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長らく放置しておりましたが、ぼちぼち2025年東大の大論述解説を書いてみようかと思います。(「その前に2026年のものを書け」と言われそうですがw) 

2025年の第1問も、2024年に引き続き論述が2問構成という形式でした。2024年は「360字(12行)+150字(5行)」の合計510字(17行)でしたが、2025年は「360字(12行)+240字(8行)」の合計600字(20行)となり、従来の東大大論述の合計字数と同じになりました。また、後ほどあらためて解説は用意するつもりですが、2026年の設問でも「300字(10行)+300字(10行)」の合計600字での出題となりましたので、第1問についてはしばらくの間、この形式で定着していくと考えた方がよさそうです。

正直に言うと、私としては以前の600字論述の方が深みがあって考えていて楽しいので、前の形式の方が嬉しいのですが…、変わってしまったものは仕方ありません(残念)。なかなか筆が進まないのも、「いまいち楽しくない」のが原因かなと思っています(言い訳)。

内容面では、今後の東大第1問の形式が今のままで続く限りは、基本的な世界史理解があれば解ける形の内容になる可能性は高くなるかと思います。その分、情報の取捨選択や、設問の意図・要求を正確につかむ必要は以前よりも高まるかと思われますので、そうした意味での難しさはあるかもしれません。(でも、個人的には好みではありませんw)

2025年の設問テーマは「帝国の解体と再編」という東大では比較的よく見られるテーマです。特に、1997年の大論述が今回の設問とかなり近い内容になっていますので、一度ご覧になっておくのが良いでしょう。また、2019年のオスマン帝国解体に関する設問とも内容的に重なる部分が多かったため、過去問演習を丁寧にやっていた受験生ほど対応しやすい設問だったように思います。全体として、それほど難度の高い設問ではありませんので、出題の意図から外れて取りこぼしのないようにすることが最重要かと思います。


○ 第1問 問⑴

 

【設問概要】

4つの大陸国家(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国、清)の変容について、2つの類型に分けて記述せよ。

・共通の課題を抱えていた4つの大陸国家が1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行する際に、支配領域や民族別人口構成の面で大きな変化がある場合とそうでない場合に着目せよ。

・指定語句(語句には下線):国民統合 / チベット / ドイツ人 / 連邦制

12行以内(360字)

 

(リード文からのヒント)

4つの大陸国家は版図を統合する強力な政治体制や軍事力を持つ一方で脆弱性を抱えていた。

・変容に際しての過程や結果にはいくつかの共通点と相違点があった。

 

【手順1

4国家の変容について整理

:まずは、設問が要求している4つの国家の変容について整理します。ここで言う「変容」とは、設問の内容からして「1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行」したことを言うと捉えて差し支えないでしょう。それを踏まえて、4国家の変容を簡単に整理すると、以下のようになるかと思います。

 

① オーストリア=ハンガリー帝国 → オーストリアとハンガリーに分裂

② オスマン帝国 → トルコ共和国に(旧支配地は多くが独立または委任統治領に)

③ ロシア帝国 → ソ連(ロシア革命による)

④ 清 → 中華民国(辛亥革命による)

 

【手順2】

・共通の課題と、2つの類型(支配民族・民族別人口構成)に基づく分類について整理

:次に、設問で示されている「共通の課題」と「2つの類型」が何かを明確にしていきます。これについては、東大で頻出のテーマに慣れ親しみ、過去問演習に取り組んできた受験生にとっては比較的まとめやすいものかと思います。また、今回は12行(360字)論述ですので、大まかな分類で十分だと思います。簡単にまとめると、以下のようにまとめられるかと思います。


2025_東大_帝国の分類_図


ここで、2つの類型のうち「敗戦」と「革命」についてはこだわる必要はありません。設問で重視されているのは「領域を縮小し国民国家化する型」と、「多くの領域と多民族構造を保持する型」の2類型です。ただし、記憶の整理の面で活用しやすいので、表では上記のようにまとめてみました。

 

厳密に言えば、たとえばオーストリアでは「帝国の崩壊各地で革命降伏講和条約」の流れになるので、分裂の原因は帝国の崩壊と革命ということになるのですが、オーストリアやハンガリーでの革命が191810月~11月にかけて、降伏が191811月であることを考えれば、革命のきっかけが第一次世界大戦での敗戦が原因だったことは明らかです。また、高校世界史では通常、オーストリアの分裂を敗戦とその後のヴェルサイユ体制やサン=ジェルマン条約に帰するものが多いので、上記のような分類にして差し支えないかと思います。

さらに言えば、ロシア革命の場合も革命が先行しているとはいえ、当時のロシアの戦況は全く芳しくなく、オーストリアと類似の状況であったと言えないこともないのですが、過度に厳密におさえるよりもある程度類型化しておさえた方が記憶に定着しやすいこともありますので、ここでは整理のしやすさを優先しておきたいと思います。

 

【手順3

・変容の過程と結果についての詳細をまとめる(1910年代~1920年代)

:大きな方向性を確認したところで、各国の状況についてもう少し掘り下げて、論述を組み立てるための材料を整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とサン=ジェルマン条約(ハンガリーはトリアノン条約)

 ② オーストリア(ドイツ人地域)とハンガリー(マジャール人地域)に分裂

 ③ オーストリアは帝国から共和国へ

 ④ ハンガリーは共和政成立、共産革命の後、ハンガリー王国へ(ホルティの独裁)

 ⑤ 旧支配地域であった東欧諸国は民族自決の理念の下で独立

 

(オスマン帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とセーヴル条約(1920

 ② 領土の大幅な縮小、多くの地域は英仏の委任統治下に

 ③ ムスタファ=ケマルと大国民議会(アンカラ政府)の抵抗

 ④ ローザンヌ条約(1923

 ⑤ スルタン制廃止(1922、オスマン帝国滅亡)とトルコ共和国成立(1923

 

(ロシア帝国)

 ① 第一次世界大戦中のロシア革命(1917

 ② 十月革命(十一月革命)とソヴィエト政権の成立

 ③ ロシア帝国の崩壊と社会主義国ソ連の成立(1922

 ④ ソヴィエト共和国の連邦制による支配領域維持と多民族の内包

 

(清帝国)

 ① 辛亥革命(1911

 ② 清帝国の崩壊と共和国である中華民国の成立(1912

 ③ モンゴルの独立(モンゴル人民共和国、1924)とチベットの自立化(1913

 

【手順4、設問の意図に沿った情報整理】

あとは、ここまでに整理した情報をもとに、設問の意図に沿った情報整理をしてあげればよいと思います。

 

① 4国家の変容についての2類型を示す

  敗戦後に領域を縮小し国民国家化…オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国

 ● 多くの領域と多民族構造を保持…ロシア帝国、清

 

② 上記の2類型に沿って、各国の具体的な変容を示す

 

これで十分ではないでしょうか。ただし、本設問では「支配領域や民族別人口構成の変化」にこだわっているので、それらが明示できるような具体例を示すと良いでしょう。たとえば

・オーストリア共和国

(領域) オーストリアに縮小 / 旧支配地の独立

(民族) 他民族 → ドイツ人中心


・トルコ共和国

(領域) アナトリアに縮小 / 旧支配地の多くが委任統治領

(民族) 他民族 → トルコ人中心


・ソ連

(領域) 多くを保持

(民族) 他民族を内包(ソヴィエト共和国の連邦制)


・中華民国

(領域) 多くを保持(ただし、チベットやモンゴルの分離)

(民族) 他民族を内包しようと努力(五族共和など)

 

指定語句については、ここまでの整理の中で自然に使いどころが見えてきます。従来の600字論述では、話の筋が見えにくい場合に指定語句から整理していくという手法をとることもありましたが、300字程度の論述であれば、必要以上に指定語句に引っ張られるよりも、まずは設問の意図をしっかり把握して、その上で指定語句をどう使おうかという考え方の方が全体像のブレが少なくて済むように思います。(設問の内容次第ではありますが。)

 

【解答例】

第一次世界大戦前に多民族・多領域を支配した4国家は、敗戦後に領域を縮小し国民国家化する型と、多領域・多民族構造を保持する型に分かれた。前者のオーストリア=ハンガリー帝国はサン=ジェルマン条約で解体され、マジャール人等の諸民族が分離して、ドイツ人が中心の共和国に縮小した。オスマン帝国もセーヴル条約で領土が削減され、アラブ地域の多くは委任統治下に置かれたが、ムスタファ=ケマル率いる民族運動とローザンヌ条約により、アナトリアとトルコ人を中心とする共和国として国民国家化が進んだ。一方、後者のロシア帝国は革命による帝政崩壊後、諸地域のソヴィエト共和国を連邦制で統合したソ連に再編された。清も辛亥革命で滅亡し、中華民国が成立して五族共和を掲げて旧領域・民族の維持と国民統合を図ったが、モンゴルやチベットでは分離の動きが生じた。(360字)

 

こんなところでしょうか。情報の取捨選択がやや難しいです。

 

注意したい点としては、問⑵の内容が「民族自決」を中心とする内容なので、問⑴の中に民族自決について過度に強調する必要はないことです。ただし、オーストリアがいくらドイツ人中心の国家として再編されることが設問の要求の中心であったとしても、オーストリアの解体にこの民族自決の理念が深くかかわっていることは事実なので、完全に排除しなくても良いかと思います。

また、東大を受けるレベルの受験生であればあまりないかとは思いますが、問⑵の内容を確認せずに書き進めてしまって、後から「あ。民族自決は問⑴ではいらんのか~(泣)」となってしまった場合には、無理に消すほどのこともないかと思います。たとえば、民族自決云々の箇所を具体的な民族名(マジャール人、チェック人、スロヴァキア人など)に書きかえてお茶を濁す、などで対処しても良いかと思います。

 

1問 問⑵

 

【設問概要】

4つの大陸国家の変容に際して、国際社会が提唱した新たな原則について論ぜよ。

・この原則の適用をめぐる事情について論ぜよ。

・オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例について記述せよ。

・指定語句(語句には下線)

:委任統治 / ウィルソン / チェコスロヴァキア / 平和に関する布告

8行以内(240字)

 

設問の内容はごく基本的なものです。率直に言って、東大を受験するのであれば、問⑵については、ほぼ完全解答に近い形でまとめたいところです。

 

唯一、注意が必要なのが「原則の適用をめぐる諸事情」についてです。民族自決についての問題点としては、「ヨーロッパのみの適用で、アジア・アフリカなどの植民地には適用されなかったこと」や「単一民族・単一国家の理念が少数民族問題を生み出したこと」などがあげられますが、本設問では「4つの大陸国家の変容に際して」とありますし、その要求に「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよという指示があります。また、指定語句の多くも従来からの英仏植民地(アジア・アフリカ)については射程にしていない(委任統治はあくまでオスマン帝国旧支配地のアラブ人地域に言及する内容)ことなどから、「諸事情のどの部分をどのように解答に盛り込むか」といった感覚は必要になるかと思います。

 

【手順1

・国際社会が提唱した新たな原則の内容と事情について整理

(原則の内容) 民族自決

(事情) 1917年 平和に関する布告でソヴィエト政権が主張

     1918年 ウィルソンによる14か条の平和原則で主張

     1919年 パリ講和会議で争点に(植民地を持つ英仏を中心とする反対)

 

このくらいの内容で十分かと思います。極めて基礎的な内容です。
 

【手順2】

・オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国のそれぞれについて、民族自決との関係を整理

:設問要求では「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよとありますので、これら2国が「民族自決」の理念によってどのような影響を受けたかを整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国と民族自決)

 ① チェコスロヴァキアなどの東欧諸国の独立

 ② 民族自決はヨーロッパでは適用

 ③ 少数民族問題を抱える

 

(オスマン帝国と民族自決)

 ① 民族自決はアジアには適用されず

 ② アラブ人居住地の多くが英仏の委任統治領下に

 

【補足】

・民族自決について、その影響があったのはオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国に限ったことではないが、本設問では上記2国の事例を示す指示があり、指定語句や字数を考えた場合、両国の内容に沿って解答を作成するのが適切。

 

【解答例】

第一次世界大戦末から、各民族が自らの運命を決する民族自決の理念が現れた。レーニンが平和に関する布告で帝国主義を批判したことを受け、ウィルソンも十四か条の平和原則で民族自決を示したが、植民地を持つ英仏は反発した。列強の妥協により、理念は東欧では適用され、オーストリア=ハンガリー帝国解体後にチェコスロヴァキアなどが独立したが、一民族一国家の理念は少数民族問題も生じた。一方、この理念は西アジアでは適用されず、オスマン帝国旧領の多くは英仏の委任統治下で実質的な植民地支配が継続された。(240字)

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難関私大などでは意外に唐代の文人に関する出題が出てくることがあります。たとえば、「①初唐・王維、②盛唐・李白、③盛唐・杜甫、④中唐・白楽天」のうち、誤りを一つ選ばせる問題などです。

ですが、一般的に文化史を隅々までしっかり覚えている受験生は少数派です。国語の漢文や文学史などでしっかりおさえている人などはもともと知っている場合もあるのですが、初唐・盛唐・中唐・晩唐の区別や、それぞれの文人たちがどの時代を生きたのかまで整理できているというケースはかなりまれではないでしょうか。

 

実は、このあたりの整理を比較的容易にすることができる理解の仕方があります。それは、「高校世界史で登場する主要な文人たち(王維・李白・杜甫・白居易・韓愈・柳宗元など)は盛唐と中唐に集中している」というまとめ方です。もっとも、率直に言ってこれはかなり邪道なまとめ方で(笑)、あまり過信するとロクなことにならないかもしれませんが、「正直全く覚えられる気がしない」という場合には知っておいてもよいことかと思います。

 

一般に、「初唐」は唐の建国期~則天武后の頃まで、「盛唐」は玄宗の頃~安史の乱のあたりまで、「中唐」は安史の乱後~826年ごろまで、「晩唐」は826年~唐滅亡あたりまでと区分けされますが、高校世界史で登場する主要な文人のうち、王維・李白・杜甫は「盛唐」期の人物であり、白居易(白楽天)・韓愈・柳宗元は「中唐」期の人物です。整理すると、以下の表のようになります。


唐代の詩人_文人

白居易は「長恨歌」の作者ですので、少なくとも安史の乱後だということが分かりますし、韓愈・柳宗元は古文の復興を掲げた唐宋八台家のうちの唐代の2人です。古文復興の主な担い手が門閥貴族に批判的だった科挙官僚たちであることを思い起こせば、韓愈や柳宗元が唐の中期以降の人物だということは自然に理解できます。このあたりを理解できれば、

 

① 主要な文人が「盛唐」と「中唐」に集中

② このうち白居易・韓愈・柳宗元は後半の方

 

と整理しておくと、「王維・李白・杜甫=盛唐」、「白居易・韓愈・柳宗元=中唐」とまとめることができます。

 

もっとも、初唐期や晩唐期の文人が出てくる可能性が完全にゼロとは言い切れません。(たとえば、正誤問題の中に明白な誤りの文が含まれている場合に、高校正解レベルを超えた人物名を含む正しい文章が含まれるなどの形で高校世界史レベルを超えた事実が示されることはあります。) また、国語(漢文や文学史など)では他の文人やその作品などが示されることもあります。2024年の共通テスト「国語」では晩唐期の杜牧による「華清宮」が出題されています。初唐期では駱賓王や王勃、晩唐期では李商隠や杜牧などは国語の分野では目にすることがあるかもしれません。ただ、世界史でこれらの文人の名前を目にすることはまずないかと思います。

 

こうした留保はつきますが、文化史に自信がない場合には、「王維・李白・杜甫=盛唐」、「白居易・韓愈・柳宗元=中唐」であり、正誤問題などで「初唐」や「晩唐」と書いてある場合には誤文であることを疑ってかかるというのは一つのテクニックとしてはアリではあります。まぁ、一番確実なのは隅々まで覚えることなので、もしこれで間違えたとしても「お前のせいだ!」となじるのは勘弁していただきたいと思いますw


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世界史を学び始めると、必ず登場するのが「時代区分」です。「原始」、「古代」、「中世」、「近世」、「近代」、「現代」といった区分は、歴史の流れを整理して理解するための目安として教科書などに当たり前のように登場します。

ですが、日本史の「奈良時代」、「平安時代」、「鎌倉時代」といった比較的境界が明確な(実際にはそんなに単純なものではないのですが)区分と異なり、世界史の時代区分は明確な境界になる時点がなかったり、地域差などもあったりして、「どこからどこまでが近世」で、「どこからどこまでが近代」なのかなどがつかみづらいということがあるようです。そのため、通史の解説を始めてしばらくたつと「中世ってどこからどこまでですか?」などの質問がかなり寄せられます。そこで、ここでは時代区分がどのような基準でされているかという、だいたいの見取り図を示してみようかなと思います。

もっとも、歴史の区切り方にはさまざまな学説があります。国や地域によって発展の過程が異なるため、完全に同じ時期で区切れるわけではありませんし、ある区切りが絶対的な基準であるわけでもありません。それでも、社会の仕組みの変化に注目すると、おおよその共通点を見つけることができますので、ここではそうした大きな枠組みを示しながら、できるだけ具体的な事例・時代と結びつけてお話していきたいと思います。(あくまでも大きな枠組みですので、一部単純化などがされていますが、ここでは学術的な厳密さよりもある程度の分かりやすさを優先させたいと思います。)

【原始】
(特徴)国家や階級がなく、狩猟・採集を中心とする共同体社会が形成された時代

「原始」とは、国家や身分制度が成立する以前の社会を指します。人々は主に狩猟や採集によって食料を得て、小規模な集団で生活していました。

この時代の特徴は以下のようなものです。

・国家が存在しない
・身分制度がない
・狩猟・採集中心の生活
・小規模な共同体で生活

各地域における具体的な例を示すのであれば、日本なら旧石器時代や縄文時代、中国なら仰韶文化や竜山文化などの殷成立以前の世界、ヨーロッパなら旧石器時代、新石器時代、巨石文化などが該当するのではないかと思います。

もっとも、時代区分については、日本史・東洋史・西洋史で区分の仕方が微妙に異なります。そもそも、原始・古代・中世・近世・近代・現代という時代区分自体が、もともとはヨーロッパ史の把握のためにつくられた時代区分ですので、この時代区分を東洋史や日本史の時代区分にそのまま当てはめられるわけでもありません。

もっと言ってしまうと、たとえば東洋史(中国を含み、朝鮮・日本・東南アジア・インド・イスラームの歴史など)では、地域ごとに時代区分が異なり、共通した時代区分はありません。(例:中国史であれば先史・古代国家形成期[殷・周]、秦漢時代、魏晋南北朝時代、隋唐時代、宋元時代、明清時代、近現代など / インド史であれば古代[インダス文明〜ヴァルダナ朝期]、中世[イスラームの浸透〜ムガル帝国ごろ]、近代[イギリス支配以降]、現代[独立後]など)

ですから、ここからお示しする例は、日本史や中国史(東洋史)については、あくまでも「強いて区分とするとすれば」というものを示したもので、「中世」とした場合でも見方によっては「古代」や「近世」に分類されることもあるくらいの、ある程度解釈に幅を持たせたものだと捉えていただくのが良いかと思います。

【古代】
(特徴)農耕に基づく国家が成立し、王権や身分秩序が形成された時代

古代になると、農業の発展を背景として国家が成立します。王や皇帝を中心とした政治が行われ、社会には身分制度が生まれます。

古代社会の特徴は次の通りです。

・国家が成立する
・王権や皇帝権力が存在
・身分制度が形成される(奴隷制なども)

各地域における具体的な例を示すのであれば、日本なら弥生時代後期~平安時代中期ごろまで、中国は諸説ありますが漢の滅亡後しばらくまで、ヨーロッパでは古代ギリシアや古代ローマなどが該当するのではないでしょうか。世界史の教科書などでは、西ローマ帝国の滅亡(476年)が、古代から中世への転換点とされることが多いように思います。

【中世】
(特徴)土地と主従関係を基礎に複層的・分権的な支配構造が広がった時代

中世という時代概念は、そもそもがヨーロッパ史において「古代」と「近代」の中間の時代を示すために生み出された語です。この時代は、(西)ヨーロッパ史については土地の支配関係と主従関係を基礎とした社会(封建社会)によって特徴づけられる時代です。また、王の権力は必ずしも強くなく、地方の有力者が大きな力を持つことも多く、さらに国内の権力関係は錯綜していて、たとえば「ローマ教皇」のような国の枠組みをこえて影響力を行使する存在なども見られます。

この時代の特徴は次の通りです。

• フューダリズム(封建制度)など土地を媒介とした主従関係が成立
• 基本的には分権的な支配構造
• 宗教の影響力が大きい

ただし、こうした特徴は基本的には西ヨーロッパの状況をつかむためのもので、地域によっては当てはまりません。たとえば、ビザンツ帝国はある時点までは集権的ですし、イスラーム世界や中国・インドなどもその在り方は多様で、必ずしもヨーロッパ的なフューダリズムが当てはまる社会ではありません。

一方で、地域ごとに形は異なっても、「土地を媒介とした支配関係」や「分権的な支配構造」など、一部では共通点も見出せることがあるため、そこからヨーロッパではない地域の歴史を「中世」としてとらえる場合もあります。これは、日本史でいえば平安時代後期~室町・戦国時代の頃にあたります。中国史については、「中世」という区分が成立するかはやや微妙なところですが、後述の通り唐末から宋代にかけてが近世へ変化する時期ととらえることが多いので、その前の魏晋南北朝期から唐代のあたりを「中世的移行期」または「古代後期」としてとらえているように思います。

参考までに、いくつかの代表的な世界史教科書を見ると、秦・漢から唐末までを一つの章のなかにまとめ、宋代以降を別の章にまとめるという形をとっているものが多いかと思いますので、唐代から宋代へ変わる時期が一つの区分と考えてよいかと思います。基本的には内藤湖南の「唐宋変革論」がベースになっていますが、近年は明確な断絶・変革があったというよりは唐末〜宋初を連続的変化として捉え、漸進的に構造が変化していったととらえる方が理解しやすいかと思います。

(西)ヨーロッパで言えば、中世は西ローマ帝国の滅亡以降のフランク王国による支配拡大や、ローマカトリック教会の組織化、封建制の成立によって徐々に形成され、15世紀末~16世紀にかけての「ルネサンス(後期)・大航海時代・宗教改革」あたりが中世と近世の境界線だと考えてよいかと思います。

【近世】
(特徴)中央集権的な国家が成立し、身分秩序のもとで商品経済が発展した時代

近世になると、王権が強まり、中央集権国家が成立します。また、商業や貨幣経済が発展し、都市や商人の力が強くなります。

この時代の主な特徴は次の通りです。

・中央集権国家の成立
・身分制度の維持
・商品経済の発展
・海外交易の拡大

中世の社会の枠組みを残しながらも、経済や国家、社会の仕組みが大きく変化していく時代です。日本史で言えば、安土桃山時代~江戸時代、中国史で言えば宋代~清末あたりではないでしょうか。もっとも、中国の場合、宋代と明・清の時代ではかなり大きな差がありますので、宋代を近世の始まりとしつつ、明・清は近世後期ともいうべき別の社会へと段階的に変わっているととらえるべきかと思います。ヨーロッパで言えば、主に主権国家が形成される絶対王政期が該当するかと思いますが、市民革命の時期が違ったり、東欧では啓蒙専制君主が出現したり農奴支配が西欧と比べて強いなど、国や地域によってかなりの差があります。何かのきっかけで君主の権力に大きな制限が課されたり、市民の発言力が増したり、農奴の解放が進んだりしてくる時期が近世の終わり(近代の始まり)と考えると地域ごとの近世・近代を把握しやすいのではないかと思います。

【近代】
(特徴) 市民革命と産業革命を背景に、資本主義と国民国家が成立した時代

近代は、市民革命と産業革命を背景として成立した社会です。身分制度が崩れ、資本主義経済と国民国家が広がります。

この時代の主な特徴は次のようなものです。

・市民革命の発生
・産業革命(生産の近代化)
・資本主義経済の成立
・国民国家の形成

先に示した通り、君主などのもとに主権が集まり主権国家が形成されるとともに、君主大権が増大し、常備軍や官僚制の整備による地方貴族の廷臣化などが進んだ社会を「近世」だとすれば、君主の権力に大きな制限が課されたり、市民や農奴の発言力が増したり、生産の機械化や自動化(近代化)による新たな社会経済体制(資本主義経済)が成立する時期を「近代」と考えるべきかと思います。

このあたり、日本史では非常に分かりやすく、江戸幕府の崩壊と明治維新が日本の近代化の始まりと考えてよいでしょう。ある程度日本の近代の始まりが分かりやすいのは、海外との交渉が制限されていた社会から外圧により急激な変化を遂げたことや、当時の日本人が「西洋」を手本に「近代化」を遂げようと考えて活動していたことなどが影響しているのかもしれません。もっとも、日本でも産業面での近代化は急速に進みますが、こうした近代化は「市民革命」を通したものではなく、国家主導の「上からの近代化」でした。また、憲法の制定や議会の設置に至るまでには自由民権運動などを経ておよそ20年を要しますので、分野によって「近代化」の程度には違いがありますし、必ずしもヨーロッパ的な「市民革命」と「産業革命」によって近代が成立したわけではない点には注意が必要です。同様に、中国で言えば近代は清末の諸改革(洋務運動~光緒新政)あたりから始まって進んでいきますが、この間も皇帝による専制支配という前近代的な要素は残されています。その後、辛亥革命や中華民国の成立などを通して漸進的に近代化が進んだと考えるべきでしょう。

ヨーロッパについては、「市民革命」と「産業革命」が一つの指標となります。イギリスの産業革命、アメリカ独立革命、フランス革命、ドイツやイタリアの統一などがヨーロッパにおける近代の始まりととらえてよいかと思います。もっとも、こちらもやはり国や分野によっては前近代的な要素を残していた場合があることには注意が必要です。たとえば、イギリスについては2度の革命(ピューリタン革命と名誉革命)により、国王にかわって議会が政治の主導権を握るに至りますが、当時の国王が政治的に無力だったかといえば決してそんなことはなく、特に外交政策や貴族院に対しては非常に大きな力を持っていました。また、産業革命も当時は始まっていませんし、社会構造も革命以前と以後でそこまで大きな差がなかったという指摘もあります。

このように、近世から近代へといたるのは、一夜にして急激に変わるのではなく、様々な変化が徐々に起こることを通してのことであることは理解しておくべきです。ただ、何が「近世的」で、何が「近代的」であるのかという要素を把握することで、その国や地域がどの程度の段階にあるのかということをイメージすることは可能かと思います。

【現代】
(特徴) 民主主義と高度な資本主義経済を基盤に、国際的な相互依存が強まった時代

現代は、基本的には20世紀以降の社会を指します。民主主義が広がり、経済は高度な資本主義の段階に入ります。また、国際的な結びつきも強くなります。ただし、社会主義国家や権威主義国家の成立に見られるように、資本主義と民主主義が絶対的な条件ではない点には注意が必要です。ある意味、今日本で教えられている現代史というのは冷戦期の西側諸国的な視点で形成された現代史という側面が強いのかもしれません。

この時代の特徴は次の通りです。

・民主主義の普及
・世界経済の一体化
・国際機関の発展
・情報化社会

ただし、「20世紀以降」といってもどの段階から「現代」とするかは国や視点によって異なります。高校の歴史では、世界史・日本史ともに第二次世界大戦以降を現代史ととらえる視点が多いように思います。たとえば、日本史においては第二次世界大戦後のいわゆる「戦後史」を現代ととらえるのが一般的かと思います。これは、日本国憲法の成立により国家体制に大きな変革があったことや、高度経済成長を通した社会経済の変化などからこのような区分になっています。同様に考えれば、中国についても中華人民共和国成立以降の歴史を現代史ととらえるのが普通かと思います。ヨーロッパについても第二次世界大戦後の世界を現代史ととらえてよいかと思います。

もっとも、現代史というのは「現在に直接つながる時代を対象とする歴史」、または「現在の世界の仕組み(政治・経済・社会)の基盤が形成された時代」のことですから、21世紀に入って四半世紀が経過した今では、「現代史」に対する捉え方も今後変化してくるかもしれません。たとえば、ヨーロッパ史の分野では1989年の東欧革命以前を「近代」、それ以降を「現代」ととらえる見方が出てきています。また、日本においても、たとえば私が高校生の頃には冷戦史は紛れもない「現代史」でしたが、2026年の今の時代において冷戦期が「現代」かと問われれば、別の見方も存在するかもしれません。

【おわりに】
世界史の時代区分をおおまかに整理すると以下のようになります。(これまでにご説明してきた通り、かなり西ヨーロッパ史中心的な視点でのまとめとなっている点には注意してください。)
 時代区分とその特徴
世界史の時代区分は、出来事そのものではなく「社会の仕組み」に注目して作られた分類です。そのため、「分かりにくい」と感じられることも多いようですが、日本史の伝統的な時代区分のように、出来事(遷都・新しい政治体制の成立など)を時代区分の目印として使う場合とは異なり、時代を特徴づけるいくつかの要素があるのだと考えてあらためて見直すと、それぞれの時代の違いがどのようなものだったかということがより立体的に見えてくるのではないかと思います。また、こうした要素や枠組みに対する理解を深めておくと、世界史だけでなく日本史を学ぶときにも、社会の変化やそれぞれの出来事を大きな流れの中で位置づけやすくなるのではないでしょうか。

世界史を学ぶ最初のステップ、または世界史をある程度学習した後の発展的なステップとして、今回の「時代区分」の話が何かのお役に立てば良いなと思います。

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