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長らく放置しておりましたが、ぼちぼち2025年東大の大論述解説を書いてみようかと思います。(「その前に2026年のものを書け」と言われそうですがw) 

2025年の第1問も、2024年に引き続き論述が2問構成という形式でした。2024年は「360字(12行)+150字(5行)」の合計510字(17行)でしたが、2025年は「360字(12行)+240字(8行)」の合計600字(20行)となり、従来の東大大論述の合計字数と同じになりました。また、後ほどあらためて解説は用意するつもりですが、2026年の設問でも「300字(10行)+300字(10行)」の合計600字での出題となりましたので、第1問についてはしばらくの間、この形式で定着していくと考えた方がよさそうです。

正直に言うと、私としては以前の600字論述の方が深みがあって考えていて楽しいので、前の形式の方が嬉しいのですが…、変わってしまったものは仕方ありません(残念)。なかなか筆が進まないのも、「いまいち楽しくない」のが原因かなと思っています(言い訳)。

内容面では、今後の東大第1問の形式が今のままで続く限りは、基本的な世界史理解があれば解ける形の内容になる可能性は高くなるかと思います。その分、情報の取捨選択や、設問の意図・要求を正確につかむ必要は以前よりも高まるかと思われますので、そうした意味での難しさはあるかもしれません。(でも、個人的には好みではありませんw)

2025年の設問テーマは「帝国の解体と再編」という東大では比較的よく見られるテーマです。特に、1997年の大論述が今回の設問とかなり近い内容になっていますので、一度ご覧になっておくのが良いでしょう。また、2019年のオスマン帝国解体に関する設問とも内容的に重なる部分が多かったため、過去問演習を丁寧にやっていた受験生ほど対応しやすい設問だったように思います。全体として、それほど難度の高い設問ではありませんので、出題の意図から外れて取りこぼしのないようにすることが最重要かと思います。


○ 第1問 問⑴

 

【設問概要】

4つの大陸国家(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国、清)の変容について、2つの類型に分けて記述せよ。

・共通の課題を抱えていた4つの大陸国家が1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行する際に、支配領域や民族別人口構成の面で大きな変化がある場合とそうでない場合に着目せよ。

・指定語句(語句には下線):国民統合 / チベット / ドイツ人 / 連邦制

12行以内(360字)

 

(リード文からのヒント)

4つの大陸国家は版図を統合する強力な政治体制や軍事力を持つ一方で脆弱性を抱えていた。

・変容に際しての過程や結果にはいくつかの共通点と相違点があった。

 

【手順1

4国家の変容について整理

:まずは、設問が要求している4つの国家の変容について整理します。ここで言う「変容」とは、設問の内容からして「1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行」したことを言うと捉えて差し支えないでしょう。それを踏まえて、4国家の変容を簡単に整理すると、以下のようになるかと思います。

 

① オーストリア=ハンガリー帝国 → オーストリアとハンガリーに分裂

② オスマン帝国 → トルコ共和国に(旧支配地は多くが独立または委任統治領に)

③ ロシア帝国 → ソ連(ロシア革命による)

④ 清 → 中華民国(辛亥革命による)

 

【手順2】

・共通の課題と、2つの類型(支配民族・民族別人口構成)に基づく分類について整理

:次に、設問で示されている「共通の課題」と「2つの類型」が何かを明確にしていきます。これについては、東大で頻出のテーマに慣れ親しみ、過去問演習に取り組んできた受験生にとっては比較的まとめやすいものかと思います。また、今回は12行(360字)論述ですので、大まかな分類で十分だと思います。簡単にまとめると、以下のようにまとめられるかと思います。


2025_東大_帝国の分類_図


ここで、2つの類型のうち「敗戦」と「革命」についてはこだわる必要はありません。設問で重視されているのは「領域を縮小し国民国家化する型」と、「多くの領域と多民族構造を保持する型」の2類型です。ただし、記憶の整理の面で活用しやすいので、表では上記のようにまとめてみました。

 

厳密に言えば、たとえばオーストリアでは「帝国の崩壊各地で革命降伏講和条約」の流れになるので、分裂の原因は帝国の崩壊と革命ということになるのですが、オーストリアやハンガリーでの革命が191810月~11月にかけて、降伏が191811月であることを考えれば、革命のきっかけが第一次世界大戦での敗戦が原因だったことは明らかです。また、高校世界史では通常、オーストリアの分裂を敗戦とその後のヴェルサイユ体制やサン=ジェルマン条約に帰するものが多いので、上記のような分類にして差し支えないかと思います。

さらに言えば、ロシア革命の場合も革命が先行しているとはいえ、当時のロシアの戦況は全く芳しくなく、オーストリアと類似の状況であったと言えないこともないのですが、過度に厳密におさえるよりもある程度類型化しておさえた方が記憶に定着しやすいこともありますので、ここでは整理のしやすさを優先しておきたいと思います。

 

【手順3

・変容の過程と結果についての詳細をまとめる(1910年代~1920年代)

:大きな方向性を確認したところで、各国の状況についてもう少し掘り下げて、論述を組み立てるための材料を整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とサン=ジェルマン条約(ハンガリーはトリアノン条約)

 ② オーストリア(ドイツ人地域)とハンガリー(マジャール人地域)に分裂

 ③ オーストリアは帝国から共和国へ

 ④ ハンガリーは共和政成立、共産革命の後、ハンガリー王国へ(ホルティの独裁)

 ⑤ 旧支配地域であった東欧諸国は民族自決の理念の下で独立

 

(オスマン帝国)

 ① 第1次世界大戦の敗戦とセーヴル条約(1920

 ② 領土の大幅な縮小、多くの地域は英仏の委任統治下に

 ③ ムスタファ=ケマルと大国民議会(アンカラ政府)の抵抗

 ④ ローザンヌ条約(1923

 ⑤ スルタン制廃止(1922、オスマン帝国滅亡)とトルコ共和国成立(1923

 

(ロシア帝国)

 ① 第一次世界大戦中のロシア革命(1917

 ② 十月革命(十一月革命)とソヴィエト政権の成立

 ③ ロシア帝国の崩壊と社会主義国ソ連の成立(1922

 ④ ソヴィエト共和国の連邦制による支配領域維持と多民族の内包

 

(清帝国)

 ① 辛亥革命(1911

 ② 清帝国の崩壊と共和国である中華民国の成立(1912

 ③ モンゴルの独立(モンゴル人民共和国、1924)とチベットの自立化(1913

 

【手順4、設問の意図に沿った情報整理】

あとは、ここまでに整理した情報をもとに、設問の意図に沿った情報整理をしてあげればよいと思います。

 

① 4国家の変容についての2類型を示す

  敗戦後に領域を縮小し国民国家化…オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国

 ● 多くの領域と多民族構造を保持…ロシア帝国、清

 

② 上記の2類型に沿って、各国の具体的な変容を示す

 

これで十分ではないでしょうか。ただし、本設問では「支配領域や民族別人口構成の変化」にこだわっているので、それらが明示できるような具体例を示すと良いでしょう。たとえば

・オーストリア共和国

(領域) オーストリアに縮小 / 旧支配地の独立

(民族) 他民族 → ドイツ人中心


・トルコ共和国

(領域) アナトリアに縮小 / 旧支配地の多くが委任統治領

(民族) 他民族 → トルコ人中心


・ソ連

(領域) 多くを保持

(民族) 他民族を内包(ソヴィエト共和国の連邦制)


・中華民国

(領域) 多くを保持(ただし、チベットやモンゴルの分離)

(民族) 他民族を内包しようと努力(五族共和など)

 

指定語句については、ここまでの整理の中で自然に使いどころが見えてきます。従来の600字論述では、話の筋が見えにくい場合に指定語句から整理していくという手法をとることもありましたが、300字程度の論述であれば、必要以上に指定語句に引っ張られるよりも、まずは設問の意図をしっかり把握して、その上で指定語句をどう使おうかという考え方の方が全体像のブレが少なくて済むように思います。(設問の内容次第ではありますが。)

 

【解答例】

第一次世界大戦前に多民族・多領域を支配した4国家は、敗戦後に領域を縮小し国民国家化する型と、多領域・多民族構造を保持する型に分かれた。前者のオーストリア=ハンガリー帝国はサン=ジェルマン条約で解体され、マジャール人等の諸民族が分離して、ドイツ人が中心の共和国に縮小した。オスマン帝国もセーヴル条約で領土が削減され、アラブ地域の多くは委任統治下に置かれたが、ムスタファ=ケマル率いる民族運動とローザンヌ条約により、アナトリアとトルコ人を中心とする共和国として国民国家化が進んだ。一方、後者のロシア帝国は革命による帝政崩壊後、諸地域のソヴィエト共和国を連邦制で統合したソ連に再編された。清も辛亥革命で滅亡し、中華民国が成立して五族共和を掲げて旧領域・民族の維持と国民統合を図ったが、モンゴルやチベットでは分離の動きが生じた。(360字)

 

こんなところでしょうか。情報の取捨選択がやや難しいです。

 

注意したい点としては、問⑵の内容が「民族自決」を中心とする内容なので、問⑴の中に民族自決について過度に強調する必要はないことです。ただし、オーストリアがいくらドイツ人中心の国家として再編されることが設問の要求の中心であったとしても、オーストリアの解体にこの民族自決の理念が深くかかわっていることは事実なので、完全に排除しなくても良いかと思います。

また、東大を受けるレベルの受験生であればあまりないかとは思いますが、問⑵の内容を確認せずに書き進めてしまって、後から「あ。民族自決は問⑴ではいらんのか~(泣)」となってしまった場合には、無理に消すほどのこともないかと思います。たとえば、民族自決云々の箇所を具体的な民族名(マジャール人、チェック人、スロヴァキア人など)に書きかえてお茶を濁す、などで対処しても良いかと思います。

 

1問 問⑵

 

【設問概要】

4つの大陸国家の変容に際して、国際社会が提唱した新たな原則について論ぜよ。

・この原則の適用をめぐる事情について論ぜよ。

・オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例について記述せよ。

・指定語句(語句には下線)

:委任統治 / ウィルソン / チェコスロヴァキア / 平和に関する布告

8行以内(240字)

 

設問の内容はごく基本的なものです。率直に言って、東大を受験するのであれば、問⑵については、ほぼ完全解答に近い形でまとめたいところです。

 

唯一、注意が必要なのが「原則の適用をめぐる諸事情」についてです。民族自決についての問題点としては、「ヨーロッパのみの適用で、アジア・アフリカなどの植民地には適用されなかったこと」や「単一民族・単一国家の理念が少数民族問題を生み出したこと」などがあげられますが、本設問では「4つの大陸国家の変容に際して」とありますし、その要求に「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよという指示があります。また、指定語句の多くも従来からの英仏植民地(アジア・アフリカ)については射程にしていない(委任統治はあくまでオスマン帝国旧支配地のアラブ人地域に言及する内容)ことなどから、「諸事情のどの部分をどのように解答に盛り込むか」といった感覚は必要になるかと思います。

 

【手順1

・国際社会が提唱した新たな原則の内容と事情について整理

(原則の内容) 民族自決

(事情) 1917年 平和に関する布告でソヴィエト政権が主張

     1918年 ウィルソンによる14か条の平和原則で主張

     1919年 パリ講和会議で争点に(植民地を持つ英仏を中心とする反対)

 

このくらいの内容で十分かと思います。極めて基礎的な内容です。
 

【手順2】

・オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国のそれぞれについて、民族自決との関係を整理

:設問要求では「オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例」について論ぜよとありますので、これら2国が「民族自決」の理念によってどのような影響を受けたかを整理します。

 

(オーストリア=ハンガリー帝国と民族自決)

 ① チェコスロヴァキアなどの東欧諸国の独立

 ② 民族自決はヨーロッパでは適用

 ③ 少数民族問題を抱える

 

(オスマン帝国と民族自決)

 ① 民族自決はアジアには適用されず

 ② アラブ人居住地の多くが英仏の委任統治領下に

 

【補足】

・民族自決について、その影響があったのはオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国に限ったことではないが、本設問では上記2国の事例を示す指示があり、指定語句や字数を考えた場合、両国の内容に沿って解答を作成するのが適切。

 

【解答例】

第一次世界大戦末から、各民族が自らの運命を決する民族自決の理念が現れた。レーニンが平和に関する布告で帝国主義を批判したことを受け、ウィルソンも十四か条の平和原則で民族自決を示したが、植民地を持つ英仏は反発した。列強の妥協により、理念は東欧では適用され、オーストリア=ハンガリー帝国解体後にチェコスロヴァキアなどが独立したが、一民族一国家の理念は少数民族問題も生じた。一方、この理念は西アジアでは適用されず、オスマン帝国旧領の多くは英仏の委任統治下で実質的な植民地支配が継続された。(240字)

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2023年の東大の問題解説を今頃UPします。去年は仕事を変えたりしていたので3月とかホンマにバタバタでして…。今はちょうど受験もひと段落して少しばかり時間的余裕ができたのでようやく記事を更新する気力がわいてきましたよといったところです。

さて、2023年の東大の問題はぱっと見既視感のある設問でした。デジャヴってやつですね。東大の過去問演習をびっちりやった経験のある人であれば、「何かみたことある、この地図」とお感じになられたのではないでしょうか。地図中に各国の政体のあり方などを示して問うスタイルの設問は、1992年の東京大学大論述でかつて出題されたものです。内容も、1992年の問題では時期が明示されていませんでしたが、主権国家体制が「南北アメリカ」、「東ヨーロッパ」、「東南アジア」でそれぞれの変化のフェーズにおいてどのような展開を示したかを示せという内容でしたので、2023年の問題とかなり類似点があると思って良いと思います。ただし、2023年の設問はリード文の方に出題者が何を求めているかのヒントになるような文章がかなり含まれていますので、そうした部分を丁寧に読み取って、設問の要求にしっかりと答えていくことが大切なポイントとなるかと思います。1992年の問題には指定語句がなかったのに対して、2023年問題には8つの指定語句がありますから、こうしたものも解答を作成する際の道しるべになりますね。

 

【1、設問確認】

・時期:1770年前後から1920年前後まで(約150年間)

・ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジア諸国の政治の仕組みの変化を記述せよ

・同地域においてどのような政体の独立国が誕生したかを記述せよ

・地図Ⅰ・Ⅱを参考とせよ

20行(600字)以内

・指定語句:アメリカ独立革命 / ヴェルサイユ体制 / 光緒新政 / シモン=ボリバル / 選挙法改正(注1/ 大日本帝国憲法 / 帝国議会(注2/ 二月革命(注3


(注1):イギリスにおける4度にわたる選挙法改正

(注2):ドイツ帝国の議会

(注3):フランス二月革命

 

(リード文のヒント)

・近代世界=君主政体・共和政体・植民地など様々な政体があった

・この状態には以下のような変化が見られた

 ① 植民地が独立して国家となる

 ② 一つの国が分裂・解体して新しい独立国が誕生する

 ③ 元々の独立国において革命などで政体が変わる

 ④ 憲法の有無 / 議会権力の強弱 / 国民の政治参加の範囲

 

【2、地図の読解(地域ごとの変化)】

:地図Ⅰ・Ⅱを読み解き、設問が示した3地域(ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジア)におけるおおよその変化を検討します。その際に、上記のリード文で示された①~④の変化をヒントとしつつ、指定語句と結びつけながら漏れがないかどうかを確認していくと精度が高まるように思います。

 

(ヨーロッパ)

:ヨーロッパについて主に読み取れることは以下の通りです。

 

1815年頃の地図>

① 共和政体をとっているのはスイスのみ

② 成文憲法を定めている国もフランスなど数か国に限られる

 

1914年頃の地図>

① 共和政体を取る国が増加(スイスのほかフランス・ポルトガルなど)

② 成文憲法を定める国が大きく増加(イギリス以外の主要国はほぼ成文憲法を制定)

③ 北アフリカの植民地化が進んでいる(地図Ⅰに北アフリカは示されていない)

④ 両方の地図において、イギリスは成文憲法がない扱い

 

地図上の変化から注目すべき点はやはりフランスの共和政化ですね。もっとも、フランスは設問で設定されている150年間の間に「フランス革命→第一帝政→ウィーン体制と王政復古→七月王政→二月革命と第二共和政→第二帝政→第三共和政」と目まぐるしい政体の変化が存在していますので、何を書くべきか取捨選択しないとフランスだけでめちゃくちゃな字数を取られてしまうことになるので気をつけなければなりません。

その他、ほとんどの国々で立憲政がとられていますが、世界史に登場するもので注意を払うべきなのはドイツ帝国憲法(ビスマルク憲法、1871年)とロシア帝国の立憲化(ロシア帝国国家基本法、1906年)、オスマン帝国の立憲化(ミドハト憲法、1876年→停止、1878年→青年トルコ革命、1908年)あたりでしょうか。イタリアはカルロ=アルベルトの時に定められたサルデーニャ憲法がそのままイタリアでも使われますし、オーストリアはオーストリア=ハンガリー二重帝国成立時に憲法を出しています。

イギリスについては、マグナ=カルタ(1215年)、権利の章典(1689年)などが実質的には憲法としての役割の一部を担っていますが、体系的に人々の諸権利や統治機構のあり方などを記載した成文の憲法典は存在しません。いずれにしても、これらの話は17世紀までにほぼ完了していますので、立憲化という点においては、イギリスはあまり考慮に入れる必要はありません。ただ、指定語句に(イギリスの)選挙法改正がありますので、これをどのように使うかが問題となります。

 

(南北アメリカ)

:南北アメリカについて主に読み取れることは以下の通り

 

1815年頃の地図>

① 共和政体を取るのはアメリカ合衆国くらい

  (地図からは読み取りにくいが、他にハイチ、パラグアイなども)

② そのほかの国々はほぼ植民地

 

1914年頃の地図>

① 南北アメリカともに共和政体の国が大きく増加

② 同時に、立憲制を敷く国も大きく増加

③ アメリカ合衆国の領土拡大

④ カナダが君主政体に(自治領)

 

地図上の変化からは、やはり19世紀前半のラテンアメリカ諸国の独立を見ることができます。注意すべき点としては、1914年時点ではブラジルが共和政体をとっていることです。ブラジルは、独立時にはペドロ1世を皇帝とする君主国でしたが、1889年に軍部のクーデタによって共和政体に移行しています。また、カナダが植民地から君主政国家に変わっているのはイギリスの自治領になったから(自治領はイギリス国王を元首とする半独立国)ですから、この点についても可能であれば記述したいところです。

 

(東アジア)

:東アジアについて主に読み取れることは以下の通り

 

1815年頃の地図>

① ほぼ全ての国々が君主政体

  (南の方に植民地フィリピンがちらりと見える)

 

1914年頃の地図>

① 立憲政を敷く国は日本のみ(地図上にはロシアもあるが、ヨーロッパ扱い)

② 中国(中華民国)は共和政体

③ 朝鮮と台湾、南樺太が植民地に

 

地図上の変化から最重要なのは日本の立憲化(大日本帝国憲法と帝国議会、1889年~1890年)です。そのほか、中華民国の成立とその後の袁世凱独裁(中国に☆がついていないのは1912年の中華民国臨時約法が袁世凱によって改変されたからでしょうか)、日清・日露戦争を経ての朝鮮ならびに台湾の植民地化あたりが気をつけたいところです。南樺太は言及の仕方にもよりますが、おそらく使わないと判断して良いでしょう。

 

【3、時代の変化にともなう政体の変化と参政権の拡大】

:地図は、1815年と1914年という、設問が設定した1770年~1920年ごろという時期のほんの一部をカバーしているにすぎません。ですから、地図に引っ張られ過ぎると、肝心な部分・変化を見落としてしまう可能性があります。ちょっと考えてみるだけでもフランス革命(1789年)や第一次世界大戦後の東欧諸国の独立(1918年以降)などは見落としてはいけない要素だということが分かります。指定語句にアメリカ独立革命やヴェルサイユ体制がありますしね。そこで、時代の移り変わりによって各地域、各国の政体がどのように変化したかの大枠は確認しておいた方が良いでしょう。1992年の東大過去問に取り組んだことがある人であれば、整理はしやすかったのではないかと思います。

 

18世紀後半)

・アメリカ独立革命

:イギリスからアメリカ13植民地が独立

・フランス革命

:フランス絶対王政が崩壊 → 一時は共和政が成立

 

19世紀前半)

・ラテンアメリカ諸国の独立

:多くが共和国として独立

・フランスにおける政体変化

:王政復古→七月王政→第二共和政

・七月革命や二月革命をきっかけとするヨーロッパの政体変化

:ベルギー立憲王国の独立や欧州各国での自由主義の高揚、立憲化など

・イギリスの選挙権改正

:参政権の範囲拡大へ(~1918年の女性参政権成立まで続く)

・アメリカのジャクソニアン=デモクラシー

:特に、白人男子普通選挙の成立

・各国での奴隷制の廃止

 

19世紀後半)

・国民国家の形成や立憲化進む

:ドイツ帝国、イタリア王国など

・フランスの第二帝政崩壊と第三共和政の成立

・アメリカの奴隷解放宣言

:ただし、実質的には権利の拡大はなされず

・トルコの立憲化(★)

:ミドハト憲法の制定とアブデュルハミト2世による憲法停止

・日本の立憲化

:明治維新とその後の憲法制定、議会の設置

・ブラジルの共和政化

 

20世紀前半)

・旧帝国の解体と立憲化や共和政化

:ロシア第一革命とロシア革命、青年トルコ革命、辛亥革命と中華民国の成立、オーストリア=ハンガリー二重帝国の解体、ドイツ革命など

・東ヨーロッパ諸国の独立

:ヴェルサイユ体制の成立と民族自決

・女性参政権の拡大

:ロシア革命、ドイツ革命、イギリス選挙法改正[4]、アメリカのウィルソン政権下での憲法修正第19

 

政体の変化というところでは、このあたりが重要な要素として注目すべき内容かなと思います。もちろん、全てを書くことはできないので、ある程度情報をしぼって取捨選択する必要が出て来ます。また、オスマン帝国(トルコ)の扱いをどうするかという点は少々悩ましいところですね。設問は、「ヨーロッパ・南北アメリカ・東アジア」が対象となっていますので、もしオスマン帝国を扱うとすればヨーロッパ扱いで言及することになります。オスマン帝国をヨーロッパとして扱って言及できないことはない(問題文中のヨーロッパの地図にもギリギリのっています)のですが、抜いてしまってもおとがめはない気がしなくもないです。

 

【4、植民地の変化】

:ややもすると見逃しがちですが、植民地の変化には大きく分けて二つの方向性があります。それは、「①1770年ごろまでにすでに植民地であった地域が、自由主義の高まりなどによりそれまでの宗主国から独立していく、または地位を向上させていく」というものと、「②19世紀からの帝国主義政策によって新たに植民地となり支配されていく」というものです。このうち、②については、広くとれば政治のしくみの変化としてとれなくもないですが、設問の主要なテーマは政体の変化や新しい独立国などだと思われますので、無理に言及する必要はないと思います。

 

① 植民地→独立や地位の向上

・アメリカ合衆国

・ラテンアメリカ諸国

・ギリシア(1821年~1829年のギリシア独立戦争)

・カナダ 

・東欧諸国(セルビアなど、早い段階からの国も)

など

 

② 新たに植民地として帝国主義諸国の支配下に入る

・北アフリカ(アルジェリアなど)

・朝鮮・台湾など

 

設問の対象が「ヨーロッパ・南北アメリカ・東アジア」なので北アフリカをどうするかは悩みどころです。地図2でなぜ地図1に登場しなかった北アフリカの地図が出てきているのかをどのように解釈するかですね。もっとも、上述の通り、②はそもそも本設問のテーマにそうか微妙なところなので、省いてしまって良いとは思います。

 

【5、整理(指定語句の整理と、関連事項の配置)】

:続いて、設問の要求である「政治の仕組みの変化」「どのような政体の独立国が誕生したか」について、リード文内のヒントに示された「①植民地が独立して国家となる」、「②一つの国が分裂・解体して新しい独立国が誕生する」、「③元々の独立国において革命などで政体が変わる」、「④憲法の有無 / 議会権力の強弱 / 国民の政治参加の範囲」などの視点に注意しながら、地図の読み取りや時代ごとの大枠で抽出した内容を整理していきます。

ここでは、地域ごと(ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジア)にまとめていく方法と、時系列に沿ってまとめていく方法の二通りが考えられますが、上述の通り、かなり情報量が多いことと、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアで政治的な仕組みの変化が起きる中心的な時期が自然に分かれていることなどを考えると、個々の地域ごとに分けて考えるよりは、時系列に沿って個別の事象を書き連ねていく中で、特徴のある動きや一連の動きとしてまとめられるものなどについてはその都度指摘していくという書き方の方がスムーズに書き進められるのではないかと思います。その際、まずは指定語句とその周辺事項をある程度まとめた後で、肉付けとして上述の「2、地図の読解」や「3、時代の変化にともなう政体の変化」、「4、植民地の変化」でまとめた内容を入れていくというのがやりやすいかなと思います。以下、(赤字)は指定語句になります。

 

(アメリカ独立革命)

:アメリカの独立宣言は1776年、それまでイギリスの植民地であった、いわゆる13植民地が独立を宣言し、1783年のパリ条約で最終的に独立を勝ち取り、国王のいない共和国(アメリカ合衆国)が成立することになります。また、合衆国では人民主権・連邦主義・三権分立などを規定した合衆国憲法が成立することになりました(1787年)。

これについては、やはりこの独立革命の影響を受けたフランス革命と絶対王政の崩壊をセットで示すことが必須となると思います。また、ラテンアメリカ諸国の独立もいわゆる「環大西洋革命」の流れで示してあげる方が、流れとしてはスムーズになるように思います。

 

(シモン=ボリバル)

:シモン=ボリバルは19世紀前半のラテンアメリカ諸国の独立において、大コロンビアやボリビアの独立を導いた指導者です。サン=マルティンとともにラテンアメリカ諸国の独立を導きました。また、ラテンアメリカの独立についてはハイチ(トゥサン=ルベルチュール)やメキシコ(イダルゴ、モレーロス)などの独立や、上述の通りブラジルがペドロ1世のもとで帝政を敷いたことなどには注意が必要です。

 

(選挙法改正)

:イギリス選挙法改正については第1回から第4回にかけての選挙法改正で国政に参加できる国民の範囲が拡大していったことや、そのことが19世紀の「保守党VS自由党」の二大政党制を20世期の「保守党VS労働党」へと変えていく背景の一つとなったことなどに注目する必要があります。また、時期的には少し後の話になりますが、1911年の議会法(アスキス内閣)では、庶民院の優越が認められたため、貴族院を構成する特権階層の意見を押しのけて庶民院が民意を反映することが可能となって大きな力を持つようになり、議会制度が大きく変化することとなりました。

 

(二月革命)

:フランスは、1789年のフランス革命以降、第一帝政(ナポレオン1世)と王政復古(ルイ18世とシャルル10世)、七月王政(ルイ=フィリップ)を経て、1848年の二月革命で第二共和政の成立へとつながっていきます。これについては、その後の第二帝政(ナポレオン3世)と第三共和政などもあわせて流れとして確認しておきたいですね。

 

(大日本帝国憲法)

:大日本帝国憲法は、1868年以降に明治維新を達成した日本において、その後の自由民権運動などをはじめとするいくつかの動きを経て1889年に制定されました。また、その翌年の帝国議会開催により、日本は立憲君主政国家としての体裁を整えていきます。ただし、この大日本帝国憲法はドイツと同じく欽定憲法であり、さらに帝国議会の衆議院選挙は制限選挙でしたので、国民の政治参加は大きく制限されていた点については気を付ける必要があります。

 

(帝国議会)

:ここでは、問題文中の注より、「ドイツ帝国の」帝国議会であることが明示されています。ドイツ帝国の帝国議会は、ドイツ帝国が成立した普仏戦争後の1871年から、ドイツ革命でヴァイマル共和国が成立した1918年まで続きます。ですから、プロイセンを中心とするドイツ統一とヨーロッパにおける国民国家の形成・拡大という文脈の中に位置づけて書くのも良いと思います。

また、ドイツ帝国議会は、同じく1871年に制定されたドイツ帝国憲法に基づいて成立していますが、この憲法も日本のものと同じく欽定憲法でした。また、ドイツの国制を日本が参考にしたことはよく知られていますので、「ドイツの国制が影響を与えて日本」のような一連の流れとして書くのもアリかなと思います。

 

(光緒新政)

:光緒新政は20世紀初頭、義和団事件の後の北京議定書による清の半植民地化が進む中で、危機感を抱いた清朝保守派によって進められた立憲化改革です。かつて西太后を中心とする保守派は光緒帝と康有為・梁啓超らによる変法運動をつぶしました(戊戌の政変、1898年)が、それとほぼ同様の内容の改革を自ら進めることになります。通常、内容として気をつけておくべきなのは、新軍の創設、科挙の廃止(1905年)、憲法大綱の発布と9年後の議会開設の約束(1908年)あたりですが、本設問では憲法大綱の発布あたりが特に注意すべき事柄です。

ただし、政体の変化という視点を考慮した場合、こちらの光緒新政も、これを良しとせず「保皇派」と批判する革命派を中心とする辛亥革命と、その後の中華民国の建国(共和政体の成立)や袁世凱独裁と軍閥の割拠までを一連の流れとしておさえておくべきでしょう。

 

(ヴェルサイユ体制)

:ここで注目すべき点は、やはり民族自決の原則による東欧諸国の独立です。また、ドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー二重帝国の解体に言及するのも良いと思います。

 

さて、これまで指定語句と関連する事柄をまとめてみましたが、これらをある程度並べるだけでもかなりの部分について上述の「2、地図の読解」や「3、時代の変化にともなう政体の変化」、「4、植民地の変化」でまとめた内容はカバーできそうです。上のまとめでは抜けてしまうものを見ると以下のようになります。これらを追加するかしないかは、その事柄の重要度と、文章のバランスを考えてということになるでしょう。

 

・ベルギーの独立

・カナダの自治領化

・オスマン帝国の立憲化(ミドハト憲法、青年トルコ革命、トルコ共和国)

・ブラジルの共和政化

・日清、日露戦争後の台湾・朝鮮の植民地化

・ロシア革命

 

【解答例】

アメリカ独立革命で人民主権や三権分立を定める憲法を持つ共和国が誕生し、フランス革命を経て自由主義が高まると、黒人共和国ハイチ独立を皮切りに、シモン=ボリバル指導下でラテンアメリカ諸国が独立し、君主政のブラジルを除く多くの国で奴隷制も廃止された。オスマン帝国からはギリシアも独立した。ウィーン体制下では仏の王政復古など反動化も進んだが、七月革命やベルギー立憲王国の独立で綻び、二月革命を機に欧州各地で国民国家形成への動きが強まり、仏では第二共和政が成立した。共和政体の国民国家が増加する一方で、英の選挙法改正や議会法による庶民院の優越、米のジャクソン政権下での白人男子普通選挙成立など、参政権を持つ国民の範囲も拡大し、カナダが自治領になり一部植民地の地位も向上した。独伊の統一が進む中、独は帝国議会を置き、欽定憲法を定めた。明治維新後に立憲化を目指す日本は独を手本に大日本帝国憲法を制定し、近代国家として帝国主義政策を進め、朝鮮や台湾を植民地にした。日清・日露戦争は各国に衝撃を与え、清は光緒新政で憲法大綱を発布し、ロシアはドゥーマを設置したが、辛亥革命やロシア革命で帝国は滅亡し、中国では中華民国が、ロシアではソヴィエト政権が成立した。また、オスマン帝国でも青年トルコ革命でミドハト憲法が復活した。第一次世界大戦後には女性参政権が拡大し、ヴェルサイユ体制下では解体した旧帝国領から東欧諸国が独立した。(600字)

 

キッツキツですが、とりあえずこんな感じでまとめてみました。基本的には、設問のメインテーマである「政体の変化」にかかわるところを中心にピックアップしています。また、リード文でヒントとして示されていた「①植民地が独立して国家となる」、「②一つの国が分裂・解体して新しい独立国が誕生する」、「③元々の独立国において革命などで政体が変わる」、「④憲法の有無 / 議会権力の強弱 / 国民の政治参加の範囲」などについても極力要素として入るように盛り込んでいます。

つながりとして意識したのは、「①環大西洋革命(アメリカ独立→フランス革命→ラテンアメリカ諸国独立[産業革命はスルー])」、「②参政権を持つ国民の範囲拡大」、「③立憲政のアジアへの波及(独の欽定憲法→日本の立憲化と近代化→日清・日露戦争→アジアの立憲化を刺激 / 清帝国とロシア帝国の崩壊)」あたりです。これだけ多くのものを詰め込むとどうしても事実の羅列になりがちですが、設問の意図に沿ってできるだけ一定のテーマによるつながりを意識したいところです。逆に、省いたものとしては北アフリカの植民地化ですね。オスマン帝国はギリシア独立などのからみもありますし、地図にも出ているのでヨーロッパ扱いするのはいいとしても、さすがに北アフリカは地図に出ているとはいえ本設問のテーマでは無理があるかなともいましたので、植民地に関する話については東アジア(朝鮮と台湾)の方で使いました。

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2024年東京大学世界史の第1問大論述ですが、すでに話題になっている通り大きな変化がありました。これまでの600字論述が「360字論述+150字論述」と二つに分けられ、さらに合計の字数も大幅に減りました。この変化は、過去問対策をしっかり行って会場に臨んだ受験生からすると「マジか…Σ(゚Д゚)」とある種の感動を覚えるほどの変化だったように思います。てか、自分だったら多分20秒くらいは浸ります。大論述が二つに分かれたのは1989年以来35年ぶりのことで、私が現役時代にも見た記憶がありません。

内容については戦後のアジア・アフリカや南北問題が出されました。ただ、たしかに戦後史は受験生には取り組みにくい面があるとはいえ、東大では似たような内容の設問が2012年に出ていますし、東大がどちらかといえば近現代史寄りの出題をしていたことなどを考えると、内容的に局単位難しかったようには思いませんでした。指定語句も比較的分かりやすいものが示されていたように思います。むしろ、内容的には第3問などの方にやや難しめの出題があったのではないかと思います。サイードと『オリエンタリズム』なんかは高校生の受験生にはしんどそうです。用語集を見たら載ってはいますが、燦然と輝く「①」。そらそうだ。第1問はウォーラーステインを思わせる設問設定でしたし、全体的にちょっとアカデミックな雰囲気を感じます。それ以上に東大の側が現代的な問題を考える一助として歴史と向き合って欲しいと考えて出題を作成しているような印象も受けました。

設問自体に大きな形式上の変更はありましたが、ここ数年東大が実験的というか、従来とはちょっと変わった設問の出し方をしてきていたことや、旧課程最後の年となることなどを考えた場合に、「何もないかもしれないけど、何かあるかもしれない」くらいのことを想定していた人も多かったのではないでしょうか。何より、試験始まってしまえばあとは解くしかないわけですので、ちょっとした感動にひたりつつも、もうガツガツ解かないといかんわけですから、多少試験の形式が変わったとしても、結局は普段と同じように解き、普段と同じくらいの難度と感じるような設問だったかなぁと感じました。

 

〇第1問 問⑴

【1、設問確認】

・時期:1960年代

・アジアとアフリカにおける戦乱や対立について記述せよ。

・「戦乱や対立」=(戦後に)独立を得る過程での戦乱や独立した国どうしの対立

・指定語句:アルジェリア、コンゴ、パキスタン、南べトナム解放民族戦線

 (語句に下線を付すこと)

12行(360字)以内

 

:こちらの設問には、1964年に国連事務総長ウ=タント(ビルマ出身)が行った演説が示されていて、それを受けてのものでした。冒頭にウ=タントとか出てくると「うげ。」ってなりそうですよね。演説の内容はアジア・アフリカ・ラテンアメリカなど、かつて政治的植民地や半植民地とされていた諸民族の政治的解放が進んでいることを示しつつ、これらの地域の経済的な後進性が問題となっているとする、いわゆる「南北問題」について述べたものでした。

設問自体は、一見何を書いてもいいように見えて、少々自由度の低い設問かもしれません。設問の文章では、「諸民族どうしの政治的開放が進んだが、独立を得る過程では戦乱が起こっただけでなく、独立した国同士が対立を深めるなど…」とあり、これを受けて「このような戦乱や対立」について記述せよとあるので、記述すべき戦乱や対立は(原則として)「独立を得る過程での戦乱」や「独立した国どうしの対立」などでなければなりません。また、演説では「戦後には、植民地および半植民地とされていた諸民族の政治的解放が、すみやかに進みました。」とあるので、ここで言う「独立した国」とは戦後の独立国を指すものと基本的には解釈されます。さらに、1960年代という限定がついていることや、360字という字数を考えた場合、おそらく指定語句に関連する事柄を丁寧にまとめるだけでも解答の大半は仕上がってしまう可能性があります。そういった意味では非常に誘導的で、事実を知っている人にとっては書きやすい設問、単純に知識量の差がそのまま出てしまう設問だったような気もします。また、2016年の問題に「1970年代後半から1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化」→こちらが、2012年の問題に「アジア、アフリカにおける植民地独立の過程と独立した後の動向」→こちらを問う設問がありましたから、過去問演習を丁寧に行ってきた受験生には書きやすかった設問だったように思います。

 

 

【2、指定語句の整理】

そんなわけで、指定語句の整理を進めてみます。

 

(アルジェリア)

:アルジェリアについてはアルジェリア戦争(1954-1962)に言及すればよいのですが、1960年代と限定されていますので、アルジェリア戦争後のエヴィアン協定によるフランスからの独立が中心になると思います。FLN(民族解放戦線)くらいは言及しても良い気がしますが、高校世界史ではそれ以上の情報はアルジェリアに関しては出てこないので、アルジェリアにこだわりすぎるよりはアフリカの他の地域や、1960年の「アフリカの年」などに言及するなどして字数を稼ぐ方がよさそうです。

 

(コンゴ)

:コンゴ動乱の話をすればOKです。コンゴ動乱についてはその背景と、場合によってはルムンバ、モブツあたりが示せれば十分でしょう。コンゴ動乱の概要については以下の通り。

 

1960年 コンゴ独立(→直後からコンゴ動乱の発生)

 ・希少金属(銅・コバルトなど)を産出するカタンガ州の分離を、旧宗主国ベルギーが支援

 ・カタンガの分離を防ぐべく首相ルムンバが国連に支援を要請

  →国連は介入に消極的

  →ルムンバはソ連に接近し、親米派の大統領カサブブと対立

  →軍部のモブツがクーデタを起こし、カサブブと結び、ルムンバは殺害される(1961

 ・その後のコンゴの混乱と、国連軍、米・ベルギー軍の介入

1965年 モブツの2度目のクーデタ

 ・カサブブとカタンガの指導者チョンベの対立と政局混乱

  →政局混乱収拾を名目にモブツがクーデタ、西側諸国の支持

  →モブツ独裁の確立(1971年には国号はザイールへ変更)

画像1

 

(パキスタン)

:パキスタンについては、1960年代ですので第2次インド=パキスタン(印パ)戦争について言及すれば大丈夫です。当然、インドとの係争地であるカシミールについては言及する必要があります。印パ戦争は3次にわたりますが、概要は以下の通りです。

 

① インドとパキスタンの分離独立(1947

:ヒンドゥー教徒を中心とするインドとムスリムを中心とするパキスタン(東パキスタンと西パキスタン)の分離独立

 

① 第1次印パ戦争(1947-1949

:藩王がヒンドゥー教徒、住民の多数がムスリムという構成のカシミール地方をめぐり、インド・パキスタン両国が交戦した戦争

・国連の仲裁で停戦

・カシミールはインドとパキスタンで分割

 

② 第2次印パ戦争(1965-1966

:カシミールをめぐりインド・パキスタン両軍が再度交戦

・国連の仲裁で停戦

 

③ 第3次印パ戦争(1971年)

:東パキスタンの独立運動をインドが支援し、西パキスタンと交戦

・インドの勝利と東パキスタン(バングラデシュ)の独立

 画像2

(カシミールの位置)


画像1

(カシミールの支配状況)

 

(南ベトナム解放民族戦線)

:南ベトナム解放民族戦線の結成は1960年。 南ベトナムで結成された、南ベトナムを当時のゴ=ディン=ジェム政権の支配から「解放」することを目的とした反米の民族統一戦線です。北ベトナム(ベトナム民主共和国)と連携することになるので、関係性を丁寧に把握しておく必要があります。この南ベトナム解放民族戦線と南ベトナム(ベトナム共和国)との対立が開始された1960年、またはアメリカの本格介入(ジョンソンの北爆)が始まる1965年などがベトナム戦争の開始年とされていますので、ベトナム戦争について冷戦構造と絡めながら言及することになります。ただし、1960年代と限定されているので、1973年のパリ和平協定によるアメリカの撤退や、北ベトナムによるサイゴン陥落(1975)とベトナム社会主義共和国の建国(1976)までは述べられないので注意が必要です。

画像3

(戦後のベトナムに成立した国家)


画像4

(ベトナム戦争の基本構図)

 

【3、1960年代のアジア・アフリカの確認】

:基本的には、上記2の指定語句確認だけで書けてしまうと思いますが、設問は「アジアとアフリカにおける」とありますので、念のため「独立を得る過程での戦乱」と「独立した国同士の対立」に該当する事例が他にないかの確認をしておきます。

 

(アジア)

:第3次中東戦争(1967)がありますが、一方の当事者であるイラクとシリアは(一応)戦前からの独立国ではあるんですよね。まぁ、これは書いてしまってもいいのかな。他には、強いて挙げればシンガポールの独立(1965)がありますが、「独立した国同士の対立」ではないですし、独立の際に戦乱も起こっていませんから、該当しないと思います。

 

(アフリカ)

:目立つものはビアフラ戦争(またはナイジェリア内戦、19671970)が発生したナイジェリアくらいでしょうか。クーデタとかまで含めたらほかにもありますけど、「戦乱」ってことですから気にしない方がよいですね。もちろん、ビアフラ戦争は書いても良いのですが、ビアフラ戦争の年代や内容を正確に把握している受験生がどれくらいいるかなぁということを考えると、無理に解答に盛り込まずに指定語句と関連情報のみで丁寧に解答を作成した方が間違いは少ないかもしれませんね。書ける人はもちろん書いてしまって良いとは思います。ちなみに、ビアフラ戦争の概要は以下の通りです。

 

1960年代 ナイジェリアのイボ族に対する迫害が強まる

1967年 ナイジェリア東部がイボ族を中心にビアフラ共和国として独立宣言

      →米・英・ソなどがナイジェリア政府軍を支援

      →ナイジェリア正規軍による「兵糧攻め」とビアフラの飢餓本格化

1970年 ナイジェリアの勝利とビアフラ共和国の崩壊

 

3次中東戦争やビアフラ戦争を書くべきかどうかについてですが、これらを「たしかに1960年代に起きた戦乱であり、対立だ」と考えるのであれば書いた方が良いでしょう。一方で、これらをアルジェリア戦争やコンゴ動乱、印パ戦争やベトナム戦争とならべて書く共通の要素が見いだせるかどうか。ビアフラ戦争は問題ない気がしますが、第3次中東戦争はちょっと質が違うような気がしなくもないです。第3次中東戦争と印パ戦争は「植民地支配の負の遺産と内部対立」っていう意味でかなり共通項が見出せる気がしますが、ベトナム戦争はどちらかというと冷戦や資本主義と共産主義っていうイデオロギー対立が前面に出ていて、かつてのフランス支配が直接的に関わっているかというと微妙な気がする、という意味で、です。もっとも、視点の変え方次第でいくらでも共通項は探せるでしょうし、1960年代の戦乱対立であることには変わりないので、書いて問題になることはないと思います。

 

【解答例】

アフリカでは、アルジェリアで民族解放戦線が独立を目指したが、仏のド=ゴール政権成立後のエヴィアン協定で独立した。1960年の「アフリカの年」に独立したコンゴでは、銅やコバルトの産地カタンガの分離運動をベルギーが支援したことでコンゴ動乱が発生し、首相ルムンバが殺害され、米の支援を受けたモブツの独裁が始まった。ナイジェリアではイボ族への迫害からビアフラ戦争が発生した。アジアでは、分離独立したインドとパキスタンの間でカシミール地方をめぐる争いが再燃し、第2次インド=パキスタン戦争が発生した。また、ベトナムで南のベトナム共和国に反対する南ベトナム解放民族戦線が結成されて内戦が始まり、北のベトナム民主共和国やソ連、中国の支援を受けて内戦が拡大し、さらに米がジョンソン大統領による北爆を機に本格介入して、ベトナム戦争が泥沼化した。(360字)

 

ひとまず、中東戦争を除いて解答例を作ってみました。何か、散文的だ…。むしろ、ビアフラ戦争を除いて指定語句のみで解答作っちゃってもいいのかなという気がしなくもない。ですが、「アジア・アフリカの」とありますので、指定語句以外の+αを入れておく方が安心はできますね。

 

〇第1問 問⑵

【設問確認】

・演説中の経済的問題の歴史的背景を記述せよ。

・演説中の経済的問題解決のため、1960年代に国際連合が行った取り組みを記述せよ。

5行以内

 

(演説中の経済的問題-要約)

・発展途上国と呼ばれる地域は、実際には発展していないか、十分な速さでは発展していない。

・程度の差はあれど、深刻かつ持続的な低開発の状態に苦しんでいる。

・発展途上国は工業化された社会に比べてますます遅れをとっている。

・人口増加を考慮に入れれば、生活水準が絶対的に悪化している場合もある。

 

:ここで言う経済問題がいわゆる南北問題であるのは明らかなので、南北問題の歴史的背景を示した上で、この問題解決のために国際連合が1960年代に行った取り組みに言及すれば終わりです。非常にシンプルで明瞭な設問だと思います。また、この設問がウォーラーステインの「近代世界システム論」を意識したものであるのは、はっきり見て取ることができます。「近代世界システム論」についてはその概要をかなり前にご紹介したものがありますので、ご覧ください。→「東大への世界史①(世界システム論、13世紀世界システム、銀の大循環)」

 

【解答例】

16世紀以降の欧州諸国の海外進出と18世紀以降の産業革命を起点とする工業化は、列強の帝国主義的政策もあり、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地を原料供給地兼市場とする経済支配構造を生み出し、発展途上国と先進国間の南北問題という経済格差につながった。国際連合はUNCTADを創設し途上国の開発と経済発展を図った。

 

こんな感じでどうでしょうかね。「近代世界システム」は一つの学説ですし、教科書(『世界史探究』山川出版社)や用語集(『世界史用語集』山川出版社)などにも索引見る限り記載はないようですから書きませんでした。むしろ、いわゆる発展途上国がなぜ経済的に劣後することになったのかという経済構造上の問題点(工業製品の輸出などで経済的利益を確保する先進国と、原料の供給地や先進国の市場として利益を搾取される発展途上国)と、こうした経済構造がなぜ作られていったのかという歴史的背景(欧州の海外進出とラテンアメリカの植民地化、産業革命による欧州の工業化、帝国主義政策によるアジア・アフリカの植民地化など)をできるだけ丁寧に示してあげた方が設問の要求に合致するのではないかと思いましたので、そのようにしてみました。

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