久しぶりに上智のTEAP利用型解説の作成に取り組みます。普段から目を通して解いてはいるのですが、解説を作るとなるとざっと1日~2日はかかるので、まとまった時間がないと作る気が起きないんですよねw 2020年の問題は、これまでの出題傾向と若干の変更が見られたことと、論述の出題がちょっと面白いスタイルの出題でしたので、書いてみたいとは思っていました。詳しくは後ほど解説します。

また、上智大学については2021年度入試の学部学科試験の方で、入試科目等について大きな変更がありました。変更点については、あっちこっちの塾やら個人やらで行った分析等ネットにも転がっていますので、yahooあたりで「上智 入試 変更」などと入れればご覧になれるかと思います。ちょっとこれらの変更については平沼騏一郎風に言えば「上智の情勢は複雑怪奇」で、見ていると総辞職したくなるので分析はパスしたいと思いますw 

Kiichiro_Hiranuma

Wikipedia「平沼騏一郎」より)

学科ごとに独自の試験を用意するのはかなり大きな冒険・改革だとは思います。大胆にそれを実行したその実行力は評価したいところですが、一方でその効果については、個人的には「う~ん?」と懐疑的です。そもそも、学部ごとの専門的な知識や特性って、大学入学後に学生自身や教授する側が見出して育むものではないですか?入学段階では高校で学ぶ教科に沿った知識・能力を図るべきかと思いますし、あまり細分化するのは良くない気がします。(神学部のような特殊な学部であれば別ですが。) また、受験生は多くの場合、上智だけを受験するわけではないわけですから、受験生の実態面を考慮しても、あまり優しくないやりようだと感じます。「オラ!おれは上智だ!おれに入りたいなら上智用の対策をとれ!他大学?そんなもんは気にすんな!黙って叫べ、ビバ・ソフィア!」って言われている気になるのは気のせいでしょうかw うん、気のせいですね、きっと。

もっとも、上智の入試にはTEAP利用型もありますし、共通テスト利用型の試験もありますから、それでバランスをとっているのかもしれません。多様な学生をとりたいということなのでしょうが、そもそも教育機関の本分は「多様な才能をとること」ではなく、「多様な才能を見出し、育むこと」にあるわけです。(もっとも、大学は研究機関としての側面もありますが。)入学の際の選抜は「その大学で学ぶ内容を理解し、自身の能力を伸ばすのに必要な基礎的能力を有しているか」が分かれば十分であると思います。もちろん、要求される基礎的能力の基準が大学ごとに異なることは自然ですし、当然なことです。学習や議論の前提となる言語能力・情報処理能力が、学生間である程度は同じレベルで共有されていないと「よい学び」にはつながりませんので。ですから、大学ごとに問題が難しかったり、易しかったりすること自体は問題ありません。ですが、教科・科目を学部ごとに細分化するのはいささかやりすぎな気がします。大学側は、そのような「丁寧な」出題と採点の方が、各受験生の特性をよりはっきりと判断することができるし、採点は大変になるけれどもそれについては「採点側が苦労すれば良い」と考えているのかもしれません。ですが、それに付き合わされる受験生の身になって考えると、受験生の方は「上智のためだけの入試方式を理解したり、特殊な対策をするのは、手間がかかるしめんどくさいので勘弁してほしい」と思うのではないですかねw ぶっちゃけ、「丁寧に人をとること」よりも「丁寧に人を育てること」に主眼おいた方が良いのではないでしょうか。

まだ始まったばかりで、運用の実態や試験問題の中身を検討してみないと何とも言えませんが、試験の形式や手続きはあまり煩雑になりすぎない方が、受験生の負担を考えた上では良いように思います。そうでないと、「たくさんの教科・科目で多くの知識を覚えなければならず、受験生は大変だ」と言っていた状態から「各大学ごとに細かい入試方式がたくさんあって、それを理解しなければならない受験生は大変だ」にかわってしまうだけです。どうせ大変なら、大学ごとの入試の手続きよりも各教科の知識を蓄えた方がまだ有用な気がします。

もっとも、上智の方でもこの点についてはかなり気を遣っているようで、入試方式についての動画をyou-tubeで公開するなど、いろいろな方法で受験生が迷わないような工夫もしています。上智の受験を考えている人は、まずは上智大のHPや入試要項に加えて、これらの動画を視聴することをおすすめします。動画の方は、大変わかりやすく作られていると思います。

 

【上智大学】2022年度一般選抜の概要


【上智大学】2022年度一般選抜学部学科試験・共通テスト併用型

 

いつものことですが、だいぶ脱線してしまいましたw そんなわけで、私自身が受験生に助言するとすれば、「上智の特定の学部に行きたい・第一志望だ」と言ってくる受験生でない限り、上智の学部試験(学部学科試験・共通テスト併用型)の受験はあんまりお勧めしません。(特定の学部に絞れていて、比較的志望順位が高いのであれば、ある程度の対策を行うのは、アリかと思います。)上智の志望順位が低かったり、他大学との併願を考えている場合には、TEAP利用または共通テスト利用型を使った方が効率的でしょう。TEAP利用型に今後大きな変更がない限りは、TEAP利用型は上智を受験する際の有力な選択肢の一つになるのではないでしょうか。

 

さて、そんな上智のTEAP利用型ですが、2020年の問題はいくつかの点でこれまでの問題と若干異なる点が見られました。それらをまとめると以下の3つになります。

 

① 論述について、近現代史中心の出題から、近世史(16世紀)の出題になった

:これは、別に大騒ぎするほどのことではありません。以前書いた出題傾向でもお話しした通り、わずか5年程度連続で近現代史からの出題となったからと言って、その次もそうなるとは限らないわけです。しかも、別に古代史など全然時代の異なるところから出題されたというわけでもありませんので、これについては「ああ、上智のTEAP利用は近現代史以外からも出ることがあるんだなぁ」程度の理解で良いかと思います。要は「何が出てもおかしくない」ということです。

 

② (個人的には)小問の方に「悪問」と感じられる設問が増えた

:私は個人的には「高校受験生がしっかり世界史を学習したとしても、解きようがない、正解の選びようがない問題」は「悪問」の類だと考えています。その意味で、2020年上智TEAP利用の小問はこの傾向がやや強いように感じました。これまでのTEAP利用の小問ではそこまで「うわー、これはアカンわー」と感じさせる問題はなく、比較的安定していたのですが、この年はどうしちゃったのでしょうね。リード文や論述問題のテーマといい、もしかすると神学部の先生がおつくりになったのでしょうか。高校世界史についてもう少し配慮していただくと、受験生の学習の成果をきちんと拾える設問になると思うのですが。

 

③ 論述問題に「解答者自身の考え」を述べさせる設問が出題された

これがこの年の設問で一番面白いところですね!知識の整理ではなく、「受験生自身の考えを述べよ」という設問は、かなり多くの大学の世界史論述問題を解いてきていますが、めったに見られません。通常、世界史の論述問題は「世界史の知識」を一定のテーマに沿って説明させるという形で、基本的な知識を備えているかに加えて情報処理能力と伝達能力をはかるものになっています。ところが、こちらの設問では、「あなたはどう考えますか?」という解答者自身の自由な思考・思想を問うているわけです。「小論文」などではこうした問題も出題されますが、「世界史」の設問としては非常に珍しく、大胆で、面白い設問です。

 ただ、この「思考・思想」の部分をどう採点するつもりなのだろうという点は気にかかりました。ぶっちゃけ、個人がどういう考えや思想を持とうと自由なわけでして、それをどのようにして「世界史」の採点にのっけているのでしょう?正直なところ、私にはその採点基準が分かりません。もしかすると、よほどぶっ飛んだ論理の飛躍などがない限りは思考・思想の部分は採点の対象となっていないのでしょうか。もし、一定の論拠に従って示した思考や思想を「イケてない」、「危険思想だ」として低評価にしているとすれば、それは「世界史」の採点としていかがなものかと思います。神学部等でこれを問うのであればともかく、他学部を志望する受験生も受けるわけですから、取り組みとしては面白いのですが、採点基準次第では問題として「う~ん?」と思わざるを得ません。もっとも、上智大学では過去3年分のTEAP利用型問題の「解答および標準的な解答例」を示していて、こちらの方の解答はごく普通の内容でした。参考にしてみるとよいかと思います。

 

【設問概要】

リード文として「ある人物(フランシスコ=ザビエル)」の評伝を踏まえて書かれた文章が紹介されます。文章は赤本で3ページ分程度ですので、ざっとですが4000字程度でしょうか。小問が6問、論述問題が2問(200字程度と350字程度)で構成されており、分量については例年と大きな差はありません。文章の内容から、「ある人物」がフランシスコ=ザビエルであることを特定するのは難しくはありません。文章中、以下のような内容から特定することができます。

 

・アンジロウという日本人に出会い、日本での宣教を目的に滞在したが挫折した

・ゴアやマラッカ、マカオなどに滞在し、中国での布教を目指した

・元軍人の宣教師(イグナティウス=デ=ロヨラ)に説得され、新たな修道会(イエズス会)を創設したこと

 

丁寧に読み解けばこれがザビエルについての文章であることに気づきますし、上智大学自体が元々はイエズス会によって開設された大学で、神学部まで備えていますので、非常に上智らしいリード文と設問です。

小問については、例年と比べてやや難しい設問が多かったように思います。大学入学共通テストレベルの知識ではちょっと対応できないので、もし今後このレベルの小問が出てくるようであれば、早慶向けレベルくらいの学習が必要になるかと思います。また、いくつかあまり質の良くない設問が見られました。(設問2、5など) 実際の受験でこうした設問が出るのは仕方のないことですし、条件は受験生みな同じですので、落ち着いて、少なくとも2択まで確実に絞り込める学力を身につけることが大切かと思います。

 

【小問(設問1~6)】

設問1 b

:消去法で解くのが適切です。

a-「×ヴァスコ=ダ=ガマが到達したこの地…」

 :ガマが1498年に到達するのはカリカットで、ゴアではありません。

c-「×この地もイギリス領となった」

 :ゴアはインドに返還される1961年までポルトガル領です。

d-「×インドが…独立を果たした際にようやく、この地もインドに返還され…」

 :上記の通り、ゴアのインドへの返還はインド独立から十数年後です。

 

設問2 b

:消去法。選択肢cについてはあまり良い文だとは思えません。やや悪問ではないかと思います。

a-「×イスラーム勢力を一掃して成立したマラッカ王国…」

 :マラッカ王国自体がイスラーム化する国であり、周辺地域のイスラーム化を促進しますので、内容的に誤りです。

c-「×1670年代にはオランダ東インド会社による香辛料貿易の拠点となった」

 :まず、オランダ東インド会社の香辛料貿易の拠点は1619年にオランダが拠点を築いたバタヴィアです。このことから判断させたいのでしょうが、「拠点」というのは一つとは限らないわけですから、「バタヴィアが拠点である」ことをもってこの文章を否定するのはどうかと思います。また、1670年代はたとえば胡椒の生産量はピークを迎える時期ですので、「拠点」を貿易上の経由地として考えた場合、マラッカがそのひとつであることを否定できる材料を受験生は持ち合わせていないのではないでしょうか。(実際にはマラッカは地方港の一つに転落しますので、事実として誤りであるのは間違いありません。)

d-「×18世紀後半には、この地からオランダ勢力が一掃され、…」

 :オランダがマラッカから撤退し、かわってイギリスが同地を支配するきっかけとなったのは1824年の英蘭協定ですので、19世紀前半。イギリスの海峡植民地についてよく勉強している人であれば判断は可能です。

 

設問3 a

:消去法。

b-「×この地はイギリスに割譲されることになった。」

 :マカオは1999年に中国に返還されるまでポルトガル領です。(正確には、当初は居住権を得た後、19世紀末に領有。)

c-「×1887年にイギリスとポルトガルで協議し、ポルトガルがこの地を、イギリスが香港島をそれぞれ領有…」

 :イギリスとポルトガルとが協議して領地を領有した事実はありません。1887年については、中葡和好通商条約(清とポルトガル間の不平等条約、ポルトガルのマカオ領有が定められた)のことを意識しているのだと思います。また、イギリスが香港島を領有するのはアヘン戦争後の南京条約(1842、清‐イギリス間)によるものです。

d-「×香港島は…今もポルトガルの信託統治下に置かれている」

 :香港を領有したのはイギリスで、1997年に中国に返還されています。

 

設問4 c

:消去法。dの選択肢については、時々他の私大でも見られるものですが、個人的にあまり好きではありません。

a-「×:隋代末期…市舶司が置かれ…」

 :市舶司が初めて置かれるのは広州(広東)ですが、おかれるのは714年、唐の玄宗の時で、隋代ではありません。

b-「×明代の半ば、ムスリム商人がこの地に入り、これ以降、南海交易がさかんに…」

 :明代の半ば以降にさかんに交易を行ったのは東アジア地域の人々(後期倭寇などを含む)やポルトガルが中心で、ムスリム商人ではありません。

d-「×五・三〇事件における民族意識の高揚をうけて、孫文の率いる国民党が…国民政府を樹立した。」

 :五・三〇事件と広東国民政府の樹立は1925年で、孫文の死後。

 

設問5 c

:消去法。adの文章についてやや悪問だと思います。設問中の「この人物」はマテオ=リッチ。

a-「×この人物は、マカオ来航後すみやかに…万暦帝から…布教活動を許された」

 :マテオ=リッチのマカオ来航が1582年、万暦帝への謁見が1601年ですから、「すみやかに」ではないです。ただ、マテオ=リッチのマカオ来航の時期と、万暦帝への謁見の時期が離れていることを知るすべや機会はほとんどの受験生にはないものと思われますので、要求すること自体に無理があります。

b-「×宋応星とともに…『幾何原本』を…」

 :『幾何原本』の作成に尽力したのは徐光啓。宋応星は『天工開物』の著者。

d-「×この人物の影響を受けた徐光啓は、暦法所書の編纂事業に着手し、みずからの手で『崇禎暦書』を完成させた。」

 :おそらく、これを×とする根拠は「『崇禎暦書』作成に貢献したのはマテオ=リッチではなく、アダム=シャールであるから」ということだと思います。ですが、上記の通り徐光啓はマテオ=リッチとも交流があり、たしかに暦法については無関係かもしれませんが、マテオ=リッチからも一定の「影響を受けて」います。(実際、マテオ=リッチからの教授の際に幾何学だけでなく天文学や地理学、暦法などについて教えをうけているようです。)また、『崇禎暦書』はアダム=シャールが他の宣教師や中国人学者と協力して西洋天文学の知識を翻訳したものを、徐光啓が集大成して『崇禎暦書』として編纂したものですから、「自らの手で完成させた」と言えなくもありません。つまり、読み方によっては誤りとできない可能性がある文章ではないかと思います。ただまぁ、実際に解く段階では、違和感を感じると思うので消去しますけどね。

 

設問6 d

:消去法。

a-「×この地に大学が発足したが…ヨーロッパ…最古の…」

 :ヨーロッパ最古の大学はイタリアのボローニャ大学であって、パリ大学ではありません。

b-「×ジュネーヴの神権政治を批判した。」

 :カルヴァンはジュネーヴで神権政治を展開する人物です。

c-「×三部会の開催は…この地で行われた。」

 :1789年の三部会はヴェルサイユで開催されます。もっとも、パリとヴェルサイユってかなり近いのですが。

 

【論述問題(設問7、8)】

設問7(論述問題:200字程度)

■ 設問概要

・文中下線部(このお方を取り巻く世界は大きく動いていて、それがこのお方の行動の背景をなしているのかもしれない。)に関連して「このお方(フランシスコ=ザビエル)を取り巻く世界」の動きとはどのようなものであったか答えよ。

・指定語句:イスラーム教 / 国家事業 / 宗教改革 / 大航海時代

 (指定語句を使用の際は初出の1箇所のみ下線を引く)

200字程度

 

  分析と解法

:ややアバウトな設問の要求ですが、ザビエルを「取り巻く世界」とあることや、指定語句の内容から、「世界」とはいっても中心的に書く必要があるのは16世紀ヨーロッパの状況、特にザビエルを取り巻く宗教にかんする事柄・世界と結び付けて書くことが妥当かと思います。馬鹿正直に世界全体の様子を書き出すと際限がありませんし、200字という字数を考えても内容をしっかり絞った方が良いでしょう。

 内容的には、近世ヨーロッパが始まる頃の大航海時代や宗教改革など、お定まりのテーマに沿って書けばよいですが、指定語句に「イスラーム教」があることや、ザビエルがポルトガル王の要請で派遣されていることなどから、ザビエルの時代よりも少々早いですが大航海時代が本格化する一つの契機となるレコンキスタの完了に言及しても良いかと思います。また、ザビエルがロヨラとともに創設したイエズス会が、プロテスタントに対抗するカトリック側の自己改革である対抗宗教改革の流れの中にあることから、対抗宗教改革やカトリック・プロテスタント間の宗派対立にも言及すべきでしょう。指定語句にある「国家事業」については色々な形で使うことが可能ですが、ザビエルが主に活動したのが16世紀半ばであることを考えると、大航海時代におけるスペイン・ポルトガルなどの新大陸・アジア進出について使用するのが良いのではないかと思います。

 

  解答例

イベリア半島からイスラーム教勢力を駆逐しレコンキスタを完了したスペイン・ポルトガルを中心に、国家事業として新大陸やアジアへ進出する大航海時代が本格化し、香辛料貿易独占や鉱山開発を通して莫大な富が西欧に流入した。一方で、ルターが始めた宗教改革で旧教と新教の対立が深まると旧教側はトリエント公会議を機に対抗宗教改革を開始し、異端撲滅を目指すとともに、イエズス会を中心に海外やヨーロッパへの布教を展開した。(200字)

 

200字程度なので、ぴったりにこだわることはないのですが、このくらいの内容で十分かと思います。テーマがザビエルなので、対抗宗教改革については言及したいところですね。上智大学が出している標準解答例には用語としては出ていませんでしたが(汗)、後半部分で内容的には言及されていますね。

 

設問8(論述問題:350字程度)

■ 設問概要

・文中下線部(このお方は、何を望み、何を期待して、こんな遠き異邦の地までやってきたのだろう)に関連して、ザビエルのような宣教師の活動を「香料と霊魂」といった受け止め方が一般にみられる。この件にかんする解答者自身の考えを述べよ。

350字程度

 

  分析と解法

:冒頭部分で述べた通り、非常に面白い設問だと思いますが、採点基準がよくわからない設問です。基本的にはよほどの危険思想や論理が破綻した主張でなければ「解答者自身の考え」で減点されることはないと思いますので、ここはやはり、基本となる前提条件(宣教師の活動が「香料と霊魂」と受け止められていること)はどういうことかということをしっかりと示しておくべきだと思います。

「香料と霊魂」という言葉自体が世界史の教科書等でそのまま言及されることはあまりないかと思います(少なくとも、東京書籍『世界史B』、山川『詳説世界史研究』ならびに用語集の索引部分には見られませんでした)が、用語から内容を推測することは十分に可能かと思います。「香料」というのは香辛料のことで、たとえば香辛料の原産地であるモルッカ諸島は「香料諸島」の名前で知られています。モルッカ諸島は下の地図の赤い丸で囲まれたあたりがおおよその位置です。

モルッカ諸島

モルッカ諸島

香辛料といっても様々ですが、モルッカ諸島ではたとえば丁子(クローブ)やナツメグなどの原産地です。

ClovesDried

Wikipedia「丁子」より)

Muscade

Wikipedia「ナツメグ」より)

このモルッカ諸島には香辛料貿易の独占を狙ったポルトガルが16世紀前半に進出していますが、ポルトガル商人の進出とともに、イエズス会の宣教師たちもインドのゴアなどを拠点に各地に布教のために進出していきます。つまり、当時ポルトガルによるアジアへの貿易の拡大とイエズス会によるカトリック布教は並行して行われていました。

ただ、ここで気をつけておきたいのは、これは単にイエズス会がポルトガルの貿易商人にくっついてアジアにやってきたというレベルにとどまらない点です。実は、イエズス会士自身が主体的に香辛料貿易をはじめとする各種経済活動に従事していたことが研究から明らかになっています。この時期のイエズス会の実態を分かりやすく知りたいのであれば、高橋裕史『イエズス会の世界戦略』講談社選書メチエ、2006年がまとまっていて良いかと思います。高橋氏が本書の第六章で述べるところでは、イエズス会士はその生計の手段としてポルトガル国王から香辛料(丁子)貿易の認可を受けており、この認可に基づいて香辛料貿易に従事していたことがわかります。高橋氏が本書で紹介しているイエズス会インド管区協議会議事録のうち、「諮問第45 我がイエズス会員たちがマルコでおこなっている丁子貿易と、日本でおこなっている生糸貿易を全面的に廃止すべきかどうか」の一説を引用します。

 

 モルッカのさまざまな窮状を目にすれば、我がイエズス会員たちは、以前行っていたように丁子を発送しなければならなかった。この貿易によって大勢のキリスト教徒たちが維持され、救われているからである。したがって、国王陛下が我がイエズス会員たちが生計を立てられるようにと、この丁子貿易を認可されている以上、これは言われているような躓きにはならない。この貿易は長年にわたっておこなわれてきたもので…(中略)…したがって、これはすべての[モルッカとサン・ロッケのイエズス会]修道会氏による共同貿易なのである。

(高橋、前掲書、p.164.より、中略部分は私の方で略したものです。)

 

これを見ると、当時アジアにやってきたイエズス会宣教師たちが、「ちょっと送ってみた」のレベルではなく、生計を立てるための経済活動として丁子貿易に参入していたことや、そのための認可を国王から受けていたことが読み取れます。また、丁子貿易以外にもイエズス会が様々な経済活動に従事していたことを高橋氏は指摘しています。そして、本設問の「このお方」ことフランシスコ=ザビエル自身も、貿易活動についての視点を持っていました。高橋氏は、同書において高瀬弘一郎氏による諸研究の概要をまとめていますが、その中で、ザビエルが鹿児島からアントニオ=ゴメス宛に書いた書簡を紹介しています。

 

もしも日本国王が私たちの信仰に帰依することになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神において信じているからである。[堺は]非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町である。日本の他の地方よりも銀や金がたくさんある[ので]この堺にポルトガルの商館を設けたらよいと思う。

(高橋、前掲書、p.163より)

 

このザビエルの書簡からは、ザビエルが対日貿易の重要性を感じていただけでなく、布教の成功やカトリック信仰の拡大がポルトガルの経済的・物質的利益を増大させることを認識していたことが示されています。

こうしたことの何が問題なのかと言いますと、実は当時のイエズス会の規則(『イエズス会会憲』)の中では、清貧の堅持と遵守が説かれていて、営利目的の経済活動は厳密にいえば禁止されていました。たとえば、高橋氏の研究では、コレジオ(神学校)の収入をそこで学ぶ修学生の養育以外の目的に充当することを『イエズス会会憲』が厳に禁止していたことや、定期性のある収入の保有を禁じていたことなどを紹介しています。(高橋、前掲書、pp.37-143.)ですから、生計を立てるためであり、かつ国王から認可されていることとはいえ、香辛料貿易のような営利活動に従事することは、イエズス会士にとって彼らの信仰の純粋さに抵触する恐れのある行為であり、まさに「霊魂」にかんする問題であったわけです。こうしたイエズス会の現実主義的な対応を高橋氏は「適応主義政策」としていくつかの事例を紹介しています。)このような事情があったからこそ、前述の議事録の中で示された通り、イエズス会士にとって丁子貿易を行うことは「丁子を発送しなければならなかった」と、ある種の後ろめたさを感じる行為でした。また、当時は対抗宗教改革が進んでいた時期であり、聖職者についても信仰・道徳面での刷新が求められていた時期でもありました。さらに、同じイエズス会の中でも、現地で辛苦の中活動した宣教師たちと、比較的安全な地域で現地の実態を知らない宣教師との間では認識の違いもあったと思われます。このような中で、アジアで布教に従事するイエズス会士の営利活動は彼らの「霊魂」を穢す行為であるととらえられることもありました。(たとえば、ヨーロッパの聖職者と現地で活動するイエズス会との認識のズレは、高校世界史の中でも「典礼問題」などで示されています。)そうであるからこそ、先に紹介した議事録の中で、「したがって、国王陛下が我がイエズス会員たちが生計を立てられるようにと、この丁子貿易を認可されている以上、これは言われているような躓きにはならない。」とやや言い訳じみた言葉が出てくることになります。つまり、当時のイエズス会士にとって、香辛料貿易などの経済活動とそこから得られる利益は、かれらの生計をたてるために必要不可欠なものである一方で、彼らの「会憲」や信仰の純粋さを保つためには本来あってはならないもの(躓き)でもありました。イエズス会は、異邦の地でカトリックを広めるためには不本意ながらも経済活動に従事しなければならないというジレンマを抱えていたことになります。

 

さて、少し「香料と霊魂」について詳しくご説明してきましたが、当然のことながらこれまでお話ししてきた内容を高校生の受験生が知っていることを期待するのは無理があります。最低限、以下のことをおさえておけば十分でしょう。

 

「香料」

:香辛料のことで、ポルトガルは16世紀前半、モルッカ諸島をおさえて香辛料貿易を独占していた。

「霊魂」

:イエズス会によるカトリック信仰と布教のこと。

 

そして、この「香料」と「霊魂」がセットであったと考えられていることが「香料と霊魂」という一般における受け止められ方(言い方を変えれば歴史のとらえ方)なわけですが、この受け止め方について解答者はどう考えますか、というのが設問の問いになります。当然、答えとしては様々な答え方があり得るわけです。たとえば、「実際にイエズス会の活動と経済活動は切っても切れない関係にあったので香料と霊魂というとらえ方は妥当だ」という考え方もあり得ます(上智大学好みの解答ではないでしょうがw)し、上智の示した解答例のように宣教師の信仰や使命感に理解を示しつつ実際には経済活動に従事せざるを得ないジレンマ、信仰の貫徹の難しさを指摘するような解答でももちろん良いと思います。

私自身が(受験生の立場で)書くのであれば、事実としてイエズス会の布教活動がポルトガルの貿易活動の拡大と並行して展開していたことを示しつつも、当時のイエズス会宣教師たちが、彼らのかかわっていた香辛料貿易などの経済活動(香料)をどのようにとらえていたのかについては、イエズス会士の書簡や活動の諸記録、当時のイエズス会が置かれていた状況などを読み取ることができる様々な史料に基づかない限り憶測にすぎないのであり、イエズス会士にとっての信仰生活(霊魂)が香料とどの程度まで深くかかわっていたのかは分からない、またはその関係がどのような史料から見て取れるのか興味がわいた、などの解答を作成するかと思います。解答例はその路線にしたがって作ってみたいと思います。

 

  解答例

当時、ポルトガルの支援を受けて各地での布教活動を展開したイエズス会にとって、カトリック信仰を守り清貧を保つという「霊魂」の問題と、莫大な経済的利益をもたらす香辛料貿易を表す「香料」は密接に関係していた。また、新教の拡大に直面していたポルトガルにとっても、海外進出とカトリック布教は国家政策の一部であった。こうした中、ザビエルのようなイエズス会の宣教師たちが自分たちの信仰生活や布教活動が経済活動に依存していることをどのようにとらえていたのかは分からない。清貧を旨としつつも信仰を守るために経済活動に頼らざるを得ないことを心苦しく感じていたかもしれないが、その実態を知るためには、当時の彼らの思いや置かれた状況を知るための書簡や記録を精査するしかない。どのような史料が残されているのか強い関心を抱いた。(350字)

 

こんな感じでどうですかね。こちらも350字程度なので、ピッタリである必要はないのですが合わせてみました。いろいろと書いてきましたが、七面倒くさいことや不安定なところがありつつも、実験的で面白いことにチャレンジしている雰囲気を感じるというのがこの年の上智の問題だったのではないでしょうか。