長らく放置しておりましたが、ぼちぼち2025年東大の大論述解説を書いてみようかと思います。(「その前に2026年のものを書け」と言われそうですがw)
2025年の第1問も、2024年に引き続き論述が2問構成という形式でした。2024年は「360字(12行)+150字(5行)」の合計510字(17行)でしたが、2025年は「360字(12行)+240字(8行)」の合計600字(20行)となり、従来の東大大論述の合計字数と同じになりました。また、後ほどあらためて解説は用意するつもりですが、2026年の設問でも「300字(10行)+300字(10行)」の合計600字での出題となりましたので、第1問についてはしばらくの間、この形式で定着していくと考えた方がよさそうです。
正直に言うと、私としては以前の600字論述の方が深みがあって考えていて楽しいので、前の形式の方が嬉しいのですが…、変わってしまったものは仕方ありません(残念)。なかなか筆が進まないのも、「いまいち楽しくない」のが原因かなと思っています(言い訳)。
内容面では、今後の東大第1問の形式が今のままで続く限りは、基本的な世界史理解があれば解ける形の内容になる可能性は高くなるかと思います。その分、情報の取捨選択や、設問の意図・要求を正確につかむ必要は以前よりも高まるかと思われますので、そうした意味での難しさはあるかもしれません。(でも、個人的には好みではありませんw)
2025年の設問テーマは「帝国の解体と再編」という東大では比較的よく見られるテーマです。特に、1997年の大論述が今回の設問とかなり近い内容になっていますので、一度ご覧になっておくのが良いでしょう。また、2019年のオスマン帝国解体に関する設問とも内容的に重なる部分が多かったため、過去問演習を丁寧にやっていた受験生ほど対応しやすい設問だったように思います。全体として、それほど難度の高い設問ではありませんので、出題の意図から外れて取りこぼしのないようにすることが最重要かと思います。
○ 第1問 問⑴
【設問概要】
・4つの大陸国家(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国、清)の変容について、2つの類型に分けて記述せよ。
・共通の課題を抱えていた4つの大陸国家が1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行する際に、支配領域や民族別人口構成の面で大きな変化がある場合とそうでない場合に着目せよ。
・指定語句(語句には下線):国民統合 / チベット / ドイツ人 / 連邦制
・12行以内(360字)
(リード文からのヒント)
・4つの大陸国家は版図を統合する強力な政治体制や軍事力を持つ一方で脆弱性を抱えていた。
・変容に際しての過程や結果にはいくつかの共通点と相違点があった。
【手順1】
・4国家の変容について整理
:まずは、設問が要求している4つの国家の変容について整理します。ここで言う「変容」とは、設問の内容からして「1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行」したことを言うと捉えて差し支えないでしょう。それを踏まえて、4国家の変容を簡単に整理すると、以下のようになるかと思います。
① オーストリア=ハンガリー帝国 → オーストリアとハンガリーに分裂
② オスマン帝国 → トルコ共和国に(旧支配地は多くが独立または委任統治領に)
③ ロシア帝国 → ソ連(ロシア革命による)
④ 清 → 中華民国(辛亥革命による)
【手順2】
・共通の課題と、2つの類型(支配民族・民族別人口構成)に基づく分類について整理
:次に、設問で示されている「共通の課題」と「2つの類型」が何かを明確にしていきます。これについては、東大で頻出のテーマに慣れ親しみ、過去問演習に取り組んできた受験生にとっては比較的まとめやすいものかと思います。また、今回は12行(360字)論述ですので、大まかな分類で十分だと思います。簡単にまとめると、以下のようにまとめられるかと思います。
ここで、2つの類型のうち「敗戦」と「革命」についてはこだわる必要はありません。設問で重視されているのは「領域を縮小し国民国家化する型」と、「多くの領域と多民族構造を保持する型」の2類型です。ただし、記憶の整理の面で活用しやすいので、表では上記のようにまとめてみました。
厳密に言えば、たとえばオーストリアでは「帝国の崩壊→各地で革命→降伏→講和条約」の流れになるので、分裂の原因は帝国の崩壊と革命ということになるのですが、オーストリアやハンガリーでの革命が1918年10月~11月にかけて、降伏が1918年11月であることを考えれば、革命のきっかけが第一次世界大戦での敗戦が原因だったことは明らかです。また、高校世界史では通常、オーストリアの分裂を敗戦とその後のヴェルサイユ体制やサン=ジェルマン条約に帰するものが多いので、上記のような分類にして差し支えないかと思います。
さらに言えば、ロシア革命の場合も革命が先行しているとはいえ、当時のロシアの戦況は全く芳しくなく、オーストリアと類似の状況であったと言えないこともないのですが、過度に厳密におさえるよりもある程度類型化しておさえた方が記憶に定着しやすいこともありますので、ここでは整理のしやすさを優先しておきたいと思います。
【手順3】
・変容の過程と結果についての詳細をまとめる(1910年代~1920年代)
:大きな方向性を確認したところで、各国の状況についてもう少し掘り下げて、論述を組み立てるための材料を整理します。
(オーストリア=ハンガリー帝国)
① 第1次世界大戦の敗戦とサン=ジェルマン条約(ハンガリーはトリアノン条約)
② オーストリア(ドイツ人地域)とハンガリー(マジャール人地域)に分裂
③ オーストリアは帝国から共和国へ
④ ハンガリーは共和政成立、共産革命の後、ハンガリー王国へ(ホルティの独裁)
⑤ 旧支配地域であった東欧諸国は民族自決の理念の下で独立
(オスマン帝国)
① 第1次世界大戦の敗戦とセーヴル条約(1920)
② 領土の大幅な縮小、多くの地域は英仏の委任統治下に
③ ムスタファ=ケマルと大国民議会(アンカラ政府)の抵抗
④ ローザンヌ条約(1923)
⑤ スルタン制廃止(1922、オスマン帝国滅亡)とトルコ共和国成立(1923)
(ロシア帝国)
① 第一次世界大戦中のロシア革命(1917)
② 十月革命(十一月革命)とソヴィエト政権の成立
③ ロシア帝国の崩壊と社会主義国ソ連の成立(1922)
④ ソヴィエト共和国の連邦制による支配領域維持と多民族の内包
(清帝国)
① 辛亥革命(1911)
② 清帝国の崩壊と共和国である中華民国の成立(1912)
③ モンゴルの独立(モンゴル人民共和国、1924)とチベットの自立化(1913)
【手順4、設問の意図に沿った情報整理】
あとは、ここまでに整理した情報をもとに、設問の意図に沿った情報整理をしてあげればよいと思います。
① 4国家の変容についての2類型を示す
● 敗戦後に領域を縮小し国民国家化…オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国
● 多くの領域と多民族構造を保持…ロシア帝国、清
② 上記の2類型に沿って、各国の具体的な変容を示す
これで十分ではないでしょうか。ただし、本設問では「支配領域や民族別人口構成の変化」にこだわっているので、それらが明示できるような具体例を示すと良いでしょう。たとえば
・オーストリア共和国
(領域) オーストリアに縮小 / 旧支配地の独立
(民族) 他民族 → ドイツ人中心
・トルコ共和国
(領域) アナトリアに縮小 / 旧支配地の多くが委任統治領
(民族) 他民族 → トルコ人中心
・ソ連
(領域) 多くを保持
(民族) 他民族を内包(ソヴィエト共和国の連邦制)
・中華民国
(領域) 多くを保持(ただし、チベットやモンゴルの分離)
(民族) 他民族を内包しようと努力(五族共和など)
指定語句については、ここまでの整理の中で自然に使いどころが見えてきます。従来の600字論述では、話の筋が見えにくい場合に指定語句から整理していくという手法をとることもありましたが、300字程度の論述であれば、必要以上に指定語句に引っ張られるよりも、まずは設問の意図をしっかり把握して、その上で指定語句をどう使おうかという考え方の方が全体像のブレが少なくて済むように思います。(設問の内容次第ではありますが。)
【解答例】
第一次世界大戦前に多民族・多領域を支配した4国家は、敗戦後に領域を縮小し国民国家化する型と、多領域・多民族構造を保持する型に分かれた。前者のオーストリア=ハンガリー帝国はサン=ジェルマン条約で解体され、マジャール人等の諸民族が分離して、ドイツ人が中心の共和国に縮小した。オスマン帝国もセーヴル条約で領土が削減され、アラブ地域の多くは委任統治下に置かれたが、ムスタファ=ケマル率いる民族運動とローザンヌ条約により、アナトリアとトルコ人を中心とする共和国として国民国家化が進んだ。一方、後者のロシア帝国は革命による帝政崩壊後、諸地域のソヴィエト共和国を連邦制で統合したソ連に再編された。清も辛亥革命で滅亡し、中華民国が成立して五族共和を掲げて旧領域・民族の維持と国民統合を図ったが、モンゴルやチベットでは分離の動きが生じた。(360字)
こんなところでしょうか。情報の取捨選択がやや難しいです。
注意したい点としては、問⑵の内容が「民族自決」を中心とする内容なので、問⑴の中に民族自決について過度に強調する必要はないことです。ただし、オーストリアがいくらドイツ人中心の国家として再編されることが設問の要求の中心であったとしても、オーストリアの解体にこの民族自決の理念が深くかかわっていることは事実なので、完全に排除しなくても良いかと思います。
また、東大を受けるレベルの受験生であればあまりないかとは思いますが、問⑵の内容を確認せずに書き進めてしまって、後から「あ。民族自決は問⑴ではいらんのか~(泣)」となってしまった場合には、無理に消すほどのこともないかと思います。たとえば、民族自決云々の箇所を具体的な民族名(マジャール人、チェック人、スロヴァキア人など)に書きかえてお茶を濁す、などで対処しても良いかと思います。
第1問 問⑵
【設問概要】
・4つの大陸国家の変容に際して、国際社会が提唱した新たな原則について論ぜよ。
・この原則の適用をめぐる事情について論ぜよ。
・オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例について記述せよ。
・指定語句(語句には下線)
:委任統治 / ウィルソン / チェコスロヴァキア / 平和に関する布告
・8行以内(240字)
設問の内容はごく基本的なものです。率直に言って、東大を受験するのであれば、問⑵については、ほぼ完全解答に近い形でまとめたいところです。
唯一、注意が必要なのが「原則の適用をめぐる諸事情」についてです。民族自決についての問題点としては、「ヨーロッパのみの適用で、アジア・アフリカなどの植民地には適用されなかったこと」や「単一民族・単一国家の理念が少数民族問題を生み出したこと」などがあげられますが、本設問では「4つの大陸国家の変容に際して」とありますし、その要求に「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよという指示があります。また、指定語句の多くも従来からの英仏植民地(アジア・アフリカ)については射程にしていない(委任統治はあくまでオスマン帝国旧支配地のアラブ人地域に言及する内容)ことなどから、「諸事情のどの部分をどのように解答に盛り込むか」といった感覚は必要になるかと思います。
【手順1】
・国際社会が提唱した新たな原則の内容と事情について整理
(原則の内容) 民族自決
(事情) 1917年 平和に関する布告でソヴィエト政権が主張
1918年 ウィルソンによる14か条の平和原則で主張
1919年 パリ講和会議で争点に(植民地を持つ英仏を中心とする反対)
このくらいの内容で十分かと思います。極めて基礎的な内容です。
【手順2】
・オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国のそれぞれについて、民族自決との関係を整理
:設問要求では「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよとありますので、これら2国が「民族自決」の理念によってどのような影響を受けたかを整理します。
(オーストリア=ハンガリー帝国と民族自決)
① チェコスロヴァキアなどの東欧諸国の独立
② 民族自決はヨーロッパでは適用
③ 少数民族問題を抱える
(オスマン帝国と民族自決)
① 民族自決はアジアには適用されず
② アラブ人居住地の多くが英仏の委任統治領下に
【補足】
・民族自決について、その影響があったのはオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国に限ったことではないが、本設問では上記2国の事例を示す指示があり、指定語句や字数を考えた場合、両国の内容に沿って解答を作成するのが適切。
【解答例】
第一次世界大戦末から、各民族が自らの運命を決する民族自決の理念が現れた。レーニンが平和に関する布告で帝国主義を批判したことを受け、ウィルソンも十四か条の平和原則で民族自決を示したが、植民地を持つ英仏は反発した。列強の妥協により、理念は東欧では適用され、オーストリア=ハンガリー帝国解体後にチェコスロヴァキアなどが独立したが、一民族一国家の理念は少数民族問題も生じた。一方、この理念は西アジアでは適用されず、オスマン帝国旧領の多くは英仏の委任統治下で実質的な植民地支配が継続された。(240字)




