世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

カテゴリ: テストで差がつくワンポイント

ヨーロッパ統合については、早慶のほか、国公立でもわりとよく出題されます。政治系・経済系の学部で多い気がします。最近の論述問題で印象に残っているのは、上智TEAP利用型の2018年問題でしょうか。当時はBrexitが大きな話題となっていた時期でしたので、その分、頭に残っています。問題の方も250字~300字の論述が二つと、かなりボリュームの大きいものでした。それから、2015年の一橋の大問2(400字論述)なんかもありましたね。ECASEANの歴史的役割(共通点・相違点)を述べさせるものでした。ヨーロッパではありませんが、ASEANの役割や性質(反共同盟から経済協力機構へ)については、関連する問題が最近の慶應(経済2022年)などでも出ましたね。もっとも、慶應の問題はASEANをダイレクトに聞くというよりは、それとからめてインドネシアの政変(1965年の九・三〇事件:スカルノからスハルトへの権限移譲のきっかけを作った事件)を聞く問題でした。いずれにしても、地域統合の問題は頻出とまではいかないものの、それなりの頻度で出てくるように思います。

そんなわけで、ヨーロッパ統合の流れと関連する諸条約をまとめた表を作ってみました(作成にあたってWikipediaの「欧州石炭鉄鋼共同体」ページの「条約の変遷」という表を参照しました)。もっとも、これでEC・EU関連を全て網羅するわけではないですけれども(EU憲法とかは示してませんし)。


ヨーロッパ統合過程

 ぶっちゃけ、ヨーロッパ統合関連で出題頻度がとにかく高いのはシューマン=プラン、ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)と、マーストリヒト条約です。それに続いて、ECEU、ローマ条約とリスボン条約が続く感じ。あとは、早慶などの問題で原加盟国(仏・西ドイツ・イタリア・ベネルクス三国)や、1973年にECが拡大した時の加盟国(イギリス・アイルランド・デンマーク)、EUの本部がブリュッセルなどがわりと問われる感じ。あとは、そこまで出てこないけど受験生がいまいち理解できないものにEMS(欧州通貨制度)がありますけど、これも「ユーロ導入の準備してた」くらいで理解しておけば十分かと思います。

 ただ、ヨーロッパ統合がらみで厄介なのは、たまーにEU成立後の加盟国が「いつ加盟したか」、「そもそも加盟しているか」などを正誤問題で問うてくることがあることですね。最後の加盟国が現状ではクロアチア(2013)だとか、よくEUとの関係で話題にあがるトルコが加盟しているかどうか(正解は「加盟していない」)くらいならばかわいいものですが、ハンガリー(2004年加盟)だのルーマニア(2007年加盟)だのが加盟しているか、いつ加盟したかなどを高校生に問うのは、受験勉強のコスパを考えた際に「勘弁してほしいな~」と思います。まぁ、全部覚えているにこしたことはないのですけど、現在のところ加盟国27カ国(笑)ですからねぇ。ヨーロッパ統合についてはメインのところをしっかりおさえておいて、重箱の隅つついたような問題が出てきてしまった場合には「こんなもん出すなんて、こいつセンスねぇな。」と毒づいていくらか絞った後は勘に頼ってもいいのではないかという気もしますw 今年はとかくヨーロッパが話題になった年であったかと思いますので例年よりも少し丁寧に見ておいた方がいいかもしれませんね。

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【定期考査/共通テスト】

 

冷戦下に生み出された数多い分断国家ですが、特にベトナムなどの場合、ベトナム国やベトナム共和国やベトナム民主共和国や最後にはベトナム社会主義共和国なども登場してどれがどれやらわからんバオ=ダイとなってしまうようです。普段はわかっていても、いざ試験中となると焦って混乱してしまうこともあるのですが、高校世界史に出てくる範囲でということであれば、「民主」とつく方が社会主義国と理解しておけば、混乱を防ぐことができるかと思います。

 

[ドイツ]

・ドイツ民主共和国(東ドイツ)

・ドイツ連邦共和国(西ドイツ)

 

[朝鮮半島]

・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)

・大韓民国

 

[ベトナム]

・ベトナム民主共和国(北ベトナム)

・ベトナム国 / ベトナム共和国(南ベトナム)

 

ベトナムについては、阮朝最後の皇帝バオ=ダイが国家元首であった方がベトナム国、大統領制をとった(共和政である)継承国家がベトナム共和国と把握すればこちらの区別もつきますし、ベトナム戦争後に南北を統一したベトナム社会主義共和国は、ばっちり「社会主義」ゆーとりますから問題ないですね。

 

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【定期考査/共通テスト】

:テストの定番、秦の始皇帝と前漢の武帝の政策まとめです。全部の情報を盛り込んじゃうとかえって見づらいのでいくらか削りましたけど、まぁこの辺をおさえておけば困りはしませんよね。特に、双方に似たようなものがあって区別がつきにくい部分には要注意です。焚書・坑儒が始皇帝っていうのはあまり間違える人いませんが、半両銭(始皇帝)と五銖銭(武帝)とか、蒙恬(始皇帝)と衛青・霍去病(武帝)とかはわりと「あれ?あれあれ?」ってなったりします。覚えるという作業ももちろん大切ですが、どのあたりでつまづきやすいのかをあらかじめ予見しておくということは効率の良い学習にもつながります。

秦始皇帝と前漢武帝


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【難関大】
 清とロシアの国境をめぐる事柄については、難関大では近年頻出の内容ですが、教科書や参考書ではそれぞれ違う部分で語られることが多いため、一連の流れとして把握するのが難しいです。また、関連する地域については世界史の他の箇所で出てくることもないため、地理的把握が十分でないことが多く、文章で示されても「それっていったいドコ?」と、どのように領土が変遷していくのか分からないケースも想定されます。そこで、この地域の様子を示す地図と、各条約の詳細や背景をまとめた表を作成してみました。

清露国境

濃青:アルグン川  緑:スタノヴォイ山脈

オレンジ:アムール川  水色:ウスリー川(ウスリー江)

このあたりの地理で一番わかりにくいところは、実はアルグン川もアムール川もウスリー川もそれぞれがつながっているということを知らないことが多く、どこからどこまでを指しているのか把握しづらいということです。上の図の通り、アルグン川はアムール川の上流部分(濃青)のことで、スタノヴォイ山脈(緑色)と結ぶと康煕帝とピョートル1世との間で結ばれたネルチンスク条約(1689)の国境線となります(黄色いライン)。また、ネルチンスク条約の締結された当時は外モンゴル方面の国境線が定まっておりませんでしたが、17世紀末に康煕帝が外モンゴルのハルハ部を支配下に置くと、同地とロシアの国境画定が問題となりました。その結果、雍正帝の頃に結ばれたのがキャフタ条約(1727)です(ピンクのライン)。

一方、19世紀に入ると欧州列強の清への進出が激しくなりました。こうした中、アイグン条約(1858)が結ばれます。この条約でロシア領とされた「アムール川以北」というのは、「ネルチンスク条約で国境とされたスタノヴォイ山脈よりも南、アムール川よりも北で囲まれた部分」のことを指します。アムール川とは上の地図のオレンジのラインで引かれた部分のことです。ものによっては「アムール川以北」のことを「アムール川左岸」と書いてあったりして分かりにくいんですよね。「左岸」というのは、川を上流から下流に向かってながめたときに左側のことを左岸と言いますが、特別な必要がない限り言葉はできるだけわかりやすく伝えた方がいいかと思いますので、「アムール川以北」の方が個人的には好きですね。

また、同じくアイグン条約では清とロシアの共同管理地、続く[露清]北京条約(1860)ではロシア領とされた沿海州は、水色で示されたウスリー川ならびにその下流のアムール川より東の土地のことを指します。これは「海沿いの州=沿海州」なので分かりやすいですね。

露清国境画定条約一覧 - コピー

上の表が清とロシアとの国境を画定させた主な条約の一覧です。イリ条約は一連の国境画定の流れの中で出てくることはまれなのですが、最近はロシアの南下政策と絡めてユーラシア全体を把握させようとする設問が見られる(例:東大2014など)ことから、念のため追加しました。

 これら諸条約で一番大切かつよく出題されるのはもちろん「どの条約がどのように国境を画定したのか」ということなのですが、意外に清とロシアの通商関係が問題になっていることに気付きます。こうした通商関係をめぐる設問も見られるようになってきていますし(例:東京外国語大学2016)、朝貢体制の外で展開された「互市」という関係を視野におさめた設問や参考書も増えてきました。(例:東大2020 / 『詳説世界史研究』、山川出版社、2017年版、p.236) 私が高校生くらいの頃はこれらの条約の内容を把握しておくだけでも「すごいな」とか「どんだけ世界史やっとんねん。」という感じだったのですが、今後は諸条約をまとめるだけではなく、通商や対外関係なども含めたより広い視点で把握する力が難関大では求められてくるかもしれません。

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【難関大】

 中国史は多くの王朝が交代するために受験生にはなかなかまとめにくい部分かと思いますが、なかでも魏晋南北朝時代は多くの王朝が入り乱れているわりに一つ一つの事柄についてのイメージがしにくく、受験生は手薄になりがちな箇所です。ですが、この時代の中でも北魏の歴代皇帝とその事績、中でも太武帝孝文帝については色々な私大の設問で出題される隠れた頻出箇所ですので、ここをおさえておくと他の受験生に一歩差をつけることができると思います。

太武帝については華北統一(439年)と道教国教化、孝文帝については漢化政策と均田制あたりを軸に肉付けしていくと良いでしょう。元々は鮮卑という北方遊牧民だった北魏が、孝文帝の頃には漢化して北方の拠点平城を捨て漢民族の政治の中心地洛陽に都を移し(494年)、農耕民族の支配を円滑に進めるために均田制や三長制を導入したというようなイメージ、ストーリーを描いておくと記憶に残りやすいかと思います。

また、北魏は文化面においてもよく出てくる部分です。以前ご紹介した敦煌・雲崗・竜門の石窟寺院のうち、雲崗と竜門はそれぞれ北魏の頃に造営が開始され、平城・洛陽の郊外にあります。さらに、酈道元の著した『水経注』(中国各地の河川についての注釈書)、賈思勰の著した『斉民要術』(現存する中国最古の農業技術書)も頻出ですが、これも「遊牧民だから慣れない土地の水利や、農業技術についての実用書が必要だったのかなぁ」というようにイメージしておけば北魏と結びつけやすくなります。(実際にそうだったのかは別として)

画像1

北魏の主な皇帝一覧

 

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