2021年の早稲田大学法学部の大論述は、テーマとしては極めてオーソドックスなものでした。18世紀の英仏対立や、オーストリアをめぐる問題は受験では頻出の箇所なので、ワセ法を受験するレベルの受験生であれば「知識として全く知らない」ということはおそらくなかったのではないかと思います。また、類題としては一橋大学の2019年Ⅱがかなり近い内容の出題をしておりますので、そちらも参考になるかと思います。今回のワセ法の問題と一橋2019Ⅱの問題の違いとしては、一橋が第二次百年戦争の開始[ファルツ継承戦争]やその背景からであるのに対して、ワセ法が1701[スペイン継承戦争]からであること、一橋の方は「英仏関係」や「世界史への影響」を問うているのに対し、ワセ法の方が英仏関係のみならず「英墺関係」も問うていること、(戦争を通しての)英仏関係、英墺関係の「変遷」について問うていることでしょう。ほぼ同一の内容を扱いつつも視点が異なりますので、それぞれでどういったアプローチをするべきか考えてみるのも良い練習になるかと思います。

注目すべき点としては、早稲田法学部の大論述で何よりもまず関係性の「変遷」を問う設問が2019年から3年続けて出題された点でしょう。(早稲田大学法学部の出題傾向についてはこちら。)こうした関係性の「変遷」を問う設問は従来から東京大学が好んで出題してきたスタイルですが、以前からお話している通り、ワセ法でもここ10年くらいで積極的に取り入れられるようになりました。そのため、授業で習った知識をただ羅列すればよいというスタイルの論述ではなく、設問の意図・指示にそって自分の頭の中で適切に情報を整理して書くことが要求されるものになっています。そうした意味で、ワセ法の論述の難度は確実に上がっていると思います。ただ、テーマ自体は多くの場合基本的なものを要求されています。字数は300字と東京大学などの600字論述と比べるとかなりコンパクトなので、冗長に書いてしまうと字数を簡単にオーバーしてしまいます。必要な情報は何かをしっかり確認して、できるだけ多く加点要素を文章の中に織り込む技術が必要になるでしょう。

また、時代的には18世紀史ということで、やはり近現代史は多く出題される傾向にあります。(2010年~2022年では、17世紀以降の歴史からの出題が全13回中11回(ただし、17世紀以前の歴史からの出題があった2回は2019年と2022年と、直近では近現代史以外からの出題も増えていることには注意が必要です。)

 

【1、設問確認】

・時期:17011763

・フランスおよびオーストリアに対するイギリスの対外的立場の変遷を説明せよ。

250字以上300字以内

・指定語句(語句には下線を付す)

スペイン / プロイセン / 外交革命 / フレンチ=インディアン戦争

 

:本設問の解答を作成するにあたって重要な点は、二つのことが答えとして求められていることをしっかりと把握することです。すなわち、

 ① フランスに対するイギリスの対外的立場の変遷を説明せよ。

 ② オーストリアに対するイギリスの対外的立場の変遷を説明せよ。

2点です。つまり、単なる英仏対立や植民地戦争、またはオーストリアとプロイセンの対立といった「ありがちな」18世紀国際政治史ではなく、イギリスがフランスとオーストリアに対して、どのような外交的姿勢を取り、それらがどのように「変化」したのかを示せ、と言っているわけです。いつも申し上げることではありますが、設問の求めているものをしっかりと確認して、そこから外れないようにすることが一番大切です。

 

【2、該当時期のヨーロッパの戦争、外交を整理】

:求められているのはイギリスのフランス・オーストリアに対する立場の変遷ですが、対外的立場というのは二国間のみの関係によって成立するものではありません。また、18世紀の国際政治は多くの戦争とそれにともなう関係の調整がたびたび起こった時代でもありますから、まずは18世紀の国際関係を大きく変動させたいくつかの戦争に注目することが必要です。

 この点、設問が1701年~1763年を時期として指定していることは非常に示唆的です。なぜかと言えば、1701年はスペイン継承戦争(17011713/14)の始まった年ですし、七年戦争が終わった年でもあります。いわゆる「第二次英仏百年戦争」の前半部分を中心とした時期ですので、方針としては「スペイン継承戦争」、「オーストリア継承戦争」、「七年戦争」とこれらと連動した植民地戦争についてまずは情報を整理した上で、その中から特にイギリス・フランス関係ならびにイギリス・オーストリア関係についてどのような「変遷」があったのかを確認するというのが良いかと思います。どの戦争も受験頻出のよく出てくるテーマではありますが、どのくらいしっかりと把握できているかということが、解答の出来の差に直結してくる気がします。要求されている知識は頻出の基本的知識ばかりですが、それらを正確に出して整序するとなるとそれなりの力が要求されます。受験生の力量をはっきりと見定められる良問ではないでしょうか。

 では、以下では「スペイン継承戦争」、「オーストリア継承戦争」、「七年戦争」とそれに関連する情報を整理しておきたいと思います。表中、ピンクで示してあるところは本設問にかかわらず受験で良く出題される内容で、基本事項です。まずはこちらがきちんと頭の中で整理できているかどうかを確認しておくと良いかと思います。

画像1 - コピー

A、スペイン継承戦争(17011713/1714

[基本的な構図]

  英(+墺、普など) vs 仏・西

[連動していた植民地戦争など] 

アン女王戦争(@北米)

[講和条約]

 ① 1713年 ユトレヒト条約

(主な内容)

・アカディア・ニューファンドランド・ハドソン湾地方割譲(仏→英)

・ジブラルタル・ミノルカ島割譲(西→英)

   ・アシエント特権を認める(西→英)

   ・スペインのフェリペ5世即位承認(スペイン=ブルボン朝成立)

   ・スペインとフランスの合邦禁止

・プロイセン公国が王号を承認される

② 1714年 ラシュタット条約

(主な内容)

・南ネーデルラント、ミラノ、ナポリ、サルディニアなどを墺へ

 (旧スペイン=ハプスブルク領の多くがオーストリアへ)

 

:ユトレヒト条約については過去にもあちこちで書いています。(「一橋2019Ⅱ」「ユトレヒト条約は中身まで覚える!」など。) 内容も含めて頻出ですが、ストーリーを確認しておさえれば思い出しやすくなりますので、過去記事も参考にしてみてください。イギリスとフランス(+スペイン)の間の戦争はこの条約で終結します。

:ラシュタット条約はハプスブルク家とフランスの間で締結された条約です。この条約により、スペイン=ハプスブルク家が所有していたヨーロッパ各地の所領は、オーストリア=ハプスブルク家が所有することが確認されました。このあたりをしっかり把握できていると「なぜかつてスペイン領だった南ネーデルラント(オランダ独立戦争を思い出してみてください。)が、ウィーン会議においてはオーストリアからオランダに譲られることになるのか」や、「なぜリソルジメント(イタリア統一運動)において、ロンバルディア(ミラノ)がオーストリアとサルディニアの係争地となるのか」などについて、より深みのある理解をすることができます。

 

B、オーストリア継承戦争(174048

[基本的な構図]

 墺・英 vs 普・仏

[連動していた植民地戦争など]

 ・ジェンキンズの耳の戦争(@西インド諸島)

・ジョージ王戦争(@北米)

・第1次カーナティック戦争(@インド)

cf.) マドラスとポンディシェリ / デュプレクス

[講和条約]

 1748年 アーヘンの和約

(主な内容)

・シュレジェンの割譲(墺→普)

   ・プラグマティシュ=ザンクティオン(王位継承法)承認

    →マリア=テレジアのハプスブルク家の家督相続を承認

    (皇帝位は夫のフランツ1世)

   ・植民地については占領地の相互交換

 

:オーストリア継承戦争では植民地の移動などは起こりませんでした。主な内容はオーストリアからプロイセンへのシュレジェン割譲やマリア=テレジアのハプスブルク家継承確認などとなります。本設問では、戦後の処理よりはむしろ戦争中の対立・協力関係を確認しておくことの方が重要です。

 

C、七年戦争(175663

[基本的な構図]

墺・仏 vs 普・英 (外交革命)

[連動していた植民地戦争など]

 ・フレンチ=インディアン戦争(@北米)

 ・プラッシーの戦い(@インド)

・第3次カーナティック戦争(@インド)

・ブクサールの戦い(@インド)

[講和条約]

 ① 1763年 フベルトゥスブルク条約(墺・普)

(主な内容)

・シュレジェンをプロイセンが維持

② 1763年 パリ条約(英・仏)

(主な内容)

・カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ割譲(仏→英)

   ・フロリダ割譲(西→英)

   ・ミシシッピ以西のルイジアナ割譲(仏→西)

   ・インドにおけるイギリスの優越権

 

:七年戦争では、重要な国際関係上の変化として「外交革命」があります。これにより、フランスがヴァロワ家であったころから続いていたハプスブルク家との対立は解消され、同盟関係へと変化していきます。これにともない、フランスと対立していたイギリスも立ち位置を変え、それまで協力関係にあったオーストリアと敵対し、プロイセンと協力することになります。対外関係の変遷を問う本設問ではこの部分が最重要項目だと思います。

七年戦争後は、フランスの勢力が北米から一掃されます。また、インドについてもイギリスがフランスに対する優勢を決定づけることになりました。本設問ではこの部分も強調しておくべき点ですね。

 

【3、仏と墺に対する対外的立場の変遷を確認】

:上記の【2、該当時期のヨーロッパの戦争、外交を整理】で示した内容をもとに、イギリスのフランスに対する対外的立場の変遷、またイギリスのオーストリアに対する対外的立場の変遷を確認すると、概ね以下のようになるかと思います。

早稲田法学部2021_英仏墺関係図 - コピー

 当時の国際関係の変遷が本当にこれら3つの戦争だけで説明できるのか、と言われればまぁ、他にも考えるべきことはあるのかもしれませんが、少なくとも高校や大学受験で学習する「世界史B」の情報をもとにするのであればこの流れで書くのが妥当かと思います。一番大切なことは、戦争・講和条約やその内容を書き連ねただけでイギリスと仏・墺との関係に言及した気になってしまうことがないようにすることだと思います。

 

【解答例】

 スペイン継承戦争で、ブルボン家の勢力拡大を警戒する英・墺は協力して仏に対抗し、ユトレヒト条約でフェリペ5世のスペイン王即位を承認したものの、仏・西の合邦を禁止し、英は仏からアカディア・ニューファンドランド・ハドソン湾地方を獲得した。マリア=テレジア即位にプロイセンが反対したことで起こったオーストリア継承戦争でも、英は墺と協力し、仏とジョージ王戦争やカーナティック戦争を戦ったが、占領地はアーヘンの和約で返還された。仏・墺が外交革命で同盟した七年戦争では、英は墺と敵対し、仏とのフレンチ=インディアン戦争やプラッシーの戦いに勝利し、パリ条約で北米とインドの優越権を獲得して仏との植民地戦争に勝利した。(300字)