カテゴリ: テストで差がつくワンポイント
イギリス議会制形成の流れ
中世ヨーロッパ史の定番中の定番であるイギリス議会制形成の流れについて、超単純化してみました。年号も下一ケタが「5」ばっかりだし、わりとスッキリしてます。すごく定番の流れではあるのですが、意外に論述問題などで難関大でも出てくるんですよね。以前、一橋大学の2019年過去問でフランス議会(三部会)の成立と合わせて解説したことがありますが、あそこまでしっかりとした問題でなくても、「ジョンとマグナ=カルタ」→「ヘンリ3世とモンフォール議会」→「エドワード1世と模範議会」→「エドワード3世と二院制の成立」という流れに加えて「大貴族・高位聖職者と2名ずつの各州・都市代表」といった模範議会を構成したメンバーを示させるような論述問題を作るだけでも200字近くの論述問題になっちゃうと思います。というか、何度か類似の問題を定期考査で出したことがあります。採点基準がわりとはっきりしているので何より採点がラクw
「13世紀はモンゴルの世紀」
「13世紀はモンゴルの世紀」です。実はかなり使える呪文です。たとえば、以下のようなことが時期としてつかみやすくなります。
・チンギス=ハンの活躍した時期(13世紀前半)
・元の成立時期やフビライ=ハンの活躍時期(13世紀後半)
・モンゴルとかかわる様々な事柄が13世紀であることに気づく。
(例):ワールシュタットの戦い(1241年)
・「13世紀はモンゴルの世紀」→「次の世紀で衰退」→「明の建国時期を把握(14世紀後半)」
第二次世界大戦中の首脳会談でおさえるべきポイントはどこか
【定期考査】
第二次世界大戦中の連合国側の首脳会談ってたくさんあるじゃないですか。簡単にまとめるとこんな感じになるわけですけれども。
これがいまいち覚えられないって方は結構いらっしゃると思うんですよ。正直、どれも大切で結局は全部覚えた方がいいっていうのは間違いないのですけれども、その中でもおさえておくといいよっていうポイントはどこなんだろうね、って考えてみると、個人的には以下の内容になるのかなぁ、と思うんですよ。
① 蔣介石はカイロ会談のみ!
:第二次世界大戦中の首脳会談でよく出題されるポイントの一つに、出席者があると思うんですね。よくあるパターンが、正誤問題の文章なんかで「〇〇会談には××、△△が出席した。」って書いてあって、正誤を判定するやつです。ただ、受験勉強に慣れてきた人にとって、米:フランクリン=ローズヴェルト、英:チャーチル、ソ:スターリンっていう顔ぶれがポツダム会談除いてほぼ鉄板っていうことは分かるようになるわけです。(初期の会談にはスターリンいないけど。) なので、実は混乱の原因は多分蔣介石なんですね。ですから、「蔣介石=カイロ会談=話の内容は対日戦」ってひとくくりにしておくと、後々全体が整理しやすくなる気がします。
② 大西洋上会談は別枠で理解しておく
:大西洋上会談については、大戦中の首脳会談としても出て来ますが、一方で「戦後の国際連合成立の過程の最初のものとして大西洋憲章がある」ということの方がよく出て来ます。「大西洋会談→モスクワ宣言→ダンバートン=オークス会議→サンフランシスコ会議」って流れのアレですね。(途中ヤルタ会談の五大国拒否権の話はさみますが。) ですから、これを自分の頭の中では特別枠設置しておいてあるイメージで整理してますね。
③ カイロ会談とテヘラン会談の区別をしておく
:上の表にもありますが、「カイロ会談=蔣介石=対日」、「テヘラン会談=スターリン=第二戦線はよ!(→ノルマンディー上陸作戦へ)」という区別をしっかりつけておくといろいろ楽な気がします。あくまで肌感覚なんですけど、カサブランカ会談とポツダム会談ってそこまで出題頻度高くない気がするんですね。特にポツダム会談の方はポツダム宣言と結びついちゃっているので、出題されても比較的わかりやすかったりします。たくさんのものがあって覚えにくい場合には、「出題頻度が比較的高くて分かりづらいところを確実に把握する」、もしくは「人と差がつくところを確実に自分のものにしておく」が基本な気がします。
④ トルーマンとアトリーを忘れるな
:ポツダム会談で常連のフランクリン=ローズヴェルト(病死)とチャーチル(選挙敗北)が入れかわってトルーマンとアトリーになりますよね。特徴がある箇所なんで頭に入れておきましょう。
⑤ ヤルタからマルタまで
:ヤルタ会談については、ドイツ降伏の直前という意味合いもありますが、出題されるのはやはり「冷戦の萌芽」という意味合いでの出題の方が多い気がします。ポーランドの国境問題をめぐってチャーチルとスターリンが「キーッ」ってなったアレですね。なので、とりあえず冷戦の開始と終わりということで「ヤルタからマルタまで」は唱えておくことにしましょう。
覚え方って人ぞれぞれかなとも思うので、別に「コレだ!」ってわけでもないのですが、個人的には①・②をしっかり確認するようになってからは忘れないようになりましたね。
1453年をビザンツ帝国の滅亡年とだけ理解するのはもったいない
【難関大】
1453年が「オスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国が滅亡した年である」と覚えている受験生はいても、一方でこの年が百年戦争の終結年であることを意識している人はそこまで多くないように思います。この感覚はすごーく地味なのですが、意外と汎用性が高いです。
(オスマン帝国関係)
・メフメト2世(15世紀半ば)を境に
前[14世紀後半~15世紀初]
:ムラト1世やバヤジット1世などによるバルカン半島への拡大期
(1402年のアンカラの戦いでバヤジット1世が捕虜になったことで停滞)
後[16世紀]
:セリム1世やスレイマン1世による再拡大
(百年戦争関係)
・百年戦争の開始時期が漠然とわかる(正確には1339年)
ちなみに、百年戦争を始めたのがエドワード3世なので、二院制の成立時期もわかる
・百年戦争終結後まもなく、ばら戦争(1455年-1485年)が起こるので、ばら戦争の時期やテューダー朝の成立時期(1485年、ヘンリ7世)が分かる。
やや発展的な内容ではありますが、出来事の整序問題や論述問題など、時代感覚をとらえる必要がある時にはわりと重宝します。