今回ご紹介するのは『7人のシェイクスピア』です。 

 『ゴリラーマン』や『BECK』等で知られるハロルド作石先生のお描きになっているマンガですが、当初このマンガを知った時には私の「読まず嫌い」が発動してなかなか購入にいたりませんでした。その理由は二つありました。

 

① 『ゴリラーマン』がシェイクスピア…?

② なんか、1巻が二つあるんですが…?

 

この二つですね。なんていうか、もう、ゴリラーマンのイメージが強すぎてそれがどうシェイクスピアと結びつくのかいまいちイメージわかなかったんですよw 「シェイクスピアとか言ってるけど、シェイクスピア関係ないんじゃねぇの?」とまで思ってました。マジごめんなさい。

  それに、書店に行くとこのマンガが並んでいるのがよく目についたのですが、なぜか1巻が二つあるんですよ…。こんな感じで。

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最近、コンビニなんかだとすでに単行本化しているものを廉価版とか総集編にして売っていたりして、これまで何度ももう持っている内容のマンガを買わされる被害wを受けた私にすれば、「おい、これはどういうことじゃい。怖くて手が出せにゃい。」ということになるわけですね。よーく見ると、赤い方には「NON SANZ DROICT」って書いてあって、黒い方にはないのですが、それもあてにならんのですよ。発行元が小学館と講談社で違うみたいだから仕方ないのかも分かりませんが、売る側は買う側が困らないように表示をもうちょっと考えていただきたい(泣) 予備知識のないものにとって「二つの1巻」は無駄金を使わされる危険物以外の何物でもないので、新章入った時に1巻に戻すのはホンマに勘弁してほしいです。『ナポレオン』の方は、「獅子の時代」と「覇道進撃」に分かれてたからまだ判断ついたんですけどね…。

 さて、そんなわけでしばらく気になりつつも買わなかったんですが、たまたま入った書店で試し読み版が置いてありまして、それを読んだところ「おお、面白そうだ」となりまして、さっそく購入しました。もっとも購入時点では黒い方と赤い方のどちらの1巻が先なのかは判断がついていませんでしたw

 ネタバレになっちゃうので簡単に話の概要だけかいつまんでお話ししますと、黒い方の1巻から始まる全6巻は、シェイクスピアが生まれ故郷であるストラトフォード=アポン=エイヴォンを出て、リヴァプールで生活し、劇作家を目指してロンドンに出るまでのエピソードが、一部時系列をずらしながら語られる序章のような扱いのお話で、赤い方の1巻(NON SANZ DROICTの方)は、ロンドンに出た後のシェイクスピアとその仲間たちが、ジェームズ=バーベッジ率いるストレンジ卿一座に入って次第に劇作家としての名声を勝ち取っていくお話です。

 作品が「面白い、面白くない」や「魅力の感じ方」は人それぞれかと思いますので、ここではそういったことは語りません。あ、私は大変面白く読ませていただいておりまして、いつも新刊楽しみにしています。楽しみすぎてamazonの予約注文出た時点で予約してますw ですから、ここでは世界史や歴史という視点での本作品の見どころはどこにあるかといったことを検討してみたいと思います。世界史に役立ちそうな視点としては、以下のようなところがあるかと思います。

 

・エリザベス統治期の基本的な歴史的事項に触れることができる

16世紀末から17世紀のリヴァプールにおいて、砂糖が重要な取引品となりつつあるなど、当時の経済・文化・社会の息づかいや雰囲気を感じることができる

・当時のイングランドにおけるプロテスタントとカトリックの関係を感じることができる

・貴族やジェントルマンとは当時の社会においてどういう存在であったのかを感じることができる

・シェイクスピア作品についての知見を深めることができる

・シェイクスピアを取り巻く劇団・役者・劇作家について知ることができる

 

などなど、他にもたくさんあるかと思います。シェイクスピア作品を知っているともっと面白いと思いますので、新潮文庫あたりから出ているシェイクスピア作品をいくつか読んでいるといいと思いますよ。シェイクスピア作品は最初はとっつきにくいですが、作品の長さ自体は本にするとわりと分量が少ないので読みやすくはあると思います。本作品で出てきているのは『リチャード3世』とか、『マクベス』とか『ヴェニスの商人』あたり。
 もちろん、フィクションなので脚色されているところもあるかとは思いますが、歴史の入り口としてやはりイメージを構築するということはとても重要かと思いますので、当時の人々のより具体的な息づかいを感じられるマンガという媒体は歴史の入り口としては非常に優れていると私は思います。マンガが登場する以前にも、人々は口伝や物語、絵画などによってまず歴史に触れ、そこからそれぞれの人の歴史的イメージを膨らませていったわけですから、現代においてそれがマンガやドラマ、映画にかわっていくことが悪いことだとは思えません。(もっとも、それぞれの長所と短所はあるかもしれません。口伝や物語では自らイメージを構築するしかなかった視覚的情報がマンガやドラマ、映画ではいとも簡単に入ってしまうことから、イメージの固定化や想像力の低下をもたらす可能性はあるのかもしれません。逆に、与えられた視覚情報からより豊かなイメージを構築できる可能性もあるわけで、一概には言えない気がします。)

歴史の研究においては、言葉を厳密に使うことと同時に、その言葉の持つ意味・内容をしっかりとイメージできるかがとても大切です。たとえば、何気なく「大衆」とか「政治」とか「国」という言葉を用いるわけですが、こうした言葉の内容はいつの時代、どの地域、どの文脈で使われるかによって意味や内容に違いが生まれる言葉であったりします。そうした時に、「大衆」とはどのような人々なのか、都市の市民なのか、学生なのか、労働者なのか、自作農なのか、小作農なのか、などをより具体的にイメージすることは非常に重要なことです。書き言葉としてはやや無機質になりがちな学術論文とその言葉づかいですが、それを読む時や書く時に、こうしたことを意識しているかどうかは優れた歴史研究となる一つの要素であるように思います。

 さて、毎度のことではありますが少し脱線しました。ところで、この作品には単行本のところどころに当時の歴史的な内容について解説してくれるコラム「シェイクスピアとその時代」というのがありまして、何気なく「誰が書いているんだろう?」と思って見てみたら‥。

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指先生じゃねぇかw すげぇなぁ、最近のマンガは。がっつり歴史の勉強しないと描けないんだなぁ。そんな時代に「マンガなんて読ませない」というのは、ICT使わないのと同レベルな気がするんだけどなぁ。