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ようやく仕事が落ち着いてきましたので、2026年の大学入学共通テスト「歴史総合、世界史探究」についての解説を進めてみたいと思います。いつもと同じく、ダブルチェック等は行っておりませんので、「チェックが不十分でところどころ見落としや誤りなどあるかもしれませんので、ご覧になる際はご注意ください。」というエクスキューズ付きでお願いします。 

すでに昨年の時点で「ある種の型ができて安定してきた」とお話しておりましたが、2026年度の試験内容を見る限り、概ね「これが大学入学共通テストだ」という形ができた様子です。問題の種別としては、世界史の知識と資料読み取りを併用する設問、資料読み取りから判断する設問、世界史の知識のみで解答にたどり着ける設問に分類することができます。内訳は以下の通り。

 

① 世界史の知識と資料読み取りを併用する設問:15

 資料読み取りから判断する設問:5

 世界史の知識のみで解答にたどり着ける設問:12

 

もっとも、厳密に言えば③と分類した問題も、ある程度問題文を読まないといけないのですが、「史資料の内容を読み取り、精査しなければいけない」ものと「問題文を読めばよい(問題の指示内容を理解すればよい)」ものとでは内容的に異なるので、後者については③の知識問題としました。 

主体となっているのは①と②で、史資料を読み取らせた上での内容・正誤チェックという形式が多く出題されています。扱われている史資料の数はかなり増大していますが、文書史料だけでなく、視覚的にチェックできる資料も数多くあるため、読み取りにかかる負担やかかる時間は見た目の印象やページ数ほどには増大していないように感じました。 

また、昨年世界史分野からの出題が中心であった「歴史総合」部分については、日本史分野からのものが多く出題されました。昨年の問題が過度に世界史選択者に有利だとの批判があったので、いくらか調整が入ったのでしょうか。ただし、日本史分野からの出題とはいっても、内容的にはごく常識的な内容や、世界史分野でも言及されるような内容にとどまり、日本史の本当にディープな知識がないと解けないという内容ではありませんでした。塾によっては「世界史・日本史の横断的な学習が必要」というような型通りの講評なども見られますが、実際には「しっかり日頃から学習している人は点数が取れ、そうでない場合には点数につながらない」という類の設問に過ぎないように思います。 

ただし、今後の出題を考えた場合、よほど日本史寄りに寄せない限りは、基本的には世界史選択者に有利な出題となるのは避けられないように思います。なぜなら、世界史を本格的に学習する機会は高2・高3でしかない(歴史総合を含めれば高1も)のに対し、日本史の基礎部分の学習は中学受験から高校までの間に繰り返しありますので、世界史選択者であっても日本史の基礎知識に親しみがある分、対処可能となる場合が多いと思われるからです。 

いずれにしても、教科書レベルの知識があれば十分に高得点は狙えます。共通テストだけを受験する人であれば、教科書の学習を中心に進めればよいでしょう。一方で、国公立・私大の難関校と共通テストで必要とされる知識量にはやや乖離が生じています。ですから、第1志望が国公立・私立の難関校である場合には、最初からこれらに照準を合わせた学習を進めるべきで、共通テスト向けの学習はその過程で進めることになるでしょう。
共通テストの資料読解はそれほど難しいものではありませんが、適切な情報を抽出して整理する情報処理能力や、丁寧さ、集中力が求められます。資料読解に苦手意識がある場合には、それに特化した練習をどこかでする必要があるかと思います。

 

2025年 大学入学共通テスト「歴史総合、世界史探究」 解答と解説】

 

  1   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。 

読み取りが要求されているのは図1、図2とノート1なので、19世紀のパリについての資料読み取りが要求されていることが分かります。その上で、選択肢中で問われているポイントは以下の4点。

 

 ⓐ 19世紀のパリで高度情報化社会が成立したかどうか。

 ⓑ 19世紀のパリで工業化が進展したかどうか。

 ⓒ 富裕層と労働者層が地域的な住み分けから垂直的な住み分けに移行したかどうか。

 ⓓ 富裕層と労働者層が垂直的な住み分けから地域的な住み分けに移行したかどうか。

 

このうち、ⓐとⓑは資料から直接読み取ることはできない知識問題ですが、「高度情報化社会」とは高度な情報通信ネットワークと情報処理技術により、知識・情報が経済や生活の中核的な価値を生み出す現代社会のことですから、19世紀のパリで成立するはずがありません。また、フランスで産業革命が本格化するのは19世紀前半のことですから、「工業化が進展」が正しい。この時点で、選択肢①と②は消去されます。 

また、ⓒとⓓについて考えると、図1とノート1から19世紀前半には2階・3階は「間取りが広く調度品が豪華」で4階・5階は「狭く・調度品も少ない」とあるので垂直的な住み分けがされていることが分かり、一方、図2とノート1からパリ大改造があったことと、富裕層が多数住む地域と労働者が多数住む地域への地域的住みわけがなされていることが分かります。よって、上記ⓑとⓓにあたる内容を備えた④が正解だと分かります。

 

  2   

:世界史知識のみで解ける問題です。 

ノート1中のフランス皇帝とはナポレオン3世で、彼の在位した期間(第二帝政)は1852年~1870年です。あとは、この時期に起こった出来事として

 

・フランスによる長州藩砲撃(1863年)

・フランスによる英露とのオスマン帝国分割協定(サイクス=ピコ協定、1916年)

 

のどちらが正しいかを選べば良いので、答えは明らかです。

仮に、年号自体が分からなくても、「長州藩が存在する=明治維新(1868年)前」であるとか、「サイクス=ピコ協定は第一次世界大戦(1914年~1918年)の頃」などが分かればよく、かなりアバウトな時代理解でも十分正解が選べます。よく「年号が分からないと解けない」という人がいますが、年号ではなく数十年単位で離れている出来事のおおまかな前後関係が把握できているだけでも対処できる問題は多くあります。

 

   3   

:知識のみで解く問題です。 

誤りを見つける設問ですが、ヒントはこのパネル1の文章だけなので、純粋な知識問題となります。④の中に「日露戦争までに、郊外に文化住宅」とありますが、たとえば山川の『詳説世界史:世界史探究』や『世界史用語集』には「文化住宅」の語は登場しませんので、普通に世界史探究の勉強だけをしている場合には分からないかもしれません。 

一方、山川の『現代の歴史総合:みる・読み解く・考える』にはp.110に文化住宅について

「大正末期から普及した、洋室の応接間を持つ和風住宅」と記述がありますので、歴史総合の内容をしっかり覚えていた人であれば対処可能です。日露戦争は1904年~1905年、大正時代は1912年~1926年なので、文化住宅が普及するのは日露戦争よりも後の出来事なので、「日露戦争までに」としているこの④が誤りだと分かります。 

こちらも、「大正時代が何年か」を覚えるよりも、大正時代と第一次世界大戦の始まりがほぼ同時期だということや、第一次世界大戦後に米騒動や大正デモクラシーが起こるといった大きな話の流れをつかめていれば、「日露戦争までに」ということは時期的に無理があると判断できます。

 

  4   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。 

(グラフ1から読み取れる事柄)

「あ」:1970年代の公定歩合と新規住宅着工数を示すグラフは逆方向に動いているので、誤り。

「い」:1990年代に公定歩合が6%から0近くに低下していること、新規住宅着工数が横ばいであることが確認できますので、正。 


(背景)

確認すれば良いのは正しい「い」の文章の背景です。

X」:正しい。

Y」;1990年代の出来事に「列島改造を掲げた内閣(田中角栄内閣、1970年代)」は明らかにおかしいので、誤り。 


よって、答えは「い」と「X」の組み合わせである③。

 

  5   

:知識のみで解ける問題です。

 

③◎:18世紀に成立したコンバウン朝は19世紀に起こった3次にわたるイギリス=ビルマ戦争の結果、イギリスの支配下に入り、インド帝国の一部に編入されます。

 

①×:現在のインドネシアへオランダの進出は17世紀から始められ、19世紀に入ると本格的な植民地経営が進みます。1830年から導入される強制栽培制度に見られるように、オランダによるインドネシア支配では現地農民に対してコーヒー、サトウキビ、藍などの輸出用作物を栽培させ、それをオランダ本国の利益のために輸出する仕組みが作られていきます。こうしたことを考えれば、「オランダから農産物が輸入され、インドネシアがそれに依存する」という構造はむしろ逆で、間違っていると判断することができます。

 

②×:マラッカを拠点としたのは、最初はポルトガル(1511年~)、その後はオランダ(1641年~)、さらにその後はイギリス(1824年~)になりますので、スペインがここを拠点としたことはありません。

 

④×:カンボジアは1863年にフランスの保護国になります。英仏の緩衝地帯として独立を保つのはタイ。


東南アジアの植民地_地域名入り

(ヨーロッパによる東南アジアの植民地化)


  6   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

要求されている資料読解は2点。一つ目は、地図とパネルの文章から1930年代の京城の様子を正しく読み取ることができるか。二つ目は、1930年代よりも前の出来事と後の出来事を正確に区別できるか。 

まず、文章から「京城中心部の北部=日本人の割合少ない(8.7%)、京城中心部の南部=日本人の割合多い(52%)」ということと、「朝鮮人が多い居住区=地名に洞、日本人が多い居住区=地名に町」ということが読み取れます。その上で地図に目を移すと、新しい朝鮮総督府がある地図上の北部に「洞」、三越百貨店などがある地図上の南部に「町」が多いことが分かりますので、「あ」が正、「い」が誤(朝鮮総督府の移転先の日本人割合は小さいため)であることが分かります。 

また、三・一独立運動は1919年、日本のODAによる工業化の進展は戦後の日韓基本条約(1965年)後であることから、「う」が正、「え」が誤となります。 

そのため、正解は「あ・う」の組み合わせである①となります。

 

  7   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

「ア」:ノート21950年代のことを述べており、また中国人民義勇軍の介入について言及していることから、「ア」に入る戦争は「朝鮮戦争」だと分かります。(朝鮮戦争は1950-1953、ベトナム戦争の本格化は1960年代。)

 

「イ」:ノート2には「内戦から逃れてきた人の流入」が述べられている一方で、「労働集約型製造業(繊維・プラスチック製品)の発展」が示されているので、香港発展の背景は「周辺からの労働力の流入」が正しく、「重工業への優先投資」は間違いだと分かります。ちなみに、ここで言う「内戦」とは中国の国共内戦のことと考えてよいと思います。

 

よって、アが「朝鮮戦争」、イが「周辺からの労働力の流入」となるので、答えは②。

 

  8   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題ではありますが、資料の読み取りだけでも正解にたどり着くことは可能です。

 

(グラフの読み取り)

グラフ2

:現地人が主体で宗主国の人がほとんど住んでいない

1950年代の香港(ノート2における「イギリス本国からやってきた人は少なく」などや、その後の記述とグラフ下の注の内容などからも読み取れる。) 

グラフ3

:現地人・華僑・華人・宗主国の人々などが混在する社会

1880年代のサイゴン(班の話し合いにおける吉村の会話からも読み取れる。) 

グラフ4

:現地の人が多いが、宗主国の人も2割近くおり、その他の人種が少ない

1930年代の京城(パネル2に「1936年の京城の人口は60万人で、そのうち日本人は約13万人」という記述からも読み取れる。[13万人は60万人の約21%にあたる。]

 

(メモについて)

メモ1:グラフの読み取りより、グラフ4は京城のグラフで香港ではないから誤り。また、「ノート2の内容から、1950年代の香港での現地の人が占める割合は1931年よりも減少している」とあるが、グラフ下の注を見ると、「現地の人は、もともとの住民と周辺から流入した人を合わせたもの」とあるので、周辺からの人口流入はグラフの「現地の人」に含まれてしまうため、人口流入を理由に「割合は…減少」はおかしいのでこれも誤り。 

メモ2:内容は正しい。

 

よって、答えは「メモ2のみ正しい」の②。

 

  9   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

(アに入る語句)

令は行政法、律は刑法であり、資料1に書かれているのは「夜間に通行したものはむち打ち」という内容なので、「ア」に入るのは律。

 

(白居易の考え)

白居易が作成した資料2には「甲はうかつであった」、「(甲は)夜間通行禁止の規則に従うべきである」と書かれているので、「甲の釈明は正当ではなく、夜間の通行禁止に違反する」と考えていたことが分かるので、白居易の考えは「Y」。

 

よって答えは「い-Y」の④。

 

  10   

:「前の文章を参考にしつつ」とあるが、実質的には世界史の知識だけで解ける正誤問題。

 

③◎:唐代の中期ごろからは、科挙官僚たちの中から古文復興を主張する人々が増えてきます。こうした中で、唐宋八大家である韓愈や柳宗元が活躍します。

 

①×:文治主義は北宋時代にとられた政策で、唐代ではない。

②×:唐代は州県制であって封建制ではない。封建制は古代の周など。


④×:色目人が活躍するのは元代。

 

  11   

:世界史知識のみで解ける問題です。

 

(イに入る文)

11世紀ヨーロッパの農村社会では耕作地や牧草地が共同で利用される開放耕地の形をとっていましたので、正しいのは「あ」。ちなみに、「い」に書かれているような状態はイギリスで展開された囲い込み(エンクロージャー)で起こるので、11世紀ではない。

 

(表現されている図)

中世の農村を描いているのは「X」の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」。「Y」はミレーの「落穂拾い」で、19世紀のフォンテーヌブロー近くの農場を描いたものとなります。

 

よって、組み合わせは「あ-X」の①。

 

  12   

:教科書的な知識を離れた、資料の読解が要求される設問です。 

まず、中島が「資料4では、授業で学んだ荘園における農奴の立場とは、異なる立場が見て取れる」と言っており、資料4の中では「慣習で定められた貢納の義務を果たす限りにおいて、その領主の裁判権の及ばない所へと奉仕しに行くことができ、また移り住むことができる」とありますので、貢納さえ納めていれば移動の自由が認められていたことが読み取れます。そのため、「移動の自由がなかった」と書いてある②と④は×。 

さらに、教科書や授業で学習する内容と実態に食い違いがあることが示されていますので、食い違いの示されない①は×となるため、残った③が正解となります。

 

  13   

:意外に難しい問題です。というのも、文章の内容は全く参考にならず、ほぼ地図と世界史知識だけから答えを導く問題で、なおかつ、あまり受験生がカバーできていない内容だからです。 

パネルの中に、地図中のbが「ウ」領、cが「エ」領とあります。下の地図は該当地域の地図になります。bはイタリア領エリトリアとソマリランド、cはイギリス領ソマリランドになりますので、「ウ」がイタリア、「エ」がイギリスとなり、正解は⑤となります。

ソマリランド周辺
(エチオピア周辺の植民地化)

文章は基本的には参考にならないのですが、文中に出てくるブラヴァの領事の名前はカペッロとなっています。通常、カペッロというのはイタリア圏の人名なので、それが分かる人であれば「多分イタリアかな~」と考えることも可能ではありますが、決め手に欠けますし、高校生の世界史知識で分かる内容でもありません。

 

  14   

:資料読解問題です。

 

(メモ1)

資料5では、原告側の証人が「アッラーに対して証言」し、「その証言は承認され」、カーディー(裁判官)が「被告に支払いを命じる判決を下した」とありますので、証人の証言が根拠とされていたとするメモ1の内容は正しいと分かります。

 

(メモ2)

資料6に「証言者としてはアッラーで十分」とあることや、資料6について解説したパネルの文にこの表現が定型表現として使用されていること、資料6で判決の根拠となった証言をした証人もムスリムであったことなどが書かれていますので、「宗主国の法律ではなくシャリーアに則して裁定が下されていた」というメモ2の内容も正しい。

 

よって、解答は③(二つとも正しい)となります。

 

  15   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。 

まず、資料7はいわゆるコロヌス土地緊縛令で、これを出したのはコンスタンティヌスですから、「オ」にあたるのはコンスタンティヌス。また、本設問で出てくる1班から3班の学習内容は以下の通り。

 

1班:中国唐代の法(夜間通行の禁止)

2班:中世ヨーロッパの慣習法(農奴の移動の自由の実態)

3班:エチオピア周辺地域における裁判の実態(金の貸し借りや売買)

 

内容的に考えて、「農業に従事した人々への制約」について比較することができるのは「2班」の学習内容だと分かります。 

よって、解答は②。

 

   16   

:話題になったベルばら問題です。もっとも、資料読み取りとしてはごく基本的な内容です。フランス革命の基本的な時系列をきちんとおさえられていれば十分で、世界史の知識のみで解ける問題です。

 

1:「バスティーユへ!」とあるように、バスティーユ襲撃(1789年、フランス革命勃発)

文Ⅰ:ロベスピエールと公安委員会の支配(フランス革命勃発後)

文Ⅱ:フランスのアメリカ独立支援と財政難(フランス革命前)

 

革命前→革命勃発→革命勃発後なので、「Ⅱ→図1→Ⅰ」の順となり、④が正解。

 

  17   

:世界史知識のみで解ける問題です。

 

(下線部ⓐに関して述べた文)

「あ」:正。文章は「ヴェルサイユ行進」について述べたものです。 

「い」:誤。オランプ=ド=グージュはラ=ファイエットが起草した「人権宣言」の中に女性の人権が明示されていないことを批判し、1791年に「女性の人権宣言」と題したパンフレットを発表して女性にも平等な権利があることを主張した人物。

 

(アに入る文)

ナポレオン法典は所有権の不可侵、法の下の平等、信仰の自由、労働の自由などを規定した近代的内容の民法典でしたが、一方で家父長権(男性が支配的な法的地位を占める)を設定するなど、前近代的要素を残していたことで知られています。そのため「ア」に入るのは「家父長権は肯定された」になるので、Xが正となります。

 

よって、答えは「あ-X」の①。

 

  18    

:世界史知識のみで解ける問題です。 

『集史』はイル=ハン国のイラン人宰相ラシード=アッディーンがペルシア語で編纂した歴史書なので、モンゴル語で書かれたものではありません。

 

  19   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

②◎:会話文中に登場するアメリカ大統領は「棍棒外交」とあるのでセオドア=ローズヴェルト。ローズヴェルトはラテンアメリカへの「棍棒外交」のほか、日露戦争の仲介を行いポーツマス条約締結につなげたことで知られています。

 

①×:先生が「どのような手段に関しても、作者など、発信者側の意図や立場にも留意する態度が求められる」と言っていますので、考慮する必要がないと書いてある①は誤り。

 

③×:図3のゲルニカはスペイン内戦(1936-1939)中のバスク地方の都市ゲルニカへの無差別空爆を描いたピカソの作品であって、1990年代のコソヴォ紛争を描いたものではありません。

 

④×:図4はケープタウンからカイロまで鉄道用の電線を敷設するケープ植民地首相セシル=ローズを示した風刺画で、イギリスの縦断政策を示す際にもよく用いられます。そのため、「フランスの自信を象徴」というのは誤り。

 

  20   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

(グラフから読み取れる事柄)

「あ」-誤

:グラフより、1926年の都市人口は約50万、1939年の都市人口は200万弱なので、「都市の人口が10倍以上増加した」とする「あ」は誤り。 

「い」-正

1931年の人口は650万以上、1933年の人口は500万を切っているので、「総人口は100万人以上減少した」とする「い」が正しい。

 

(背景)

X」-正

:総人口の減少の背景として妥当。 

Y」-誤

:大量の失業者の都市への流入は都市人口の増加の根拠となるべきものですから、総人口の減少を示す「い」の背景としては不適切です。また、ソ連は世界恐慌の影響をあまり受けなかったことが知られていますので、失業者が「世界恐慌によって発生した」としている点も誤りです。

 

以上のことから、「い-X」の組み合わせとなり正解は③。

 

  21   

:資料の読み取りだけで解ける問題です。

 

メモ1‐正

:パネルにアルマティには「1957年以来、レーニン像が設置されていた」とあるので「十月革命の指導者の像が建てられた」は正しい。また、パネルに「1940年代末以降、数百回の核実験が行われ、住民の健康被害が多発した」とあるので、核実験による健康被害の部分も正しい。

 

メモ2‐正

:パネル中の文章に、アルマティの中心広場に建てられた女性兵士はレニングラードの戦いで戦死したとあるので、正しい。

 

よって、文章は二つとも正しいので答えは③。

 

  22   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

(アに入る文)

資料1と木村の会話から、カエサルの頃に「帝国」を意味するインペリウムという言葉が使われていたことが分かるので、帝国をオクタウィアヌスから始まる「元首政の開始とともに」始まったとする「あ」は誤りで、「共和政の時代から」帝国と呼べる存在だったとする「い」が正しい。

 

(資料2から読み取れる内容)

資料2には、アウグストゥスが征服で手に入れた王国の多くについて、「奪っていた王位を元の王に返却」し、統治能力のない王がいる場合も後見人を指名して「インペリウムの一部と見なして気を配」っていたとあるので、「直轄領とし、集権的な体制を確立した」とある「X」は誤りで、「復活させた諸王国についても、帝国の一部とみなしていた」とある「Y」が正しい。

 

よって、組み合わせは「い-Y」となり、答えは④。

 

  23   

:ローマ帝国の領域変遷を問う問題で、ほぼ世界史知識だけで解く問題ですが、地図の読み取りがやや難しい設問です。

 

資料2:文中より「資料2は五賢帝時代に書かれた」とあるので五賢帝時代

 

図Ⅰ:シチリア・ヒスパニア・カルタゴや、ギリシア・マケドニアが領域下にあるので、ポエニ戦争が終結した頃と分かる。また、ガリアが領域下に入っていないことから、少なくともカエサルのガリア遠征よりも前であることは確実。

 

図Ⅱ:地中海沿岸が支配下にあるものの、ガリアやブリタニアが支配下に入っていません。こうした状態になる時期は、ローマ共和政期・ローマ帝政期ともにありません。設問には、「ある時代にローマ人やローマ皇帝の[インペリウム]が直接及んだ地域を示している」とありますので、必ずしもローマ共和政期・ローマ帝政期に限ったことではないことが分かります。こうした判断に基づいた場合、該当するのはビザンツ帝国のユスティニアヌス帝時代であることに気づきます。

 

以上を順に並べると、「図Ⅰ(ポエニ戦争期)」→「資料2(五賢帝期)」→「図Ⅱ(ユスティニアヌス期)」となるので、答えは②。


3
(ローマ帝国の最大領域[トラヤヌス帝の時代])


4
(ユスティニアヌスの最大領域)


  24   

:世界史知識だけで解く問題。単純な消去法です。

 

④◎:アウラングゼーブの時代にムガル帝国の領域が最大となったのは頻出です。

 

①×:タージ=マハルを建立したのはシャー=ジャハーンであってアウラングゼーブではない。

 

②×:シク教が創始されたのは15世紀末。ムガル帝国の建国は1526年のパーニーパットの戦いでバーブルがロディー朝を破った頃。アウラングゼーブの時代にはすでにシク教は創始されて百数十年が経過している。

 

③×:上記の通り、ロディー朝打倒はバーブルの頃。


5

  25   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

「あ」

:資料3の中に、ヒンドゥー教の神であるシュリーナートジーの豪華な聖衣や装飾にイラン=イスラーム文化の影響が示されているとあるので、正。 

「い」

:まず、田口の会話に「ダーラ=シコーが、スーフィズムとウパニシャッド哲学とが共通していると考え」たとあります。そして、ウパニシャッド哲学はブラフマン(梵)とアートマン(我)の同一性を悟ろうとした思想(梵我一如)でしたので、正。

 

よって、答えは「①」。

  

  26   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

(イに入る語句)

資料4はキューバの独立運動で活躍したホセ=マルティの論説。ここで、「北のアメリカ(アメリカ合衆国)」は「野望」を持つ存在として描かれ、「我らのアメリカ」について何も知らない強大この上ない隣国と表現されていることから、彼が合衆国を脅威として感じていたことが分かる。よって「い」が正しい。

 

(場所)

下線部ⓑのアメリカ=スペイン戦争の結果アメリカ合衆国が手に入れたのは、グアム・フィリピン・プエルトリコなので、答えは「X」。アラスカは1867年にロシアからアメリカ合衆国の国務長官スワードが主導して購入したもの。

 

よって、「い-X」の③が正解。

 

  27   

:世界史の知識というより、理解を問う問題。

 

(メモ1)‐×

:古代ローマ帝国に対する諸民族の自立の動きを「国民国家建設を目指す独立運動」ととらえているが、国民国家の出現は18世紀以降の西ヨーロッパで登場するものなので、古代ローマには存在しないので、誤り。

 

(メモ2)‐◎

:フェリペ2世のプロテスタント弾圧がオランダ独立戦争を招いたこと、アウラングゼーブがイスラームを篤く信仰し、ヒンドゥー教寺院の破壊を行ったこと、彼らの不寛容な宗教政策がその後の国の衰退につながったこと、 すべて正しいので正。

 

(メモ3)‐×

:マンサブダール制は与えられたマンサブ(官位)に応じて給与の額や保持すべき騎兵・騎馬の数を定める一種の軍事官僚制なので、むしろ中央集権的な制度であるから、「地方分権を進めた」という文章は誤り。

 

よって、答えは「メモ2のみが正しい」の②。

 

  28   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題。

 

②◎:パネルには、「地域有力者」(郷紳)が、「納税代行に従事して、富を蓄積するようになった」とあるので、正。

 

①×:交子・会子は宋代に使用された紙幣。

 

③×:両税法は唐代に導入されたもの。その後も続きましたが、明代後期には一条鞭法が導入され、銀納が求められました。

 

④×:資料より、納税用の銀に換える経費は農民たちが負担していたことが分かります。

 

  29   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題。

 

「ア」

:オスマン帝国の税制はティマール制(徴税権分与)だったものが徐々に徴税請負制にとってかわられて、地方有力者(アーヤーン)が台頭します。③・④に書かれている非ムスリムに人頭税を課すのはジズヤのことなので無関係。よって「ア」に入る語句としては「農地の徴税権を分与する制度」が正しい。

 

「イ」

:資料1に「自分の請負期間は1年または2年」とあり、「収奪物の全てを奪おうとする」とあるので、「イ」に入る語句としては「短期間に利益を最大化しようとした結果、激しい収奪が行われた」が正しい。

 

よって、①が正解。

 

  30   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。

 

(リストの主張)

資料2を読むと、「ドイツ域内」に対しては「関税を廃止すること」とありますが、「ドイツ以外の諸国民」に対しては「共通の関税を設定すること」とあるので、「い」が正しい。

 

(事例)

リストの主張は「保護貿易」ですので、それと同じ事例を選ぶ必要があります。コブデンとブライトは穀物法廃止を求めた自由貿易論者ですが、南北戦争前のアメリカ北部の主張した貿易政策は保護貿易ですから、「Y」が正しい。

 

よって、組み合わせは「い-Y」となり、正解は④。

 

  31   

:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。 

資料3に示される協定は、ノートより「第二次世界大戦後の経済的な世界的秩序を築くことを、目的としていた」とあるので、GATT(関税と貿易に関する一般協定)とわかります。GATTが目指したのは自由貿易の推進であり、ブロック経済の成立が国際貿易を縮小し、最終的に世界大戦につながった反省から作られたものでした。また、アジア通貨危機が起こるのは1997年のことですのでGATT成立とは無関係であることは明らかです。この時点で、選択肢は③・④に絞られます。 

また、GATTをはじめとする戦後の国際的経済秩序構築に積極的であったのはアメリカ合衆国でした。 

これらに合致する正解は、③。

 

  32   

:資料読解問題です。

 

③◎:1班の事例に明清時代の地方有力者による納税代行があること、2班の事例にオスマン帝国における徴税請負があること、資料5に仲介人による商税支払い代行があることなどから、これらを参照に納税や徴税の具体的仕組みを探究するのは妥当。

 

①×:1班のパネルや2班の資料1には税率の変更についての記述はありません。また、流通については、選択肢中に言及されている全ての資料に記述がありません。

 

②×:資料4は増税ではなく減税措置について述べている資料なので明らかな誤りです。

 

④×: 3班の資料はドイツ関税同盟、4班の資料はGATTについて述べているものなので、これらを参照して税制と地域の有力者との関係について探究するのは無理があります。

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長らく放置しておりましたが、ぼちぼち2025年東大の大論述解説を書いてみようかと思います。(「その前に2026年のものを書け」と言われそうですがw) 

2025年の第1問も、2024年に引き続き論述が2問構成という形式でした。2024年は「360字(12行)+150字(5行)」の合計510字(17行)でしたが、2025年は「360字(12行)+240字(8行)」の合計600字(20行)となり、従来の東大大論述の合計字数と同じになりました。また、後ほどあらためて解説は用意するつもりですが、2026年の設問でも「300字(10行)+300字(10行)」の合計600字での出題となりましたので、第1問についてはしばらくの間、この形式で定着していくと考えた方がよさそうです。

正直に言うと、私としては以前の600字論述の方が深みがあって考えていて楽しいので、前の形式の方が嬉しいのですが…、変わってしまったものは仕方ありません(残念)。なかなか筆が進まないのも、「いまいち楽しくない」のが原因かなと思っています(言い訳)。

内容面では、今後の東大第1問の形式が今のままで続く限りは、基本的な世界史理解があれば解ける形の内容になる可能性は高くなるかと思います。その分、情報の取捨選択や、設問の意図・要求を正確につかむ必要は以前よりも高まるかと思われますので、そうした意味での難しさはあるかもしれません。(でも、個人的には好みではありませんw)

2025年の設問テーマは「帝国の解体と再編」という東大では比較的よく見られるテーマです。特に、1997年の大論述が今回の設問とかなり近い内容になっていますので、一度ご覧になっておくのが良いでしょう。また、2019年のオスマン帝国解体に関する設問とも内容的に重なる部分が多かったため、過去問演習を丁寧にやっていた受験生ほど対応しやすい設問だったように思います。全体として、それほど難度の高い設問ではありませんので、出題の意図から外れて取りこぼしのないようにすることが最重要かと思います。


○ 第1問 問⑴

 

【設問概要】

4つの大陸国家(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国、清)の変容について、2つの類型に分けて記述せよ。

・共通の課題を抱えていた4つの大陸国家が1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行する際に、支配領域や民族別人口構成の面で大きな変化がある場合とそうでない場合に着目せよ。

・指定語句(語句には下線):国民統合 / チベット / ドイツ人 / 連邦制

12行以内(360字)

 

(リード文からのヒント)

4つの大陸国家は版図を統合する強力な政治体制や軍事力を持つ一方で脆弱性を抱えていた。

・変容に際しての過程や結果にはいくつかの共通点と相違点があった。

 

【手順1

4国家の変容について整理

:まずは、設問が要求している4つの国家の変容について整理します。ここで言う「変容」とは、設問の内容からして「1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行」したことを言うと捉えて差し支えないでしょう。それを踏まえて、4国家の変容を簡単に整理すると、以下のようになるかと思います。

 

① オーストリア=ハンガリー帝国 → オーストリアとハンガリーに分裂

② オスマン帝国 → トルコ共和国に(旧支配地は多くが独立または委任統治領に)

③ ロシア帝国 → ソ連(ロシア革命による)

④ 清 → 中華民国(辛亥革命による)

 

【手順2】

・共通の課題と、2つの類型(支配民族・民族別人口構成)に基づく分類について整理

:次に、設問で示されている「共通の課題」と「2つの類型」が何かを明確にしていきます。これについては、東大で頻出のテーマに慣れ親しみ、過去問演習に取り組んできた受験生にとっては比較的まとめやすいものかと思います。また、今回は12行(360字)論述ですので、大まかな分類で十分だと思います。簡単にまとめると、以下のようにまとめられるかと思います。


2025_東大_帝国の分類_図


ここで、2つの類型のうち「敗戦」と「革命」についてはこだわる必要はありません。設問で重視されているのは「領域を縮小し国民国家化する型」と、「多くの領域と多民族構造を保持する型」の2類型です。ただし、記憶の整理の面で活用しやすいので、表では上記のようにまとめてみました。

 

厳密に言えば、たとえばオーストリアでは「帝国の崩壊各地で革命降伏講和条約」の流れになるので、分裂の原因は帝国の崩壊と革命ということになるのですが、オーストリアやハンガリーでの革命が191810月~11月にかけて、降伏が191811月であることを考えれば、革命のきっかけが第一次世界大戦での敗戦が原因だったことは明らかです。また、高校世界史では通常、オーストリアの分裂を敗戦とその後のヴェルサイユ体制やサン=ジェルマン条約に帰するものが多いので、上記のような分類にして差し支えないかと思います。

さらに言えば、ロシア革命の場合も革命が先行しているとはいえ、当時のロシアの戦況は全く芳しくなく、オーストリアと類似の状況であったと言えないこともないのですが、過度に厳密におさえるよりもある程度類型化しておさえた方が記憶に定着しやすいこともありますので、ここでは整理のしやすさを優先しておきたいと思います。

 

【手順3

・変容の過程と結果についての詳細をまとめる(1910年代~1920年代)

:大きな方向性を確認したところで、各国の状況についてもう少し掘り下げて、論述を組み立てるための材料を整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とサン=ジェルマン条約(ハンガリーはトリアノン条約)

 ② オーストリア(ドイツ人地域)とハンガリー(マジャール人地域)に分裂

 ③ オーストリアは帝国から共和国へ

 ④ ハンガリーは共和政成立、共産革命の後、ハンガリー王国へ(ホルティの独裁)

 ⑤ 旧支配地域であった東欧諸国は民族自決の理念の下で独立

 

(オスマン帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とセーヴル条約(1920

 ② 領土の大幅な縮小、多くの地域は英仏の委任統治下に

 ③ ムスタファ=ケマルと大国民議会(アンカラ政府)の抵抗

 ④ ローザンヌ条約(1923

 ⑤ スルタン制廃止(1922、オスマン帝国滅亡)とトルコ共和国成立(1923

 

(ロシア帝国)

 ① 第一次世界大戦中のロシア革命(1917

 ② 十月革命(十一月革命)とソヴィエト政権の成立

 ③ ロシア帝国の崩壊と社会主義国ソ連の成立(1922

 ④ ソヴィエト共和国の連邦制による支配領域維持と多民族の内包

 

(清帝国)

 ① 辛亥革命(1911

 ② 清帝国の崩壊と共和国である中華民国の成立(1912

 ③ モンゴルの独立(モンゴル人民共和国、1924)とチベットの自立化(1913

 

【手順4、設問の意図に沿った情報整理】

あとは、ここまでに整理した情報をもとに、設問の意図に沿った情報整理をしてあげればよいと思います。

 

① 4国家の変容についての2類型を示す

  敗戦後に領域を縮小し国民国家化…オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国

 ● 多くの領域と多民族構造を保持…ロシア帝国、清

 

② 上記の2類型に沿って、各国の具体的な変容を示す

 

これで十分ではないでしょうか。ただし、本設問では「支配領域や民族別人口構成の変化」にこだわっているので、それらが明示できるような具体例を示すと良いでしょう。たとえば

・オーストリア共和国

(領域) オーストリアに縮小 / 旧支配地の独立

(民族) 他民族 → ドイツ人中心


・トルコ共和国

(領域) アナトリアに縮小 / 旧支配地の多くが委任統治領

(民族) 他民族 → トルコ人中心


・ソ連

(領域) 多くを保持

(民族) 他民族を内包(ソヴィエト共和国の連邦制)


・中華民国

(領域) 多くを保持(ただし、チベットやモンゴルの分離)

(民族) 他民族を内包しようと努力(五族共和など)

 

指定語句については、ここまでの整理の中で自然に使いどころが見えてきます。従来の600字論述では、話の筋が見えにくい場合に指定語句から整理していくという手法をとることもありましたが、300字程度の論述であれば、必要以上に指定語句に引っ張られるよりも、まずは設問の意図をしっかり把握して、その上で指定語句をどう使おうかという考え方の方が全体像のブレが少なくて済むように思います。(設問の内容次第ではありますが。)

 

【解答例】

第一次世界大戦前に多民族・多領域を支配した4国家は、敗戦後に領域を縮小し国民国家化する型と、多領域・多民族構造を保持する型に分かれた。前者のオーストリア=ハンガリー帝国はサン=ジェルマン条約で解体され、マジャール人等の諸民族が分離して、ドイツ人が中心の共和国に縮小した。オスマン帝国もセーヴル条約で領土が削減され、アラブ地域の多くは委任統治下に置かれたが、ムスタファ=ケマル率いる民族運動とローザンヌ条約により、アナトリアとトルコ人を中心とする共和国として国民国家化が進んだ。一方、後者のロシア帝国は革命による帝政崩壊後、諸地域のソヴィエト共和国を連邦制で統合したソ連に再編された。清も辛亥革命で滅亡し、中華民国が成立して五族共和を掲げて旧領域・民族の維持と国民統合を図ったが、モンゴルやチベットでは分離の動きが生じた。(360字)

 

こんなところでしょうか。情報の取捨選択がやや難しいです。

 

注意したい点としては、問⑵の内容が「民族自決」を中心とする内容なので、問⑴の中に民族自決について過度に強調する必要はないことです。ただし、オーストリアがいくらドイツ人中心の国家として再編されることが設問の要求の中心であったとしても、オーストリアの解体にこの民族自決の理念が深くかかわっていることは事実なので、完全に排除しなくても良いかと思います。

また、東大を受けるレベルの受験生であればあまりないかとは思いますが、問⑵の内容を確認せずに書き進めてしまって、後から「あ。民族自決は問⑴ではいらんのか~(泣)」となってしまった場合には、無理に消すほどのこともないかと思います。たとえば、民族自決云々の箇所を具体的な民族名(マジャール人、チェック人、スロヴァキア人など)に書きかえてお茶を濁す、などで対処しても良いかと思います。

 

1問 問⑵

 

【設問概要】

4つの大陸国家の変容に際して、国際社会が提唱した新たな原則について論ぜよ。

・この原則の適用をめぐる事情について論ぜよ。

・オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例について記述せよ。

・指定語句(語句には下線)

:委任統治 / ウィルソン / チェコスロヴァキア / 平和に関する布告

8行以内(240字)

 

設問の内容はごく基本的なものです。率直に言って、東大を受験するのであれば、問⑵については、ほぼ完全解答に近い形でまとめたいところです。

 

唯一、注意が必要なのが「原則の適用をめぐる諸事情」についてです。民族自決についての問題点としては、「ヨーロッパのみの適用で、アジア・アフリカなどの植民地には適用されなかったこと」や「単一民族・単一国家の理念が少数民族問題を生み出したこと」などがあげられますが、本設問では「4つの大陸国家の変容に際して」とありますし、その要求に「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよという指示があります。また、指定語句の多くも従来からの英仏植民地(アジア・アフリカ)については射程にしていない(委任統治はあくまでオスマン帝国旧支配地のアラブ人地域に言及する内容)ことなどから、「諸事情のどの部分をどのように解答に盛り込むか」といった感覚は必要になるかと思います。

 

【手順1

・国際社会が提唱した新たな原則の内容と事情について整理

(原則の内容) 民族自決

(事情) 1917年 平和に関する布告でソヴィエト政権が主張

     1918年 ウィルソンによる14か条の平和原則で主張

     1919年 パリ講和会議で争点に(植民地を持つ英仏を中心とする反対)

 

このくらいの内容で十分かと思います。極めて基礎的な内容です。
 

【手順2】

・オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国のそれぞれについて、民族自決との関係を整理

:設問要求では「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよとありますので、これら2国が「民族自決」の理念によってどのような影響を受けたかを整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国と民族自決)

 ① チェコスロヴァキアなどの東欧諸国の独立

 ② 民族自決はヨーロッパでは適用

 ③ 少数民族問題を抱える

 

(オスマン帝国と民族自決)

 ① 民族自決はアジアには適用されず

 ② アラブ人居住地の多くが英仏の委任統治領下に

 

【補足】

・民族自決について、その影響があったのはオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国に限ったことではないが、本設問では上記2国の事例を示す指示があり、指定語句や字数を考えた場合、両国の内容に沿って解答を作成するのが適切。

 

【解答例】

第一次世界大戦末から、各民族が自らの運命を決する民族自決の理念が現れた。レーニンが平和に関する布告で帝国主義を批判したことを受け、ウィルソンも十四か条の平和原則で民族自決を示したが、植民地を持つ英仏は反発した。列強の妥協により、理念は東欧では適用され、オーストリア=ハンガリー帝国解体後にチェコスロヴァキアなどが独立したが、一民族一国家の理念は少数民族問題も生じた。一方、この理念は西アジアでは適用されず、オスマン帝国旧領の多くは英仏の委任統治下で実質的な植民地支配が継続された。(240字)

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難関私大などでは意外に唐代の文人に関する出題が出てくることがあります。たとえば、「①初唐・王維、②盛唐・李白、③盛唐・杜甫、④中唐・白楽天」のうち、誤りを一つ選ばせる問題などです。

ですが、一般的に文化史を隅々までしっかり覚えている受験生は少数派です。国語の漢文や文学史などでしっかりおさえている人などはもともと知っている場合もあるのですが、初唐・盛唐・中唐・晩唐の区別や、それぞれの文人たちがどの時代を生きたのかまで整理できているというケースはかなりまれではないでしょうか。

 

実は、このあたりの整理を比較的容易にすることができる理解の仕方があります。それは、「高校世界史で登場する主要な文人たち(王維・李白・杜甫・白居易・韓愈・柳宗元など)は盛唐と中唐に集中している」というまとめ方です。もっとも、率直に言ってこれはかなり邪道なまとめ方で(笑)、あまり過信するとロクなことにならないかもしれませんが、「正直全く覚えられる気がしない」という場合には知っておいてもよいことかと思います。

 

一般に、「初唐」は唐の建国期~則天武后の頃まで、「盛唐」は玄宗の頃~安史の乱のあたりまで、「中唐」は安史の乱後~826年ごろまで、「晩唐」は826年~唐滅亡あたりまでと区分けされますが、高校世界史で登場する主要な文人のうち、王維・李白・杜甫は「盛唐」期の人物であり、白居易(白楽天)・韓愈・柳宗元は「中唐」期の人物です。整理すると、以下の表のようになります。


唐代の詩人_文人

白居易は「長恨歌」の作者ですので、少なくとも安史の乱後だということが分かりますし、韓愈・柳宗元は古文の復興を掲げた唐宋八台家のうちの唐代の2人です。古文復興の主な担い手が門閥貴族に批判的だった科挙官僚たちであることを思い起こせば、韓愈や柳宗元が唐の中期以降の人物だということは自然に理解できます。このあたりを理解できれば、

 

① 主要な文人が「盛唐」と「中唐」に集中

② このうち白居易・韓愈・柳宗元は後半の方

 

と整理しておくと、「王維・李白・杜甫=盛唐」、「白居易・韓愈・柳宗元=中唐」とまとめることができます。

 

もっとも、初唐期や晩唐期の文人が出てくる可能性が完全にゼロとは言い切れません。(たとえば、正誤問題の中に明白な誤りの文が含まれている場合に、高校正解レベルを超えた人物名を含む正しい文章が含まれるなどの形で高校世界史レベルを超えた事実が示されることはあります。) また、国語(漢文や文学史など)では他の文人やその作品などが示されることもあります。2024年の共通テスト「国語」では晩唐期の杜牧による「華清宮」が出題されています。初唐期では駱賓王や王勃、晩唐期では李商隠や杜牧などは国語の分野では目にすることがあるかもしれません。ただ、世界史でこれらの文人の名前を目にすることはまずないかと思います。

 

こうした留保はつきますが、文化史に自信がない場合には、「王維・李白・杜甫=盛唐」、「白居易・韓愈・柳宗元=中唐」であり、正誤問題などで「初唐」や「晩唐」と書いてある場合には誤文であることを疑ってかかるというのは一つのテクニックとしてはアリではあります。まぁ、一番確実なのは隅々まで覚えることなので、もしこれで間違えたとしても「お前のせいだ!」となじるのは勘弁していただきたいと思いますw


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世界史を学び始めると、必ず登場するのが「時代区分」です。「原始」、「古代」、「中世」、「近世」、「近代」、「現代」といった区分は、歴史の流れを整理して理解するための目安として教科書などに当たり前のように登場します。

ですが、日本史の「奈良時代」、「平安時代」、「鎌倉時代」といった比較的境界が明確な(実際にはそんなに単純なものではないのですが)区分と異なり、世界史の時代区分は明確な境界になる時点がなかったり、地域差などもあったりして、「どこからどこまでが近世」で、「どこからどこまでが近代」なのかなどがつかみづらいということがあるようです。そのため、通史の解説を始めてしばらくたつと「中世ってどこからどこまでですか?」などの質問がかなり寄せられます。そこで、ここでは時代区分がどのような基準でされているかという、だいたいの見取り図を示してみようかなと思います。

もっとも、歴史の区切り方にはさまざまな学説があります。国や地域によって発展の過程が異なるため、完全に同じ時期で区切れるわけではありませんし、ある区切りが絶対的な基準であるわけでもありません。それでも、社会の仕組みの変化に注目すると、おおよその共通点を見つけることができますので、ここではそうした大きな枠組みを示しながら、できるだけ具体的な事例・時代と結びつけてお話していきたいと思います。(あくまでも大きな枠組みですので、一部単純化などがされていますが、ここでは学術的な厳密さよりもある程度の分かりやすさを優先させたいと思います。)

【原始】
(特徴)国家や階級がなく、狩猟・採集を中心とする共同体社会が形成された時代

「原始」とは、国家や身分制度が成立する以前の社会を指します。人々は主に狩猟や採集によって食料を得て、小規模な集団で生活していました。

この時代の特徴は以下のようなものです。

・国家が存在しない
・身分制度がない
・狩猟・採集中心の生活
・小規模な共同体で生活

各地域における具体的な例を示すのであれば、日本なら旧石器時代や縄文時代、中国なら仰韶文化や竜山文化などの殷成立以前の世界、ヨーロッパなら旧石器時代、新石器時代、巨石文化などが該当するのではないかと思います。

もっとも、時代区分については、日本史・東洋史・西洋史で区分の仕方が微妙に異なります。そもそも、原始・古代・中世・近世・近代・現代という時代区分自体が、もともとはヨーロッパ史の把握のためにつくられた時代区分ですので、この時代区分を東洋史や日本史の時代区分にそのまま当てはめられるわけでもありません。

もっと言ってしまうと、たとえば東洋史(中国を含み、朝鮮・日本・東南アジア・インド・イスラームの歴史など)では、地域ごとに時代区分が異なり、共通した時代区分はありません。(例:中国史であれば先史・古代国家形成期[殷・周]、秦漢時代、魏晋南北朝時代、隋唐時代、宋元時代、明清時代、近現代など / インド史であれば古代[インダス文明〜ヴァルダナ朝期]、中世[イスラームの浸透〜ムガル帝国ごろ]、近代[イギリス支配以降]、現代[独立後]など)

ですから、ここからお示しする例は、日本史や中国史(東洋史)については、あくまでも「強いて区分とするとすれば」というものを示したもので、「中世」とした場合でも見方によっては「古代」や「近世」に分類されることもあるくらいの、ある程度解釈に幅を持たせたものだと捉えていただくのが良いかと思います。

【古代】
(特徴)農耕に基づく国家が成立し、王権や身分秩序が形成された時代

古代になると、農業の発展を背景として国家が成立します。王や皇帝を中心とした政治が行われ、社会には身分制度が生まれます。

古代社会の特徴は次の通りです。

・国家が成立する
・王権や皇帝権力が存在
・身分制度が形成される(奴隷制なども)

各地域における具体的な例を示すのであれば、日本なら弥生時代後期~平安時代中期ごろまで、中国は諸説ありますが漢の滅亡後しばらくまで、ヨーロッパでは古代ギリシアや古代ローマなどが該当するのではないでしょうか。世界史の教科書などでは、西ローマ帝国の滅亡(476年)が、古代から中世への転換点とされることが多いように思います。

【中世】
(特徴)土地と主従関係を基礎に複層的・分権的な支配構造が広がった時代

中世という時代概念は、そもそもがヨーロッパ史において「古代」と「近代」の中間の時代を示すために生み出された語です。この時代は、(西)ヨーロッパ史については土地の支配関係と主従関係を基礎とした社会(封建社会)によって特徴づけられる時代です。また、王の権力は必ずしも強くなく、地方の有力者が大きな力を持つことも多く、さらに国内の権力関係は錯綜していて、たとえば「ローマ教皇」のような国の枠組みをこえて影響力を行使する存在なども見られます。

この時代の特徴は次の通りです。

• フューダリズム(封建制度)など土地を媒介とした主従関係が成立
• 基本的には分権的な支配構造
• 宗教の影響力が大きい

ただし、こうした特徴は基本的には西ヨーロッパの状況をつかむためのもので、地域によっては当てはまりません。たとえば、ビザンツ帝国はある時点までは集権的ですし、イスラーム世界や中国・インドなどもその在り方は多様で、必ずしもヨーロッパ的なフューダリズムが当てはまる社会ではありません。

一方で、地域ごとに形は異なっても、「土地を媒介とした支配関係」や「分権的な支配構造」など、一部では共通点も見出せることがあるため、そこからヨーロッパではない地域の歴史を「中世」としてとらえる場合もあります。これは、日本史でいえば平安時代後期~室町・戦国時代の頃にあたります。中国史については、「中世」という区分が成立するかはやや微妙なところですが、後述の通り唐末から宋代にかけてが近世へ変化する時期ととらえることが多いので、その前の魏晋南北朝期から唐代のあたりを「中世的移行期」または「古代後期」としてとらえているように思います。

参考までに、いくつかの代表的な世界史教科書を見ると、秦・漢から唐末までを一つの章のなかにまとめ、宋代以降を別の章にまとめるという形をとっているものが多いかと思いますので、唐代から宋代へ変わる時期が一つの区分と考えてよいかと思います。基本的には内藤湖南の「唐宋変革論」がベースになっていますが、近年は明確な断絶・変革があったというよりは唐末〜宋初を連続的変化として捉え、漸進的に構造が変化していったととらえる方が理解しやすいかと思います。

(西)ヨーロッパで言えば、中世は西ローマ帝国の滅亡以降のフランク王国による支配拡大や、ローマカトリック教会の組織化、封建制の成立によって徐々に形成され、15世紀末~16世紀にかけての「ルネサンス(後期)・大航海時代・宗教改革」あたりが中世と近世の境界線だと考えてよいかと思います。

【近世】
(特徴)中央集権的な国家が成立し、身分秩序のもとで商品経済が発展した時代

近世になると、王権が強まり、中央集権国家が成立します。また、商業や貨幣経済が発展し、都市や商人の力が強くなります。

この時代の主な特徴は次の通りです。

・中央集権国家の成立
・身分制度の維持
・商品経済の発展
・海外交易の拡大

中世の社会の枠組みを残しながらも、経済や国家、社会の仕組みが大きく変化していく時代です。日本史で言えば、安土桃山時代~江戸時代、中国史で言えば宋代~清末あたりではないでしょうか。もっとも、中国の場合、宋代と明・清の時代ではかなり大きな差がありますので、宋代を近世の始まりとしつつ、明・清は近世後期ともいうべき別の社会へと段階的に変わっているととらえるべきかと思います。ヨーロッパで言えば、主に主権国家が形成される絶対王政期が該当するかと思いますが、市民革命の時期が違ったり、東欧では啓蒙専制君主が出現したり農奴支配が西欧と比べて強いなど、国や地域によってかなりの差があります。何かのきっかけで君主の権力に大きな制限が課されたり、市民の発言力が増したり、農奴の解放が進んだりしてくる時期が近世の終わり(近代の始まり)と考えると地域ごとの近世・近代を把握しやすいのではないかと思います。

【近代】
(特徴) 市民革命と産業革命を背景に、資本主義と国民国家が成立した時代

近代は、市民革命と産業革命を背景として成立した社会です。身分制度が崩れ、資本主義経済と国民国家が広がります。

この時代の主な特徴は次のようなものです。

・市民革命の発生
・産業革命(生産の近代化)
・資本主義経済の成立
・国民国家の形成

先に示した通り、君主などのもとに主権が集まり主権国家が形成されるとともに、君主大権が増大し、常備軍や官僚制の整備による地方貴族の廷臣化などが進んだ社会を「近世」だとすれば、君主の権力に大きな制限が課されたり、市民や農奴の発言力が増したり、生産の機械化や自動化(近代化)による新たな社会経済体制(資本主義経済)が成立する時期を「近代」と考えるべきかと思います。

このあたり、日本史では非常に分かりやすく、江戸幕府の崩壊と明治維新が日本の近代化の始まりと考えてよいでしょう。ある程度日本の近代の始まりが分かりやすいのは、海外との交渉が制限されていた社会から外圧により急激な変化を遂げたことや、当時の日本人が「西洋」を手本に「近代化」を遂げようと考えて活動していたことなどが影響しているのかもしれません。もっとも、日本でも産業面での近代化は急速に進みますが、こうした近代化は「市民革命」を通したものではなく、国家主導の「上からの近代化」でした。また、憲法の制定や議会の設置に至るまでには自由民権運動などを経ておよそ20年を要しますので、分野によって「近代化」の程度には違いがありますし、必ずしもヨーロッパ的な「市民革命」と「産業革命」によって近代が成立したわけではない点には注意が必要です。同様に、中国で言えば近代は清末の諸改革(洋務運動~光緒新政)あたりから始まって進んでいきますが、この間も皇帝による専制支配という前近代的な要素は残されています。その後、辛亥革命や中華民国の成立などを通して漸進的に近代化が進んだと考えるべきでしょう。

ヨーロッパについては、「市民革命」と「産業革命」が一つの指標となります。イギリスの産業革命、アメリカ独立革命、フランス革命、ドイツやイタリアの統一などがヨーロッパにおける近代の始まりととらえてよいかと思います。もっとも、こちらもやはり国や分野によっては前近代的な要素を残していた場合があることには注意が必要です。たとえば、イギリスについては2度の革命(ピューリタン革命と名誉革命)により、国王にかわって議会が政治の主導権を握るに至りますが、当時の国王が政治的に無力だったかといえば決してそんなことはなく、特に外交政策や貴族院に対しては非常に大きな力を持っていました。また、産業革命も当時は始まっていませんし、社会構造も革命以前と以後でそこまで大きな差がなかったという指摘もあります。

このように、近世から近代へといたるのは、一夜にして急激に変わるのではなく、様々な変化が徐々に起こることを通してのことであることは理解しておくべきです。ただ、何が「近世的」で、何が「近代的」であるのかという要素を把握することで、その国や地域がどの程度の段階にあるのかということをイメージすることは可能かと思います。

【現代】
(特徴) 民主主義と高度な資本主義経済を基盤に、国際的な相互依存が強まった時代

現代は、基本的には20世紀以降の社会を指します。民主主義が広がり、経済は高度な資本主義の段階に入ります。また、国際的な結びつきも強くなります。ただし、社会主義国家や権威主義国家の成立に見られるように、資本主義と民主主義が絶対的な条件ではない点には注意が必要です。ある意味、今日本で教えられている現代史というのは冷戦期の西側諸国的な視点で形成された現代史という側面が強いのかもしれません。

この時代の特徴は次の通りです。

・民主主義の普及
・世界経済の一体化
・国際機関の発展
・情報化社会

ただし、「20世紀以降」といってもどの段階から「現代」とするかは国や視点によって異なります。高校の歴史では、世界史・日本史ともに第二次世界大戦以降を現代史ととらえる視点が多いように思います。たとえば、日本史においては第二次世界大戦後のいわゆる「戦後史」を現代ととらえるのが一般的かと思います。これは、日本国憲法の成立により国家体制に大きな変革があったことや、高度経済成長を通した社会経済の変化などからこのような区分になっています。同様に考えれば、中国についても中華人民共和国成立以降の歴史を現代史ととらえるのが普通かと思います。ヨーロッパについても第二次世界大戦後の世界を現代史ととらえてよいかと思います。

もっとも、現代史というのは「現在に直接つながる時代を対象とする歴史」、または「現在の世界の仕組み(政治・経済・社会)の基盤が形成された時代」のことですから、21世紀に入って四半世紀が経過した今では、「現代史」に対する捉え方も今後変化してくるかもしれません。たとえば、ヨーロッパ史の分野では1989年の東欧革命以前を「近代」、それ以降を「現代」ととらえる見方が出てきています。また、日本においても、たとえば私が高校生の頃には冷戦史は紛れもない「現代史」でしたが、2026年の今の時代において冷戦期が「現代」かと問われれば、別の見方も存在するかもしれません。

【おわりに】
世界史の時代区分をおおまかに整理すると以下のようになります。(これまでにご説明してきた通り、かなり西ヨーロッパ史中心的な視点でのまとめとなっている点には注意してください。)
 時代区分とその特徴
世界史の時代区分は、出来事そのものではなく「社会の仕組み」に注目して作られた分類です。そのため、「分かりにくい」と感じられることも多いようですが、日本史の伝統的な時代区分のように、出来事(遷都・新しい政治体制の成立など)を時代区分の目印として使う場合とは異なり、時代を特徴づけるいくつかの要素があるのだと考えてあらためて見直すと、それぞれの時代の違いがどのようなものだったかということがより立体的に見えてくるのではないかと思います。また、こうした要素や枠組みに対する理解を深めておくと、世界史だけでなく日本史を学ぶときにも、社会の変化やそれぞれの出来事を大きな流れの中で位置づけやすくなるのではないでしょうか。

世界史を学ぶ最初のステップ、または世界史をある程度学習した後の発展的なステップとして、今回の「時代区分」の話が何かのお役に立てば良いなと思います。

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