がおろそかになってしまいがちです。(大論述解説は知識量よりも論理や、必要となる事項の取捨選別が主となるので、触れる知識の絶対量が通史や私大向けの問題解説と比べると比較的少なくなりがちです。)適度に大学入学共通テスト対策や私大の併願校対策も織り交ぜながら、知識面の充実を図ることを忘れないようにするとよいと思います。