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カテゴリ:テストで差がつくワンポイント > 2_アジア・アメリカの古代文明

【定期考査/共通テスト】

:テストの定番、秦の始皇帝と前漢の武帝の政策まとめです。全部の情報を盛り込んじゃうとかえって見づらいのでいくらか削りましたけど、まぁこの辺をおさえておけば困りはしませんよね。特に、双方に似たようなものがあって区別がつきにくい部分には要注意です。焚書・坑儒が始皇帝っていうのはあまり間違える人いませんが、半両銭(始皇帝)と五銖銭(武帝)とか、蒙恬(始皇帝)と衛青・霍去病(武帝)とかはわりと「あれ?あれあれ?」ってなったりします。覚えるという作業ももちろん大切ですが、どのあたりで躓きやすいのかをあらかじめ予見しておくということは効率の良い学習にもつながります。

秦始皇帝と前漢武帝


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【難関大】

 中国史は多くの王朝が交代するために受験生にはなかなかまとめにくい部分かと思いますが、なかでも魏晋南北朝時代は多くの王朝が入り乱れているわりに一つ一つの事柄についてのイメージがしにくく、受験生は手薄になりがちな箇所です。ですが、この時代の中でも北魏の歴代皇帝とその事績、中でも太武帝孝文帝については色々な私大の設問で出題される隠れた頻出箇所ですので、ここをおさえておくと他の受験生に一歩差をつけることができると思います。

太武帝については華北統一(439年)と道教国教化、孝文帝については漢化政策と均田制あたりを軸に肉付けしていくと良いでしょう。元々は鮮卑という北方遊牧民だった北魏が、孝文帝の頃には漢化して北方の拠点平城を捨て漢民族の政治の中心地洛陽に都を移し(494年)、農耕民族の支配を円滑に進めるために均田制や三長制を導入したというようなイメージ、ストーリーを描いておくと記憶に残りやすいかと思います。

また、北魏は文化面においてもよく出てくる部分です。以前ご紹介した敦煌・雲崗・竜門の石窟寺院のうち、雲崗と竜門はそれぞれ北魏の頃に造営が開始され、平城・洛陽の郊外にあります。さらに、酈道元の著した『水経注』(中国各地の河川についての注釈書)、賈思勰の著した『斉民要術』(現存する中国最古の農業技術書)も頻出ですが、これも「遊牧民だから慣れない土地の水利や、農業技術についての実用書が必要だったのかなぁ」というようにイメージしておけば北魏と結びつけやすくなります。(実際にそうだったのかは別として)

画像1

北魏の主な皇帝一覧

 

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【定期考査】~【難関大】(頻出)

・石窟寺院は「敦煌、雲崗、竜門」(北魏史もからめて)

:もう、とにかくよく出ます。頻出事項ですが、うろ覚えの人多いです。これらは位置も含めてよく出るので、常に「敦煌、雲崗、竜門」の順でセットにして覚えておくこと。できた時期もこの順番です。

石窟寺院位置 - コピー
その他、ポイントは以下の通り。

 

① 「莫高窟」ときたら敦煌

 

② 雲崗は北魏の最初の都、平城の近く。(平城は黄河の折れ曲がる右肩のあたり)

 

③ 竜門は北魏の孝文帝の頃に遷都された洛陽の近く。

 

Dunhuang_Mogao_Ku_2013.12.31_12-30-18 - コピー
 Wikipedia「莫高窟」より)

 

 雲崗と竜門は北魏の歴史と結びつけておくとよいです。

北魏は北方異民族の五胡のうち鮮卑の拓跋氏が建てた国です。その関係で、初期の都は平城(地図中の雲崗のそば)であり、それまでの中国の政治の中心からはかなり北の方にあります。華北を統一し、寇謙之を重用して新天師道(道教)を国教とした3代の太武帝の頃は、この平城です。(雲崗の石窟は仏教に帰依した4代目文成帝の時に建造が始まります。)

しかし、6代目の孝文帝の頃には漢民族との同化が進み、漢化政策が採られます。その流れで、都も元々の中国の政治の中心地がある南の方にうつり、洛陽に遷都されます。また、農耕民族である漢民族に同化する中で、農村政策も重視されるわけで、この頃に三長制均田制の導入が始まります。竜門の造営が始まるのもこの頃です。

 

 以上の流れをおさえた上で、

・太武帝の頃‐華北統一‐北方拠点

・孝文帝の頃‐漢化政策‐南へ遷都

とイメージしておくとわりと頭の中が整理しやすくなります。

 

 

 

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【難関大】

・仏図澄(ブドチンガ)と鳩摩羅什(クマラジーヴァ)を区別するのは仏典漢訳の有無

 

:亀茲(クチャ)出身の仏僧、仏図澄(ブドチンガ)と鳩摩羅什(クマラジーヴァ)については、いくつかの違いがありますが、どちらも五胡十六国時代の混乱の時代ということで、彼らが活躍した時代や国を正確に把握するのはそれなりに手間もかかりますし、ぶっちゃけコスパも良くありません。彼らについてもっともよく出題されるのは出身地である亀茲(クチャ)ですが、逆に彼ら自身について問われた時には二人とも出身地が同じであるため、判断に迷う時があります。そうした場合には仏図澄(ブドチンガ)は仏典の漢訳はしていないが、鳩摩羅什(クマラジーヴァ)は仏典の漢訳をしているという点が区別のヒントになることが多いので、そこをおさえておくと良いかと思います。

 また、仏図澄が活躍したのは4世紀前半、鳩摩羅什は4世紀後半~5世紀にかけてですが、常に仏図澄・鳩摩羅什の順で覚えておいて、概ね4世紀と把握しておけば、時期でも区別することができます。一応、その他にも後ろ盾となった国や主に活動した都市(洛陽・長安)などの区別はあるのですが、それのみが決め手になる設問は極端に少ないので、やはり仏典漢訳の有無をしっかりおさえておくことが大切です。

 

仏図澄:4世紀前半、後趙の時代に洛陽などで活動

鳩摩羅什:4世紀末~5世紀、後秦の時代に長安などで活動、仏典の漢訳

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【共通テスト】

・シャープール1世(3世紀)とホスロー1世(6世紀)を区別

 

:この区別をしておくとテストでとても重宝します。周辺地域との関連もおさえやすいです。

 

(応用例)

・シャープール1世は3世紀で、ローマの軍人皇帝ウァレリアヌスとセット

・ホスロー1世は6世紀で、東ローマのユスティニアヌスとセット

・ホスロー1世をベースに6世紀ユーラシアの簡単な勢力図を描ける

 (ホスロー1世は突厥とエフタルを挟撃しているので)


6世紀勢力図(ビザンツ_ササン朝_エフタル_突厥)

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