2022年の早稲田法学部の論述問題は「北アジアおよび中央アジアのトルコ系民族集団の興亡」について問う問題でした。中央アジア史は一般的な受験生は十分に理解を進めるのが遅くなりがちな分野で、これが20年前に出題されたのであれば「エグイなぁ」と感じる設問だったかと思います。しかし、中央アジアに対する関心は年々高まってきています。同地域には石油・天然ガス・ウラン・レアメタルなど豊富な天然資源があることでもしられていますし、地政学上も重要な地域で、ヨーロッパへのエネルギー供給のためのパイプラインも通っているため、欧州の安定にも深くかかわっています。おそらく、こうした関心の高まりと、同地域の歴史研究の進展という双方の要因から、近年では中央アジアとその周辺を論述問題で出題する大学が増えてきています。何より、2022年は東大でも「トルキスタンの歴史的展開」が大論述で出題されましたので、今後中央アジア史をより丁寧に学習することが、難関大を受験する受験生には必要なことになってくると思われます。

また、2022年早稲田法学部の論述問題は、トルコ系民族をテーマとした出題でもありました。トルコ系民族やトルキスタンについては、2019年や2022年の東京大学大論述のテーマともなるなど、近年出題が増えている分野でもあります。時間が許せばですが、以前に早稲田法学部の出題傾向などでもお話した通り、早稲田法学部の論述の練習材料として東大の過去問に挑戦する(または問題と解答を見てどんなテーマがありうるのか確認しておく)ということも有用かなと思います。

 

【1、設問確認】

・時期:6世紀から10世紀末(501年~1000年)

・北アジアおよび中央アジアのトルコ系民族集団の興亡と移動について説明せよ。

250字以上300字以内。

・指定語句(要下線)

:唐の建国 / 安史の乱 / キルギス / パミール高原 / イスラーム王朝

 

本設問では、時期だけではなく「北アジアおよび中央アジア」と「トルコ系民族」という地域的な限定と民族的な限定がされている点に注意を払う必要があります。

 

(北アジア)…通常、アルタイ山脈以北のシベリア地域を言う

(中央アジア)…通常、東西トルキスタンを中心とする地域を言う

 

【2、指定語句の整理】

:通常の高校世界史でよく登場するトルコ系民族の流れと言えば、「突厥→ウイグル→キルギス」かなと思います。とりあえず、頭の中で「突厥→ウイグル→ウイグルがキルギスに敗れた後に中央アジアに定住して同地がトルコ化、ついでにイスラーム化の流れかなぁ」という漠然としたイメージが即座に作れるのであればこの問題はかなり取り組みやすかったのではないかと思います。この流れが浮かんだのであれば、これをもとに指定語句とからめて肉付けをしていきます。この流れが浮かばない場合でも、まずは指定語句を確認して周辺知識の洗い出しや、時代順の並べ替えを進めていくことになるでしょう。

 

・唐の建国(618

:唐が建国された7世紀前半に北アジア~中央アジアにかけて存在したのは突厥です。ただし、この突厥はすでに東西に分裂(583)した後でした。設問は時期を「6世紀から」としていますので、もう少し前から突厥の様子を探る必要があります。また、上記の通り、突厥以降は「突厥→ウイグル→キルギス」(全てトルコ系民族)という形でうつり変わっていきます。これらのトルコ系民族の興亡についての簡単なまとめは以下の通りです。

 

(突厥以前)

 ・アルタイ山脈付近を起源とする遊牧民族

 ・丁零、高車などと呼ばれ、匈奴や柔然の支配下に置かれていた

 

(突厥)

 ①柔然(モンゴル系)から独立して建国[552、突厥第一帝国]

 ②エフタルを滅ぼしてパミール高原まで勢力を拡大
 ③建国当時、中国は南北朝時代

→隋が文帝[楊堅]によって中国を統一する過程で突厥は圧迫される。(東西に分裂)

 ④隋の滅亡による勢力回復と、唐の建国への協力

 ⑤唐の太宗[李世民]の時代に東突厥が平定される(630、天可汗の称号)

→唐は羈縻政策を導入

 ⑥唐の高宗の時代に西突厥滅亡(657

 ⑦世紀後半に唐に服属していた東突厥が自立化[682、突厥第二帝国]

 ⑧ウイグルによって滅亡(744
 
(ウイグル)

 ①744年に自立化、東突厥(突厥第二帝国)を滅ぼす

 ②安史の乱で唐に協力

 ③マニ教の信仰

 ④ソグド商人の保護

 ⑤キルギスによって滅ぶ(840

 ⑥以降、タリム盆地方面に移住、ソグド人と混血(中央アジアのトルコ化)

 

(キルギス)

 ウイグルを滅ぼす。その後は小部族が乱立、13世紀にモンゴル帝国の支配下に入る

 

・安史の乱(755763 

・キルギス

:これら二つの指定語句については、上述した箇所で使用すればOKです。

 

パミール高原

:東西トルキスタンを分ける地域です。

 

・イスラーム王朝

:中央アジアのイスラーム化は、ウマイヤ朝・アッバース朝やサーマーン朝の流入によって進んでいきます。サーマーン朝はイラン系の王朝ですが、サーマーン朝と言えば、よく「中央アジア初のイスラーム王朝」という形で紹介されることが多く、今でもよくフレーズとしては出てきます。これは、「初めて中央アジアを拠点として誕生(または自立化)したイスラーム王朝」という意味で、それまでに中央アジアにイスラーム王朝の支配や影響力が及んでいなかったというわけではありません。(もしそうであれば、「何でタラス河畔の戦い[751]が起こるんだ」ということになってしまいます。)最近は、教科書の記述もこの辺丁寧になってきていて、サーマーン朝について「中央アジア初のイスラーム王朝」という記述は減ってきています。たとえば、東京書籍の『世界史B』(2016年版、2022年印刷)では、「ソグド人」についてのコラムの中で、ソグド人の故地(サマルカンドとその一帯[西トルキスタン])についての記述で以下のように示されています。

 

 なお、ソグド人の故地では8世紀からウマイヤ朝のもとでイスラーム化がはじまり、サーマーン朝のもとでイスラーム教への改宗が進んだ。さらに10世紀のカラ=ハン朝以降トルコ化がすすみ、今日西トルキスタンと呼ばれる地域の一部となった。(東京書籍『世界史B2016年版、p.101

 

一方、上記の引用にも登場しますが、カラ=ハン朝の場合には「中央アジア初のトルコ系イスラーム王朝」というフレーズでよく紹介されますし、多分今後もそのような形で出てくることになると思います。今回はトルコ系民族が求められている主題ですので、これはおさえておきたいですね。カラ=ハン朝は最近「カラハン朝」の表記も見られるようになってきましたが、まだ安定しません。(東京書籍版『世界史B』ではカラ=ハン朝ですが、山川の世界史用語集ではカラハン朝となっています。)まぁ、習ったときの表記で良いのではないでしょうか。

他に中央アジアと関係するイスラーム王朝というと、もし中央アジアにアフガニスタンを含めて考えるのであればガズナ朝を視野に入れても良いかもしれません。本設問では10世紀までとなっていますので、同じトルコ系でも11世紀以降に成立するセルジューク朝やゴール朝は含みません。

 すると、本設問に関係してきそうなイスラーム王朝はウマイヤ朝・アッバース朝・サーマーン朝・カラ=ハン朝・ガズナ朝あたりということになります。

 

【3、中央アジアのイスラーム王朝の整理】

:上記の通り、本設問に関連しそうなイスラーム王朝はウマイヤ朝・アッバース朝・サーマーン朝・カラ=ハン朝・ガズナ朝あたりということになります。もっとも、ウマイヤ朝については高校世界史ではほとんど中央アジアに関係する出来事の記述は出てきませんので、実質的にはアッバース朝の進出、つまりタラス河畔の戦いから考える形で良いと思います。また、トルコ系のイスラーム王朝が始まるのはカラ=ハン朝からです。そこで、これらのイスラーム王朝について、中央アジア(または北アジア)に関係する事柄を簡単にまとめてみたいと思います。

 

(アッバース朝)

751 タラス河畔の戦い

:西域に駐屯していた唐の高仙芝の圧力に対し、これに抵抗した西トルキスタンの部族が西に存在していたイスラーム勢力に援助を要請。これに応えたアッバース朝の総督が軍を派遣して唐の軍隊と交戦した戦い。製紙法西伝のきっかけとなった戦いとして有名だが、これ以降、特に西トルキスタン地域へのアッバース朝の影響力は拡大したが、実態としては現地の土着部族が同地を統治していた。

 

(サーマーン朝)

・「中央アジア初のイスラーム王朝」(イラン系)

:イスラームに改宗したイランの土着貴族がアッバース朝の総督(アミール)であったターヒル朝の下で勢力を拡大し、875年にアッバース朝から事実上独立。アッバース朝やサーマーン朝の頃からトルコ人軍人奴隷をマムルークとして導入することが増える。

 

(カラ=ハン朝)

・「中央アジア初のトルコ系イスラーム王朝」

10世紀半ばに成立し、イスラームに改宗。サーマーン朝を滅ぼす。(999

 

(ガズナ朝)

:サーマーン朝のマムルーク出身であるアルプテギンが、10世紀後半(962)にアフガニスタンのガズナに建てた独立政権から発展したイスラーム王朝。 

 

【解答例】

モンゴル系柔然に支配されていたトルコ系民族の突厥は、6世紀に自立し、エフタルを滅ぼしてパミール高原まで勢力を拡大したが、東西に分裂し、唐の建国後は押され、東突厥は太宗に制圧され羈縻政策下に入り、西突厥は高宗により滅んだ。その後台頭したマニ教を奉ずるトルコ系ウイグルは、安史の乱鎮圧に協力し唐と友好を保ったが、キルギスに敗れて以降はタリム盆地周辺に定住してソグド人と混血し、同地のトルコ化が進んだ。同地では、タラス河畔の戦い以降、イラン系サーマーン朝などの進出が進み、トルコ人は軍人奴隷マムルークとしてイスラーム世界に導入された。10世紀には初のトルコ系イスラーム王朝カラハン朝がサーマーン朝を滅ぼした。(300字)

 

上記の解答にはガズナ朝は入れませんでした。要素としては中途半端かなぁと思ったので、バランス重視で削りましたけど、書いても別に間違いではないかなと思います。解答はえらい前に作ったのでほんのちょっぴり自信ないですが、自分で作ったはずw たしかw