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カテゴリ:テストで差がつくワンポイント > 1_先史・オリエントと地中海世界

【共通テスト】
・ホスロー1世は6世紀ユーラシアをつなぐツール

:ササン朝のホスロー1世は頻出の君主ですが、意外に受験生はうろ覚えであることが多く、差のつく人物です。特に、3世紀のシャープール1世との区別をつけることは重要なのですが、それだけではなくホスロー1世を結節点として6世紀ユーラシアの横のつながりを確認することもできる超重要人物です。

 

たとえば、以下の出来事はすべてホスロー1世を起点に確認することができます。

・ホスロー1世は6世紀の人

・ホスロー1世はビザンツのユスティニアヌスと抗争した

・ホスロー1世は突厥と協力してエフタルを挟撃し、滅ぼした

 

これらのことをしっかり把握すれば、ユスティニアヌスやエフタル、突厥がいつ頃の人物・国家なのかということの把握も可能ですし、突厥が中国の南北朝時代から隋・唐代にかけて勢力を増したということも把握しやすくなります。6世紀のユーラシアにおけるおおよその勢力関係は以下のような形でとらえることができます。


6世紀勢力図(ビザンツ_ササン朝_エフタル_突厥) - コピー

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【難関大】

・海の民の活動が活発になるのが前13世紀末~前12世紀ごろ

=その前後の時代を整理する重要な指標となる

 

:海の民の活動によってエジプト新王国やヒッタイトが衰退することはよく知られています。それまでのエジプト新王国やヒッタイトは、シリアやパレスティナ地域を前線として勢力を争っていました。(cf. カデシュの戦い[BC1286]

 海の民が侵入したことによってこれらの地域からエジプトやヒッタイトの勢力が後退した結果、いわゆるセム系3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)の活動が活発化していきます。これらのことをおさえれば、13世紀以前が「エジプト/ヒッタイト/ミタンニ/カッシート」の分立時代、前12世紀以降が「アラム人/フェニキア人/ヘブライ人」の活躍した時代であると整理しやすくなります。早稲田大学など、一部の難関私大では古代オリエントの民族の興亡やその整序が出題されることが多いですが、海の民の活躍した時期は覚えにくい古代オリエントの諸民族の興亡を整理する重要な目印として活用できます。

画像1

上記が前13世紀頃のオリエント世界の様子です。青い矢印は海の民の進出の様子ですね。適当に作ったので多少図がアバウトなのは勘弁してくださいw ヒッタイト・ミタンニ・カッシートのように複数あって位置関係が覚えにくい場合は、覚える順序を「自分ルール」化して、常に一定の順番にしておくと良いですよ。

海の民が進出すると、シリア・パレスティナからヒッタイト・エジプト両勢力が後退してセム系3民族(アラム人[内陸交易/拠点:ダマスクス]、フェニキア人[海上交易/拠点:シドン・ティルス]、ヘブライ人[一神教の形成:拠点イェルサレム]が活動を活発化させていきます。

 

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【定期考査】
・アテネ民主政発展の展開についてはクレイステネスとペリクレスをおさえておく

 

:アテネの民主政発展期の主な指導者と業績は以下の表の通りです。

 これらのうち、クレイステネスとペリクレスだけが多くの情報量を備えていて、かつ頻出です。これに対し、その他の指導者は「ドラコン‐成文法」、「ソロン‐財産政治」、「ペイシストラトス‐僭主」など、一問一答的な単純記憶でまかなえます。正誤問題などを考えた場合、クレイステネスとペリクレスをしっかりおさえておくことで選択肢を減らすことができ、正答率が上がるはずです。

 アテネ民主政の発展

 アテネの主な指導者と業績

また、アテネ民主政については以下の①~⑤のように「民主的でなかった状態→民主政」という流れ・ストーリーで理解すると定着しやすいです。ここで注意すべきは、テミストクレスとサラミスの海戦の時期がどこか、ということではないでしょうか。

 

①貴族が法を独占して全然民主的じゃなったので、ドラコン法ができた。

②財産の保有量に応じて政治的責任を定めた(財産政治)

③僭主があらわれた

④僭主出現を防止するために陶片追放ができたほか、より民主的なシステムが作られた

⑤ペリクレスの時期に直接民主政が完成した

 

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