エルベ川については以前一橋の2013年過去問の解説をした際にご紹介しまして、ユトランド半島の西側の付け根から袈裟懸けにズバーッと切り下げたみたいな流れになっているのがエルベ川だというお話をいたしました。そこでもご紹介しましたが、高校世界史でエルベ川が出てくる場合には大体「エルベ川以東」という表現で、以下のような話と関連付けて出てくることが多いかと思います。
① 東方植民
② ドイツ騎士団
③ グーツヘルシャフト
ただ、この「エルベ川以東」っていうのが地図上でどのあたりで、そこにはどういったものがどういう配置で存在しているのかっていうのが具体的にイメージできるかっていうと、これが案外難しいんですね。少なくとも、高校生の頃の自分はいまいち把握できていなかった気がします。(今と違って全部本で調べないといかんかったのですよ…。) そこで、エルベ川以東を地図で示すとこんな感じになるかと思います。
図中の、ユトランド半島の付け根から右下に向かって斜めに入っている水色のラインがだいたいのエルベ川の流れですね。上流(水色のライン右下)の先端部のあたりがちょうどチェコの北部にかかるようなイメージになります。ちなみに、エルベ川の上流の支流がチェコのプラハを流れるヴルタヴァ川(モルダウ川)です。
上の図をご覧いただくと、エルベ川以東には「ブランデンブルク辺境伯領(選帝侯領)」とか、「ドイツ騎士団領(16世紀以降はプロイセン公国)」といった、東方植民の際に登場する土地がしっかりと入っているのが見て取れるかと思います。このようにして見ると、普通は「プロイセンといえばドイツ」というイメージがあるかなと思うのですが、実際にドイツ騎士団領ができたころの位置はドイツではなくてかなりポーランドなんだなぁっていうのがお分かりいただけるかと思います。プロイセン公国がブランデンブルクと同君連合を形成したり、フリードリヒ2世のときにシュレジェンをぶんどったりしているうちにだんだんドイツ寄りに拡大してくるイメージなんですね。
ちなみに、エルベ川周辺にはほかにも世界史出てくるわりと重要な土地があったりします。たとえば、ウェストファリア条約(1648年)でスウェーデンに割譲されることでスウェーデンがバルト帝国を築くきっかけとなる西ポンメルンはエルベ川以東ですし、上の地図上にはありませんが同じくブレーメンはエルベ川の下流からやや西へ行ったあたりにあります。また、ハンザ同盟で良く知られるハンブルクはエルベ川河口の街ですし、盟主のリューベックはエルベ川より少し東側に行ったあたりにある街ですね。(リューベックがエルベ川以東の街であるという情報はたまに私大の問題などで問われたりします。) リューベック、ハンブルク、ブレーメンが東側から斜めに並んでいる感じですね。
話は変わりますが、このエルベ川の流域は「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されていた風光明媚な土地なのですが、ドレスデン市街に新しい橋ができたりして景観が損なわれたという理由で、同地域は2009年に世界遺産登録を抹消されてしまったそうです…。ちょうど橋が作られる頃の2008年ごろにベルリン→ドレスデン→プラハと電車旅を楽しんだことがありましたが、綺麗なところでしたけどねぇ。