2025年の早稲田大学法学部の世界史論述問題のテーマは、現在のインド・パキスタン両国が分離独立するまでの過程において、両地域で展開された支配政策と宗教間の対立と融和の関係を問うものでした。ワセ法では、2010年代まではいわゆる王道の主要国の歴史からの出題が中心でしたが、2020年に入るころから主要国の歴史からはやや外れた、ラテンアメリカ・アジア・アフリカなどからの出題が多くなっています。

 

2020年 メキシコ(独立から20世紀末)

2021年 仏・墺に対する英の外交政策の変遷(18世紀)

2022年 中央アジア・北アジアのトルコ系民族集団(6世紀~10世紀)

2023年 南アフリカのアパルトヘイトをめぐる歴史的経緯

2024年 フィリピン独立の歴史的経緯(16世紀以降)

 

中には受験生には対処しにくい設問もありましたが、2025年の設問はごく基本的な内容です。ただし、ムガル帝国成立以降となっていますので、イギリスによる植民地政策だけでなく、ムガル帝国における宗教政策の変遷もあわせて書けるかがポイントとなります。もっとも、こちらもアクバルによるジズヤの廃止とアウラングゼーブによるジズヤの復活というありふれた内容をつけ足せばよいだけですので、全体的に平易な内容かつ点数のもらいやすい論述問題であったように思います。

 

【1、設問確認】

・時期:1526年のムガル帝国成立~1940年頃まで

・インド・パキスタン両国が分離独立するまでの過程において、両地域で展開された支配政策が宗教間の対立と融和に与えた影響について説明せよ。

250字以上300字以内

・指定語句(語句には下線を付す)

ジズヤ / インド大反乱 / ベンガル分割令 / 新インド統治法

 

【2、全体のフレームワークの確認】

問題が難しかったり、手掛かりに乏しい時には指定語句をヒントに話を広げていくのが定石ですが、本設問のテーマであるインドにおける宗教政策は超ド定番の内容なので、ワセ法受けるレベルの人であれば、ある程度は話の内容を知っていることが多いのではないかと思います。ですから、時間短縮のためにも自分でいきなりフレームワークを作るところから始めてよいと思います。

 

<ムガル帝国の支配政策>

① ムガル帝国の建国(イスラーム王朝)

:まずは、ムガル帝国がイスラーム王朝であることはおさえておく。

 

② 3代アクバルによるジズヤの廃止とヒンドゥー教徒との融和

:アクバルは、インドのヒンドゥー教諸侯であるラージプート族との融和による王朝の安定化を図ります。その中で、妻にラージプート族出身の女性を迎え、ジズヤを廃止します。また、彼は神秘主義に影響を受けた独特の宗教観を持っていたらしく、これは「ディーネ=イラーヒー」(神の宗教)として知られています。従来はこれをアクバルが創始しようとして失敗した新宗教と説明されていましたが、実際には必ずしもイスラームの枠組みを超えた新宗教を創始したものではなく、あくまでも国家統治に寄与させるために従来の宗教をアクバル独自の観点からとらえなおしたものととらえる見方もあるようです。(小名康之「S. A. A. リズヴィー著『アクバル治世におけるムスリムの宗教と思想の歴史とくにアブール=ファズルに関して(一五五六-一六〇五)』」『東洋学報』第58号、1977年) もっとも、ここではこうした細かい点については不要で、「ジズヤの廃止とヒンドゥー教徒との融和」をしっかりおさえてあれば十分でしょう。

 

③ 6代アウラングゼーブによるジズヤの復活とヒンドゥー教徒弾圧

:アウラングゼーブによるジズヤの復活は、アクバルのジズヤの廃止とセットにして覚えるべき超重要事項です。また、アウラングゼーブは熱心なスンナ派ムスリムとしてヒンドゥー教に限らずイスラーム以外の宗教寺院の破壊など、かなり強硬な宗教政策を展開します。このことが、各地の非ムスリムの反感を買い、シク教徒のパンジャーブ地方やヒンドゥー教徒主体のマラーター王国の分離など、後のムガル帝国の分裂につながることになります。

ムガル帝国の分裂

 

(イギリスによるインド支配の拡大と植民地政策)

① イギリス東インド会社による支配の開始と拡大

:イギリス東インド会社は、1757年のプラッシーの戦いや、1763年のパリ条約でインドにおける活動からフランス勢力を駆逐すると、1764年のブクサールの戦いでムガル皇帝とベンガル太守の連合軍を破って、翌1765年にはベンガル・ビハール・オリッサにおけるディーワーニー(州財務長官権限)を獲得します。これにより、イギリス東インド会社はそれまでのインド物産をヨーロッパに運んで利益を得る商社としての立場から、インドにおける地方行政権(徴税権・司法権など)を有した支配機構としての性格を帯びることになります。

 

② イギリス東インド会社に対する本国監督の強化

:一方で、東インド会社は当時かなりの財政難に陥っており(不慣れな行政・売り上げ不振・防衛費の増額・飢饉による徴税不振などに起因)、また会社組織内の腐敗(非効率な運営・密輸・着服など)もあったため、1773年には規制法が定められ、ベンガル総督にヘースティングズをあてられて本国による東インド会社の監督が強化されることとなりました。

その後、イギリスにおける産業資本家の台頭と自由主義的な風潮の高まりもあって東インド会社の諸特権は徐々に失われ、1813年にはインド貿易独占権が廃止され、さらに1833年には商業活動を停止しますが、行政機構としての役割はその後も続いていきます。

 

③ インド大反乱と東インド会社の解散

:その後、1857年~1859年にかけて発生したインド大反乱を機に、イギリス東インド会社は1858年に解散が決定し、会社が有するインド統治の権限は全てイギリス本国が持つことになりました。インド大反乱の契機としては豚や牛の獣脂を使用した弾薬包を問題視したムスリムやヒンドゥー教徒のシパーヒーによる反乱がクローズアップされるので、宗教が無関係というわけではないのですが、本設問は「支配政策が宗教間の対立と融和に与えた影響」となりますので、設問の主旨とは無関係ですので、あまり触れる必要はありません。

 

④ イギリスによる「分割統治」

:イギリスは、その後インドにおける反英感情が集まって一つの力とならないように、いわゆる「分割統治」政策を展開します。高校世界史ではヒンドゥー教徒とムスリムの対立を煽るという宗教面の分断が強調されがちですが、イギリスによる分割統治は宗教に限らず、身分、カースト、財産、生活文化など多岐にわたる分野を区別して、インドの人々のコミュニティを細分化するものでした。ディヴィッド=キャナダインの『虚飾の帝国』(平田雅博・細川道久訳、日本経済評論社、2004)には、従来からインドに存在した伝統的な階層構造を、さらにイギリスが国勢調査等を通して把握し、インドにおける支配階層をイギリスの貴族階級になぞらえて体制側に包摂していくことなどが示されています。ただし、本設問ではごく単純にこのイギリスの分割統治が宗教対立を煽ったことと、その具体例を示してあげればよいかと思います。具体的な例として挙げられるのは以下の通りです。指定語句と重なりますね。

 

 ・1905年 ベンガル分割令(カーゾン法

  →ヒンドゥー教徒を中心とするインド国民会議派の急進化

  (ティラクによる1906年のラホール大会と四大綱領)

  →全インド=ムスリム連盟の結成(イギリスが後押し)

 1935年 新インド統治法

  →1937年地方選挙におけるインド国民会議派の圧勝とムスリムの危機感

  →ヒンドゥー教徒とムスリムの対立激化

  (1940年のムスリム連盟ラホール大会における分離独立決議の採択)

 

このあたりのインド近現代史については、以前の記事でもご紹介していますので詳しくはこちらもご参照ください。[→インド近代史(インド大反乱~分離独立)] 


ベンガル分割令_人口比入

さて、細々と書いてきましたが、流れとしては概ね以下の流れを示せば十分かと思われます。あとは、必要に応じて情報を取捨選択します。300字しか書けないので、書きながら設問のテーマである「支配政策が宗教の対立と融和に与えた影響」に焦点をあてて内容を吟味する必要があります。

 

① イスラーム王朝としてのムガル帝国

② アクバルによるジズヤの廃止とヒンドゥー教徒(ラージプート族)との融和

③ アウラングゼーブによるジズヤの復活と異教徒弾圧

④ ムガル帝国の分裂(シク王国・マラーター王国・マイソール王国など)

⑤ イギリス支配の開始(東インド会社から本国統治へ)

⑥ インド大反乱を契機とする分割統治の徹底

⑦ ベンガル分割令による国民会議派の急進化と全インド=ムスリム連盟の成立

⑧ 新インド統治法後の選挙によるヒンドゥーとムスリムの対立激化

⑨ ジンナーが指導する全インド=ムスリム連盟大会での分離独立決議採択

 

設問では「1940年代」ではなく「1940年頃」とありますので、おそらくインド総督マウントバッテンによる分離独立裁定(1947年)ではなく、1940年の全インド=ムスリム連盟のラホール大会における分離独立決議を意識していると思います。ですから、実際に両国が分離独立するところまで書く必要はありません。ただし、1940年ラホール大会については高校世界史の教科書にははっきりわかる形では出てこないので、「新インド統治法以降、ヒンドゥー教徒とムスリムが別国家建設に向けて動くことになった」くらいの表現でよいのではないかと思います。

 

cf.) ちなみに、山川出版社の『詳説世界史:世界史探求』には「こうしたなか、ジンナーを指導者とする全インド=ムスリム連盟は、40年、新たにイスラーム国家パキスタンの建設を目標に掲げた。」(p.296)と書かれています。

 

【3、指定語句との整合性チェック】

すでに上記【2】の手順で概ね解答は作成できる状態になっているかと思いますが、一応指定語句をこの流れの中でどう使うのかをチェックすることになります。ただ、与えられている指定語句が「ジズヤ / インド大反乱 / ベンガル分割令 / 新インド統治法」ですので、全く抵抗なく使用できるかと思います。本設問については、指定語句にこだわりすぎるとかえって大きな流れをとらえ損ねてしまう可能性があるので、全体像の構築の際には指定語句は参考程度に見るにとどめて、大枠ができてから忘れずに組み込むくらいでよいかもしれません。

 

【解答例】

イスラーム王朝のムガル帝国では、アクバルがジズヤを廃止しヒンドゥー教徒との融和と体制の安定を図ったが、アウラングゼーブはジズヤを復活し、異教徒の弾圧を行ったため、パンジャーブのシク教徒やデカンのマラーター王国などが分離して帝国は分裂し、これに乗じたイギリスの支配を許した。イギリスは、インド大反乱を機に東インド会社を解散し、本国による直接統治に乗り出して分割統治を強化し、ベンガル分割令後に反英化したインド国民会議に全インド=ムスリム連盟を対抗させるなど、宗教対立を煽った。新インド統治法後の地方選挙での国民会議派圧勝で危機感を高まらせたジンナーはムスリム国家パキスタン建設による分離独立を目指した。(300字)